浄化
見えない映写機に映し出された相手だったのかも知れないと思うと、影を確認しておけばよかったと感じた。もし影がなければ、本当に幻影だったと言えるかも知れないからである。
もちろん、話は途中だったし、もっと聞きたいこともあったのだが、消えてしまったものは仕方がない。今度また現れるのを待つばかりだった。
それからしばらくして克之に一人の女性が話しかけてきた。最初は初対面かと思ったが、以前にどこかで会ったことがあるような気が次第にしてくるから不思議だった。
「新田克之さんですよね?」
「ええ、そうですが。私に何かご用ですが?」
相手がいくら女性だとしても、いきなり人の名前を聞くのは失礼ではないか。そう思うと、
――この人は一体何者なのだ――
と、上から目線に少し苛立ちを覚えたのだった。
「用というわけではないんですが、最近、あなたのことを話に聞いたものですから」
「話に聞いたというのは、誰から何ですか?」
「私の弟が、以前不思議なことを言っていたんですが、弟は殺されかけたことがあったらしいんですよ」
「穏やかではないですね」
「ええ、その時、普通ならまわりのことが目に見えないほど、視界が狭まっていたはずなんですよ。その時に、あなたのことが目に入ったと言っていました」
「弟さんは私のことを知っていたということですか?」
「ええ」
「それよりも、殺されかけたというのは、どういうことなんでしょう? 殺されかけたのにお姉さんはその時の話を聞いているということは、その時に弟さんは助かったということですよね?」
「ええ、そうです。どうして弟が殺されかけたのか、理由は話してくれませんでしたが、どうやら、弟も理由に関しては分からないようでした。私にそのことを話さなかったのは、きっとあまりにも突然だったので、頭が混乱していたような感じだったのか、確証がなければ、滅多なことは言わない子だからですね。助かったことに関しては、これも不思議な話なんだけど、弟がいうには、『姉ちゃん、俺いきなり消えて、気が付けば、時間を飛び越して、元の場所に戻ってたんだよ』なんていうんですよ。おかしなことを言うでしょう?」
克之は驚愕した。それは、一年前に「七夕男」そして、彼の前に見たもう一人の男のことを思い出させるに十分なインパクトだった。
――もう一人の男のことなのかな? それとも、この二人以外にも同じような人がいるのだろうか?
その時に思い出したのが、この間の「七夕男」の話の中で、パラレルワールドのたくさんある中の一つの世界にいるもう一人の自分を殺そうという都市伝説があったというではないか。どこまで信じていいのか分からなかったが、彼女の話を聞く限りでは、これで話が繋がった。
お姉さんの話は突飛だったが、「七夕男」との話がワンクッションあったことで、話が繋がったのも自然だったのかも知れない。
彼女が、「七夕男」とどこかで繋がっているのではないかという疑念も捨てきれない。話を聞いていて、彼女の後ろに「七夕男」の影を感じないわけにはいかなかった。
ただ、それは「影」であって、「存在」ではない。影とは、必ず光を伴ったものであり、「七夕男」は一人で存在することはできるが、彼女は、「七夕男」からの何かの恩恵がなければ存在できないような雰囲気だ。やはり、弟が「七夕男」と何らかの関係があると思えることが、克之の発想をそちらの方に導いているに違いない。
「弟さんがどうして殺されかけたのか、お姉さんはその理由をご存じなんですか?」
「いいえ、私には分かりません。多分、弟の話を聞いていて、本人にも分かっていないと思います」
「じゃあ、お姉さんは、弟さんの話をどこまで信じられますか?」
「正直、まったく信じていませんでした。さっきまでは……」
「さっきまで?」
「ええ、弟の話をほとんど信じられないとすれば、あなたの存在も疑わしい。あなたが存在しないのだとすれば、あの話は弟の妄想でしかないとして片づけられるんですが、あなたが存在しているということが分かると、弟の話をまったく無視もできなくなってしまったんです」
どうやら、消去法の中から答えを見つけ出そうとしているようだ。一つずつ潰していって最後に何も残らなければ、それは妄想でしかない。しかし、彼女の消去法は少なくとも、克之の存在がウソではなかった時点で崩壊してしまった。もちろん、偶然克之のことを知っていただけなのかも知れないが、ただの偶然だけで、克之の存在を否定できない。それはその場を見ていた克之が一番よく分かっている。
「新田さんは、弟の話を信じられると思いますか?」
「私は正直信じられます。その時にいたのが、本当に弟さんだったのかは分かりませんが、弟さんの話と同じような光景をこの目で見ました。これは疑いようのない事実なので、僕も少し戸惑っているというのが心境でしょうか?」
「そうなんですね。今の話を聞いて、私は少し複雑です。弟がウソを言っていたわけではないことにホッとはしましたが、すぐには信じられないような話をどうやって自分の中で消化していけばいいのか考えていると、なかなか先に進めません」
克之は、「七夕男」に関わる話は一切せずに、それ以外の話を見たままに話した。それだけでも彼女はかなりの驚きの中にいる。
「でも、不思議ですね」
「何がですか?」
「新田さんのお話を伺っていると、弟の話がウソではなかったというよりも、そのことを新田さんの口からお聞きすることができたのが、私にはよかった気がするからです」
「僕は正直にお話しただけですよ」
というと、少し顔を上気させた彼女が、上目使いにこちらを見て、
「はい、新田さんはそれでいいんですよ」
と答えてくれた。
「実は、このお話を聞いて新田さんを探すのを戸惑っていたんです。あまりにもウソっぽいじゃないですか。新田さんという人物はいないということを自分の中で納得させることで、弟がどうしてそんなウソをついたのか。そして、どうしてそんな大それたウソを思いつくことができたのかを考えようと思ったんです。だって、弟にはそんなウソをつかなければいけない理由も、ウソをつくことでのメリットなど何もないからですね。それでも、ウソだということが分かれば。妄想として浮かんだ弟の精神状態に対し、どのように対応していけばいいか、それを考えることに徹すればいいんですよね。病院に連れていくこともできますし、一方からだけ見ていればいいので、難しいことではないと思っていたんです」
「お姉さんは、結構頭の中がテンパっていたんですね」
「そうですね。何事も悩みにしてもそうですが、結構私は一つのことに集中すると、突き詰める方なので、弟のことに関しても、私としては必死でした」
この二人の姉弟の名前は、姉を、篠原マリ、弟を、篠原誠という。
マリの話では、マリは現在二十八歳、弟の誠は二十歳だという。マリが小さい頃、両親が離婚し、母親が一年もしないうちに新しい父親を連れてきたのだが、その時に、誠が一緒だったのだという。要するに、父親の連れ子だったのだ。
「それじゃあ、血の繋がりはないんですね?」