浄化
ただ、クローン人間の生成に関しては、法律で禁止されているようで、罪を犯してまでクローン人間を時空の旅へを送り出す人もいるにはいた。そのほとんどが科学者で、人の感情というよりも、自分の研究成果の達成が最優先。タイムトラベルは、人間の感情の左右によらない一種の実験のためのルートになってしまった。そのせいもあってか、時空の歪みが現れてくるというような話だったのだ。
そして、そのうちに一人の科学者が生身の人間でタイムスリップの実験を考えた。他の人を犠牲にするわけにはいかないので、実験台は、科学者本人だ。実験の日が決まってから実際に実行されるまでの科学者の心情も、小説の大きなテーマになっていた。
「考えてみれば恐ろしい話だ」
その時の男の顔を確認できなかったのは残念だった。
克之は、目の前にいるマリを見て、
――この女性も、その時々でまったく違った顔になるんだろな――
と感じた。
そう思うと、今日初対面のはずのマリに、
――初めて会ったような気がしない――
という思いを感じた。
――時々、僕に向けられる女性の視線――
ふと思い出したその視線がマリだったのではないかと思ったが、今目の前にいるマリを見ていて、感じた視線の強さというものが、今のマリから発散されるエネルギーからは、とても想像できるものではなかった。
見つめられた視線は、相手を確認できないにも関わらず、女であることを感じさせた。それほど鋭い視線だったのに、マリにはそこまでの視線は感じられない。むしろ、その視線には弱弱しさが感じられ、何かに怯えているようであった。
――何に怯えているのだろう?
誠を探していると、今まで想像もしていなかったことにぶつかったのかも知れない。そう思うと、
――マリは、まだ肝心なことを僕に隠しているのではないだろうか?
と感じた。
それは確証がないことなので、口にできないのか、口にしてしまったら、まずいことが起こると思ってのことなのか、どちらにしても、マリの怯えは、隠しているであろうことと何か関係があるのかも知れない。
克之は、以前から、まわりの人が自分に対しての隠し事には敏感な方だった。どのような隠し事なのか分からなくても、隠し事をしているという事実を感じることができただけでも、相手に対して見方が変わってきて、優位性を感じることもあるほどだ。時には相手が隠そうとするのであれば、敢えてそれを詮索することはせず、
――僕に隠し事をしてもダメさ――
と感じることで、相手に対して優位性を確立させようと考えていた。
ただ、マリがまだ何かを隠しているとして、それがどのように怯えに繋がっていくか、気になるところである。
マリが隠していることがあるという意識が、克之も一年前の続きとして、七夕男がしていた話をマリに話せないと思っていた。確証としてはごく少ないものなので、迂闊に話せないというのは当然のことなのだが、マリが隠していることの真髄に触れてしまったら、そこから先、マリは自分に心を開いてはくれないだろうという思いがあった。
――ひょっとして、マリは誠の行方について、心当たりがあるのではいだろうか?
ただ、確証がないだけで、何となく気になる場所がある。今は疑念でしかないが、それが確証に変わるには、確証を与えてくれる他の人の証言が必要だ。その証言を与えてくれる相手に克之が選ばれた。そう思うと、それこそ克之も迂闊なことを口走ることができなくなってしまったような気がした。
克之の頭の中で、七夕男が消滅した時のことが記憶として過ぎった。
――幻だったのだろうか?
七夕男という男の存在自体が幻で、自分の心の中にある何かが、作り出した幻影ではないだろうか。
七夕男が消えていく瞬間を見た時、
――これは人間ではない――
と感じた。
以前に読んだ本、つまり、
「普通の人間では、タイムスリップには耐えられない」
という言葉を思い出したが、七夕男は、本当にサイボーグだったのだろうか?
そこまで考えてくると、違う発想も生まれてきた。
七夕男は、生身の人間であり、綺麗に消滅したのも、人間だからこそのことではないかと考えた。
では、なぜあのように消えなければならなかったかということだが、
――消滅するには、それなりに理由がある――
という考え方である。
七夕男は、別世界から来たパラレルワールドの人間であるということであったが、時空を超えたのだとすれば、タイムスリップの時に言われるような「パラドックス」が存在するのかも知れない。そこにはいくつもの、「破ってはいけない約束事」が存在し、それが自然の摂理のように当たり前に存在しているとすれば、
――七夕男は、破ってはいけない約束事のどれかに接触してしまったのではないか――
と考えられる。
タブーを犯してしまうと、パラドックスがこの世界にどのような歪みをもたらすか想像もできない。それを引き戻そうとして、さらに別の歪みが生じる。歪みを生じさせた元凶である者を処罰するのは、当然のこと。消滅してしまったのは、元凶を葬ろうとした自然現象によるものだったのではないか。元凶を葬ったところで、歪みが戻るとは限らないが、目の当たりにした現象をいかに説明するかということになれば、それ以外に説明のしようがないではないか。
マリの弟の誠も、誰かに追いかけられていた。まるで殺そうとしているかのような形相の男たちに追いかけられ、マリに話したという、
「俺殺されそうになったんだ」
という話も、なまじ大げさなものでもないと思う。
マリは誠を探している。どこに行ったか分からないと言っているが、ひょっとすると、誠がどこにいるのか想像が付いているのかも知れない。
厳密に言えば、
「どこにいるか」
ではなく、
「どうなってしまったか」
ということであろう。
克之の想像が正しければ、
――マリは、誠は誰かに殺されていて、もうこの世にはいない――
と考えているのではないかと思えていた。
克之の考えは、半分マリの考えに似ていた。
半分というのは、
「誠がこの世にはいない」
というところである。
残りの半分は、
「殺されている」
ということだが、殺されているという発想には、克之は意義を唱えたいと思っている。
誠は、確かにこの世にはいないが、別の世界で生きているのではないかという発想である。その別世界とは他ならぬ七夕男のいうところの、パラレルワールドで、そこに時空を飛び越えるという発想が生まれるべきなのかは、難しいところだった。
一年前に殺されるかの勢いで追いかけてくる連中を、一度消えて五分後に現れるという芸当を見せたことで、そう簡単に葬り去られることはないのではないかと思うからだ。ただ追いかけている連中にも同じような力が備わっていれば別だが、どうもそこまでの力はないようだ。誠は自分の力をフルに使って、うまく殺されずに立ち回っているのではないかと思えてならない。