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浄化

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 克之が今朝、断崖絶壁の夢を見たというのも、意味深ではないか。忘れてしまっているという普段とは違う。しかも、エネルギーを必要とすることを、わざとしていたというのも、そこに自分だけではない、何かの力が働いていたとしか思えないではないか。
 では、今この場所でのこの状況は、自分以外の何者かによる見えない何かの力によって引き出されているものだとすれば、実に恐ろしいことだ。
 考えてみれば、一年前に男が消えたり、一年後にここに来るように伝えられたことだって、現実離れした話ではないか。それをノコノコやってくるのだから、不思議な力を信じていて、力を確認しなければいけないという義務感のようなものがあったからだ。
 放っておけばいいものを放っておけないのは、力を確認することで、自分に納得させなければいけないことが分かっているからだ。
――自分に納得できずに先に進むことはできない――
 これが、克之の信念だった。
「待てよ」
 ここに来たことが自分を納得させるためで、さらにその目的は先に進むことである。いまだ自分に納得できないことが渦巻いている中、まるで敵地とも言える場所に無防備で単身乗り込んできたのだ。前に進めなくなるくらいのことは、想像できたのではないだろうか。
 克之は、後ろに下がってみることにした。
 それは、最初に感じたような「逃げ」の感覚ではない。
――後ろに下がることで、一歩下がった時にどう見えるかを感じてみたい――
 という思いだった。
 思い切って後ろに下がると、そこに見えていた断崖絶壁は消えていた。
――目が覚めた時のような感覚だ――
 最初から覚めている目が、クッキリと開いたような感覚を覚えた。
 後ろにばかり視界を捉えていたが、後ろの憂いが消えたのを感じると、今度は、再度前を向き直った。
――おや?
 今度はさっきのように遠く感じることはなかった。もう一度踵を返し「七夕男」に正対すると、さっきまで遠くに感じていた光景が、一気に狭まって、数歩は進んだように思えた。
 さっきまでの呪縛が取れた克之は、今までのことは何でもなかったかのように、前に進み始めた。
 今度は「七夕男」も気づいてくれたようだ。
 こちらを向いている「七夕男」の表情は、相変わらず無表情である。もっとも、最初から表情を崩したような「七夕男」を想像することなどできるはずもなく、克之はさらに前進を続けた。
「約束通り来てくれたんだな」
 と、やはり無表情で「七夕男」が声を掛けてきた。
「ええ」
 数歩歩いただけで、普通に会話できるくらいまでに近づけた克之は、一年という年月が本当に長かったのか短かったのかを、再度考えていた。
「どうだい? 一年、長かったかい?」
――この男、相手の考えていることが分かるのか?
 と、「七夕男」の底知れぬ力を、いきなり見せつけられた気がした。
 しかし、さっきまでの呪縛に入り込んでいた時間があったことで、いきなり「七夕男」との間の会話にならなかったことが、微妙な力としての緩和剤になっていることを感じていた。
「長かったといえば、長かったですね。でも、それは一年が経ってから思い返した時に感じたことです」
「ほう、普通なら反対なんだろうけどな」
 確かに、「七夕男」の言う通りだった。過去を振り返る時、その間は長くとも、振り返ってしまうと、
「結構あっという間だった」
 というのが、今までのパターンだった。
 ドラマなどで、同じような会話を聞いても、過去を振り返った時があっという間だったという発想を一番よく聞く。克之は自分がさっきまで普段と違う発想だったことに驚いているということよりも、そのことに言われるまで気付かなかったことに、ビックリしていた。
 しかも、それをまるで看破したかのような「七夕男」にも驚きを覚えながら、敬意を表していると言っても過言ではなかった。
――この「七夕男」の秘めた力というのはどういうものなのだろう?
 克之は、穴が空くほどに相手を見つめていたことだろう。
 その気持ちを知ってか知らずか「七夕男」、今度はそのことに触れようとはしない。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう。きっと来てくれるとは思っていたよ」
「どうして、そう感じたんだい?」
「君は気になることを放ってはおけない性格であるのと、そのことに結構尾を引いてしまうからじゃないかな?」
「当たっていますね」
「一年という期間は、忘れるには十分な期間だ。だけど、忘れられないことを覚えているよりも、忘れたいことを忘れられないことの方が難しいんじゃないかって君は思っているだろう? その気持ちを察することができたんだ」
「でも、忘れられないことを覚えているのって、結構難しいことですよ」
「そんなことはない。君は忘れてしまっていると思っているかも知れないが、忘れられないことは、必ず記憶の中に残っているものさ。それを封印してしまうかどうか、それは本人だけの力によるものとは限らないからね」
「本人の力だけに限らない?」
「ああ、その力が本人にまだ培われていなければ、何かの力が働くものさ。たとえば、君たちの考え方であれば、守護霊など、そのいい例かも知れないね。その人によって、それぞれなので、何とも言えない。中には、生きている人の意識だけが影響していることもあるからね」
「七夕男」の発想は、まだ克之の中には備わっていないものを秘めているようだった。
――これだけいろいろ考えているのに――
 この発想が、ひょっとするとさっきの錯覚を呼び込んだのかも知れないと思った。
「三十分も前に来てくれていたようだが、そこが君のいいところでもあり、欠点でもある」
「七夕男」はいきなり鋭いところをついてきた。
「分かっていたんですか?」
「君は、そのせいで見たくないものや、見てはいけないものを見てしまったと思っているだろう?」
 実際にはそこまで感じていなかったはずなのに、この男に指摘されると、そうでもないと思っていたことを完全に掘り返され、確信にまで近づけられているようで、癪に障るのだった。
――この男は、僕を怒らせるのが目的なのか?
 せっかく一年間忘れずにいてやって、しかも三十分も前にやってきて、さらに見たくもないものを見せられて、本当であれば、散々な目に遭わされているのに、それでもこの男に逆らうことができないと思っている自分に苛立ちを覚えている。
――「七夕男」に対しての苛立ちと、自分に対しての苛立ち、どっちが強いんだ?
 どう考えても同じにしか見えない。それをさらに探求することは滑稽なことであり、素直に同じものだとして納得することにした。
――あれ? この男の前では、今までであれば、到底承服できないことでも簡単にできてしまうような気がする――
 今まで納得いかなかったことでも、この男といれば納得できるかも知れないと思うと、ここに来た意義を自分の中で納得できるようになるのではないかと思うのだった。
 克之は、海を見に行くのが好きだった。
 特に夕日を見るのが好きで、
――夕日の向こうには何かが見えているように思える――
 と考えていた。
 一度光が眩しすぎたために、目をやられてしまったようで、海を見るのが怖くなった。
作品名:浄化 作家名:森本晃次