浄化
人がほとんどいないと、やはり背景が暗く感じられる。知っている場所であるにも関わらず、一瞬知らない世界に入りこんでしまった気分にさせられた。
この感覚は「七夕男」を最初に見た時に感じたことだった。それも、あの男が消滅して、再度五分後に現れる前の、本当の第一印象である。
克之は、自分を意識する視線が誰なのか、何度も確認できないのをおかしいと思いながらも、
――まあ、いいか――
と、簡単に確認することを諦めた。
ただこの時、将来において、もう一度同じように簡単に諦めてしまう感覚を味わうことを予感した。それも近い将来にである。
それがいつのことになるのかということを想像するに、今は一つのことしか考えられない。
そう、「七夕男」に関わることしか考えられないではないか。あの男が現れて、克之に何を言おうとも、自分には関係のないことである。
克之はあの男が、
「住む世界が違う」
ということは分かっていた。
住む世界が違うということが、同じ世界であるとすれば、後は時間や時代が違うだけだとしか思えなかった。世界が違うとすれば「次元」が違うことである。
ただ、次元が違っていたとしても、それが本当に世界が違うものなのかと考えた時、どこかに二つを結ぶ扉があって、カギを回せば入り込めるとすれば、繋がってしまった世界は、もはや「違う世界」ではないのではないだろうか。
どこまでを違う世界として考えるかであるが、たとえば鏡の向こうにも世界が広がっているとすれば、それは違う世界だと言えるかどうか、こちらから見て同じ行動を取る鏡、あくまでも主導権はこちらにあって、こちらの意志で(左右対称ではあるが)まったく同じ、行動を取っている。ただ、それも本当にこちら主導なのかと言われると、
――そう思わされているだけなのかも知れない――
と思えなくもない。
しかし、それを考え始めると、キリがないことに気付く。たとえば、鏡は左右対称ではあるが、上下対称になることはない。当たり前のように左右対称を自然に受け止めているが、上下対称ではないことに疑問を感じる人がどれだけいるだろうか? そもそも鏡の中に世界があるなど、誰も考えないだろう。元々、普段からボーっとしているように見えて、そんな時はいつも何か超自然現象について考えていることが多かった克之だが、鏡の上下対称の考えまでは及ばなかった。そこまで考えるようになったのは、「七夕男」と一年前に出会ってからのことだった。
――今までの自分の発想が中途半端だったのかも知れないな――
と、「七夕男」の存在に半信半疑の自分を顧みた。
もし、「七夕男」の存在に半信半疑でなければ、一年後にもう一度目の前に現れると言ったあの男の言葉が信じられなかったに違いない。存在を全面的に信じていたのなら、あの男が、自分になど構うはずはないと思ったからである。
克之が女性の視線を意識し始めて、「七夕男」との再会を数日後に控えていたある日、まるでその前哨戦のような出来事に遭遇した。それは、まるでデジャブであり、「七夕男」と出会ったあの日の最初に不思議に感じたことが、再度目の前で繰り広げられた。
一年前のあの日は「七夕男」の存在が大きくて、克之はそれ以前に見た「追いかけられていたもう一人の男」の存在を忘れていた。
忘れていたわけではなく、記憶に封印されていただけのことなのだが、思い出すことのない記憶だったような気がする。
――以前にも見たような光景――
と思いながらも、逃げている男の顔を見てもピンと来なかった。しかし、後ろからサングラスに黒ずくめの男たちが走ってくるのを見て、
――あの時の――
と思い出したのだ。
同じ場所ではなかったので、柳の木があったわけではないが、そこには街路樹が植わっていた。今回は追いかけられている男が消えてしまったりすることはなかったが、目で追っているうちに、自分が今いつのどこにいるのか、分からなくなった感覚だった。急にまわりが暗くなり、人も他には誰もいなくなっていた。
――僕を意識している女性を確かめようとした時のようだ――
こちらも感覚的なデジャブである。だが、こちらの感覚の方がつい最近であるにも関わらず、幼い頃の思い出に近いものがあった。
――ということは、最近感じる女性の視線を感じた時に、子供の頃の懐かしさを感じたのだが、同じ感覚のように思うが、見方によってはまったく違ったものなのかも知れないな――
と、感じるようになっていた。
「七夕男」との再会より数日が経ってから、克之は自分を見つめる女性の正体を知ることになった。
「七夕男」との再会の翌日から、克之はまるで魂が抜けたようになっていた。あまりにも男の話が突飛であったこともその原因だが、自分がその時に話を理解していたのかどうかも分からないまま、日が経つにつれて、「七夕男」の話はおろか、その存在まで次第に薄れてきているように感じたからだ。
――本当のことだったのだろうか?
あの男の存在自体が、都市伝説の類に感じられた。
都市伝説というのは、迷信のようなものであるが、信じる人はどこまでも信じている。克之はそこまで信仰深いわけではない。ほとぼりが冷めると忘れていくものだ。しかも、それが恐ろしい話で、あまり自分に対して密接な問題でなければ、忘れてしまった方がいいと感じるのも人の性というべきであろう。克之は目の前の現実から突飛な話は切り離してしまわなければ、自分が先に進めないことを感じていた。
会社に戻って仕事をしていると、集中している時に限って、「七夕男」のことを思い出す。
――今度は、いつ僕の前に現れるのだろう?
また会うという確約はなかった。なかったのは当然のことで、「七夕男」は、何の前兆もなく、克之の目の前から姿を消したのだ。
消えてなくなったという方が正解かも知れない。徐々に薄くなっていき、身体が透明になっていく姿を、テレビの特撮などでは見たことがあったが、若干雰囲気が違っていた。消えていく瞬間には、白い粉のようなものが身体から剥がれていくのを感じていた。
男は、最後まで表情を変えない。無表情であるだけに、男が消えていくことに克之は感情を込めることができなかった。それとも、また必ず自分の前に現れる予感めいたものがあることから、消えてなくなることへの未練はなかった。
「こんな不可解な男が消えてなくなったりするものか」
と、心の中で呟いた。
「七夕男」は話の途中で消え始めた。本人には消えていくことの自覚がなかったのか、次第に声が消えていくのを感じた。まったく消えてなくなってから、この状況をまったく把握できないことで、どうしていいのか分からなかったが、考えてみれば、「七夕男」が、本当に自分の目の前に存在していたのかということへの疑問に変わってくる。
克之はその時、
――あの男は幻影だったのかも知れない――
と感じた。
幻影と言っても、幻ではなく、蜃気楼のように、本体が別にあり、映像だけが映写機のようなもので映し出されていたのではないかと感じた。