寿命神話
「獣に会っては、自分は鳥だといい、鳥に会っては自分を獣だというコウモリは、そうやって生き延びてきたんだけど、中途半端な感じだよね。夢というのは、起きている時に感じると、寝ている時のものだという感覚なんだけど、逆に寝ている時に意識があるとすれば、夢というものを、現実世界のものなんじゃないかって思っているかも知れないということなんだ」
山内は、それまで夢について詳しく考えたことはなかったが、その話をしている時、今まで思いもつかなかったことが友達の話を聞いているうちに、いっぱい発想できたように思えた。
ただ、その思いも今まで感じたことがあったのかも知れない。覚えていないだけで、以前に感じたことがあるように思えるのは、まるで夢を見ている時に見る夢のようではないか。
――いろいろな発想を巡らせていると、気が付けば元のところに戻っている――
と感じたが、それは、普通に最短距離で元に戻ったわけではなく、一周回って、元の位置に戻ってきただけなのかも知れないとも感じた。
そういう意味では、
――発想が堂々巡りを繰り返しているように思うことがあるが、本当は一周グルっとまわって、元の位置まで回ってきたのではないか?
という発想が浮かび、とどまるところのない考えが浮かんでくるのが、おかしくて仕方がなかった。
そんなことを思い出していると、その友達もいつの間にか、どこかの宗教団体に入信したという話を聞いた。その友達のことを思い出したのは、宗教団体に入信したというのを思い出すための前兆のようなものだったのかも知れない。
――最近は、何を考えていても、最後には宗教団体のことに頭が巡ってくるような気がする――
と感じていた。
それも、堂々巡りを繰り返しながら、最後には同じところに戻ってくると思っている感覚に挑戦しているような思いだった。
麻衣にも、
「どうして僕よりもいつも早く来れるんだい?」
と聞いてみたかったが、顔を見ると聞こうと思っていた感情がいつの間にか消えてしまっているのを感じた。
その思いは、
「聞かなくても、いずれ分かる」
という思いなのか、
「そんなことは顔を見るとどうでもいいことだ」
という思いからなのかのどちらかだろう。
山内には、前者に思えてならなかった。
いずれ分かるというよりも、麻衣が自分の口から語ってくれるような気がするからだ。しかも、別に聞きたいという思いがあるわけでもない時、唐突に言われるような気がした。麻衣は、嬉々とした笑いを浮かべて山内を見つめている。そんな麻衣の顔を山内は想像するのが怖かった。
そんなことを考えていると、麻衣が自分の前に現れたのも、本当に偶然なのかと思えてきた。
もし何かの思惑があって現れたのだったら、山内にとって決して喜ばしいことではない。それは、嬉々とした笑いに、不気味なイメージを感じた顔を想像した時、怖さを感じたからだった。
刑事になってから、なるべく怖さを感じないようにしようと思っていた。以前から、余計なことを考えては不安を掻き立ててきた。なぜこんなに不安に感じるのか分からなかったが、どうやら、夢に見ていることを、ある瞬間に思い出すことがあったからだ。
しかも、その思い出すというのは、夢の内容を思い出すわけではなく、
――怖い夢を見た――
と漠然と思い出すだけで、内容を思い出せないことで、言い知れぬ不安に苛まれるのだった。
その日の麻衣は、普段の笑顔の裏に、そんな表情を隠し持っているような気がしてならなかった。ただ、別人になってしまったという感覚ではなく、それが元々の麻衣の正体だったのだと思えていた。
ただ、十年前の麻衣と今の麻衣が違っているのは間違いない。
――十年というのは、人を変えるには十分な年月だ――
その思いは刑事のような職業をしていると身に染みて分かっている。いつから自分はそんなことが分かるようになってしまったのか、きっと刑事という職業に違和感を覚えなくなってからのことだろう。
元々は、警官から刑事になった頃から、自分が求めていた理想と程遠いことに違和感を覚えていた。
人を助けることが刑事の仕事のように思っていたのに、組織も守らなければいけないというジレンマ、さらに、一つの事件を取っても、それぞれの立場の違いが、事件を引き起こすことの多さから、
――事件に巻き込まれるのも人間なら、事件を引き起こすのも人間、すべての人を助けるなど、できっこない――
分かっていたはずのことなのに、実際にその立場に立ってしまうと、襲ってくるジレンマに、息苦しさを感じてしまい、自分の存在すら罪であるかのような錯覚に襲われるくらいに悩みを抱えてしまうこともあった。
ただ、それは自分の過去の中に、記憶が欠落している部分があるのを山内が忘れてしまってたからだった。警官になってから刑事になるまでの間、どこかの記憶が欠落していることを意識していたはずなのに、刑事になる寸前か、刑事になってからだったのか、その記憶の欠落を意識していたということ自体を、忘れてしまっているのだ。
麻衣の秘密
山内は、麻衣がどうして急に自分を誘ったのか、考えていなかった。普段だったら、もう少し警戒心があるはずなのに、麻衣に対してだけは、自分が無防備になっていることに気づいていない。
「山内さん、佐土原さんと私がお付き合いしていたのを、あなたはご存じでした?」
お酒を呑み始めてすぐのことだった。
会ってからの会話も世間話を少ししただけだったのに、いきなり十年前の事故を思い出さされて、山内は茫然としてしまった。
「いや、それは知らなかった」
と、とっさに答えた。
山内は、十年前の自分を思い出していた。この事件のことは、必死に封印しようとしてきたこともあって、自分が十年前に戻らなければ、思い出せないことは分かっていた。それなのに、今の答えは十年前の自分を思い出す前に答えた言葉だった。
――反射的に答えてしまった――
と感じたが、答えたのは今の自分ではなかったことに気が付いた。
――呼び戻してもいないのに、勝手に戻ってきて、答えたんだ――
明らかに返事をしたのは、十年前の自分だった。
「山内さん、やっぱり記憶を失くされていたんですね?」
麻衣は山内に語りかけたが、その目は山内を正面から見ている目ではなかった。
顔の向きは完全に正面で、見つめる目の先にいるのも、山内に違いないのだが、焦点が山内を捉えていなかった。そのために、山内は自分が見つめられているように思えず、麻衣の声をまるで他人事のように聞いていた。
麻衣の目は山内の身体を通しぬけて、その向こうを見ていた。目の前にいる自分ではなく、その奥を見ていたのだ。
――彼女の言っている記憶を失くされているとは、どういうことなのだろう?
山内は目の前にいる女性が、最初誰なのか分からなかった。
――どこかで見たことがある――
とは思っていたが、その顔には追い詰められた様子が浮かび、今にも泣き出してしまいそうな気持ちを必死に堪え、その様子が、普段の毅然とした態度とのギャップを感じさせた。