浄化
最初から、どういうことを研究材料にしようかということを考えていれば、至極発想は狭まってくる。焦点が絞れてくるし、狂ったりはしないだろう。
しかし、最初から漠然としていたり、漠然としたものすらなかったりすれば、もし研究材料のようなものが見つかったとしても、どう整理していいか分からない。
「まずは、情報収集から始めよう」
と、思っても、集めるものは闇雲であって、頭尾一貫しているわけではない。材料ばかりたくさんあっても、それがどのカテゴリーに帰属するかが分かっていないと、宝の持ち腐れである。
克之は、子供の頃から整理整頓が苦手だった。それは、情報収集に関連性がなく、取捨選択がうまくいかない。しかも、何かを捨てる時も、
「これは後から使うかも知れない」
というわずかな可能性を心配し、どうしても捨てることができない。頭の中はまるでピカソの絵のようだ。それでも、全体を見渡して何かの形を示していれば、まだ救いなのだろうが、どこから見ても一つとして同じものに見えないという中途半端なものに出来上がってしまっていた。
「僕は自由を穿き違えている」
と、最近になって気が付くようになった。ちょうどそれが一年くらい前のことで、「七夕男」と出会った頃も、
――自分でも理由が分からないが、何か自分に対してむしゃくしゃする――
と感じていた。
その後「七夕男」に出会ってしまったことで、環境がガラッと変わってしまい、むしゃくしゃした気持ちを忘れがちになっていた。
「高嶺の花」だった女の子、その子とは、まるで腐れ縁のように幼稚園から高校卒業するまで、ずっと一緒だった。確かに中学の時に、彼女に大きな変化を感じたが、それでも慣れてくると、元が変わっているわけではないので、違和感なく一緒にいることができた。「高嶺の花」だと思い込み、自分などは、足元にも及ばないと思っていたのは、やはり思春期の迷いがそうさせたのかも知れない。
高校を卒業すると、彼女は地元の企業に就職し、克之は大学に進学した。お互いに道を違えたのだ。それでも運命のいたずらというのは面白いもので、大学を卒業し就職した会社は、彼女のいる会社だった。
最初は誰だか分からなかった。克之が大学に行っている間の四年間、すっかり彼女は社会人の顔となっていたからだ。
ただ、彼女に対して、今まで感じたことのない違和感を、その時初めて感じた。それは社会人の顔になっていた彼女だが、その時々でまったく違う顔ができるようになっていたことだ。
表情の違いというだけではなく、相手やシチュエーションの違いによっても違う顔になっている。克之の前に出ても、仕事をしている時と、プライベートで顔が違うというのであれば、違和感はない。しかし、それだけでなく、仕事中であっても、
――今とさっきとでは顔が違って見える――
と、感じさせられるほどだった。
きっとそれは女性特有なのかも知れない。男の人の場合は、緊張していても、余裕のある顔でも、商談で勝負時であっても、表情に違いこそ感じることはあっても、顔が違って見えるなどという感覚はない。
――異性だと思うからかな?
と思ったところで、
――いや、それだけではないのかも知れない――
と感じた。
ただの異性ということであれば、大学時代までにも同じ感覚があってしかるべきだが、何か大切な感情がなければ、顔が変わって見えるところまで意識できるはずはないと思った。
――もう、恋愛感情しかないではないか――
と克之は感じた。
恋愛感情を今までに感じたことがなかったわけではないが、そのほとんどは、
――僕の相手になってくれるような相手ではない――
と、早々に諦めることになる相手ばかりだった。
望みが高いわけではない。むしろ、ハードルとしては低めだと思っている。意識して低めに設定しているわけではないが、普段から、
――自分の相手になってくれる女性はよほどしっかりした女性ではないと務まらない――
と思っていた。
今はまだ、自分の気持ちを伝えているわけではないが、ゆっくり温めていこうと思っているのが本音だった。それに彼女のことを考えている間、「七夕男」のことを頭の中から消すことができた。昔の新鮮な気持ちに戻ることができたのだ。
ただ、彼女のことを少しでも頭から離すと、すかさず「七夕男」が侵入してくる。「七夕男」のことは忘れてはいけないと思いながらも、途中で女性のことを考えて新鮮な気持ちになった後に、「七夕男」のことが再度気持ちの中に戻ってくると、何とも言えないやるせない気持ちになるのだ。
不安が頭を過ぎる。
それは、「七夕男」のことだけを考えている時は感じなかった「恐ろしさ」がよみがえってくるのだ。
よみがえってくるという感覚が、それまで感じなかったと思っていた恐怖心が、実は心の中に封印されて、その残り火が燻っていたような感覚だといえばいいのか、燻っていたものを再燃させないようにしなければいけないと思っていた端から、女性に対する新鮮な気持ちと切り離された時の精神状態が、自分では制御できないところまで来ていることを感じた時には、
「時すでに遅し」
だったのだ。
恐ろしさを払拭するまで、かなりの時間が掛かった。彼女のことを考えていた時期の倍かかることになったのだが、それは恐怖を払拭させる前に、女性への気持ちを一度リセットする必要があった。それに相手に対して考えていた時期と同じ期間を要することになり、
そして恐怖を払拭するのに、また同じだけの時間を必要とした。それを思うと、
――意外と一年というのは、いろいろなことがあるようでも、過ぎてしまえばあっという間だったという気持ちになることだってあるんだ――
と感じたのだ。
逆を感じることだってある。その時々によって考えは変わってくる。試行錯誤を繰り返しながらでも時というのは正確に刻んでいく。そのことに一切の違和感はない。感じてはいけない違和感なのだ。
ちょうどそんな時、克之を見つめる女性の視線を感じた。それは、恐怖が襲ってくる中で、ホッとした気分になれるそんな感情だった。懐かしさの中にホッとした感覚まであるのだから、気にならないわけではない。その正体を確かめようと、まわりを気にしてみたが、プッツリと気配がなくなった。
――気のせいだろうか?
とも思ったが、一度や二度のことではない。視線を感じた時は衝動的にその正体を確かめようとするのがいけないのかとも思ったが、一度も確認できないというのは、やはりおかしなことだった。
――気配というのは、意識した瞬間に消えるものだろうか?
気になっても、確認のしようもなく、聞く相手もいない。意識しないようにすればいいのかとも思ったが、一度気になってしまったものを気にしないようにするなど難しい。
――どこかに共通点があるだろうか?
と思ったが、視線を感じた時にふと我に返ってまわりを見ると、ほとんど誰もいないことの方が多い。人ごみの中を歩いていたはずなのに、視線に気が付いて我に返ると、まわりには誰もいない。違う世界に入りこんだわけではなく、目的地に向かっていく途中であることは間違いない。