寿命神話
山内は、すっかり武藤部長の話に引き込まれていた。
ただ、本人は洗脳されているという意識はなかった。
――話を聞いたことで、自分の中にある考え方を再認識しているだけだ――
という思いがあるだけで、山内に対して、武藤部長が洗脳しているという意識はなかった。
しかし、自分は刑事である。刑事として話をしている以上、
――相手を疑ってかかる――
という眼が曇っているわけではなかった。
だが、武藤部長の話を聞いている限りでは、今回の変死体事件が、自分が考えているほどの危険性が孕んでいる事件のようには思えなかった。
実際に殺害されたわけではない。確かに、死体遺棄と死亡しているのを隠していたという疑念は湧くが、それも何か研究に役立てる何かを目的にしているのであれば、それも無理もないことのように思えてきた。
――死んだ人の情報を吸い上げることができるんだろうか? そんなことは考えられない――
と思った。
もしそこまでできるのであれば、死体に何らかの細工もできるかも知れない。紀元研究会という団体を考えると、得体の知れない団体であることは間違いない。
そう思うと、さっきまで話していた内容には、疑ってみる余地はまったくなかった。だが、いったん話が中断して、自分の中で話と団体についてを冷静に考え合わせると、やはり自分が洗脳されているように思えてならなかった。逆に自分のように最初から疑ってみている人間ですらそうなのだ。何の疑いもなくただ武藤部長の話を聞いた人だったら、どう思うだろう? 世の中に反感や不満を持っている人間なら、武藤部長の話に陶酔してしまうのも仕方のないことだ。そう思うと、武藤部長が、いや、紀元研究会という団体が何を考えているのか、ますます奥深く知らなければいけないような使命感に駆られるようになってしまった。
しかし、武藤部長は、個人についてどう考えているのだろう? 個人よりも全体の押上を口にしていたが、
「個人よりも団体重視」
ということは、
「団体のためなら個人も犠牲にしてもいい」
と言っているようにも聞こえる。
そんなことが許されるとは山内は思わない。
失踪者がいても、半年も捜索願いを出さなかったのは、個人蔑視からなのか、それとも何かの時間稼ぎなのか、すぐには分からなかった。
しかし、冷静になって考えれば考えるほど、彼らのような宗教団体は、しょせん、今の世の中には溶け込むことができない団体にしか思えない。
――彼らの言っていることは理想なのだろうが、受け入れられなければ、しょせんはカルト団体で終わってしまう。この世から抹殺されてしまう運命でしかないんだ――
と思えてならなかった。
もう少しで、事件のことをうやむやにしてしまおうとしていた自分がいたことに気づくと、急に怖くなってきた。
――武藤部長は、さっきの会話で俺のことをどういう風に見たんだろうか?
自分の言葉を全面的に信じる相手だと思ったのだろうか?
確かに、話をしている時は、武藤部長の理論に完全に引き込まれていた。反対するつもりはサラサラなく、ほとんど陶酔していたように見えていたかも知れない。
しかし、
――俺は刑事なんだ――
と思い直すと、我に返った気がした山内は、やはり自分が洗脳されかかっていたのだということを悟ったようだった。
悟りというほと大げさなものではない。
悟るほどの長い会話だったわけでもない。しかし、引き込まれそうになったのも事実、――自分も普通の人間なんだ――
ということを思い知らされた。
しかし、そのことを思い知ったということで、それ以上、もう迷うことはないような気がした。相手の意見は意見として聞いて、疑うべきところは疑うという自然体であればいいのだ。
最初から、相手を疑って見るという意識が強すぎると、相手の意見委非の打ちどころがないと、自分の疑っていた気持ちが浅はかだったことに気づき、恥ずかしく思えてくる。それが相手の狙いだったのかも知れない。
山内のように、相手を疑って見る相手には、自分たちの意見を少し強めに諭すことで、自分のペースに嵌めてしまうというテクニックがあるようだ。
相手が、普段から疑うことで相手とは違うという意識を持っているという思いを逆手に取った絶妙な会話術。そのことに自分が冷静になっていくことで気づいてきた山内だったのだ。
「今日のところは、これくらいでいいでしょう。またお話を伺うことになるかも知れませんが、その時はご協力お願いいたします」
と山内は丁重に頭を下げ、武藤部長を見送った。
彼は車で来たわけではなかった。そのまま歩いて署を出ると、駅の方に向かって歩いて行った。
「彼は一人で来たんだね」
と新米刑事に訊ねると、
「ええ、そうなんですよ。いきなり受付に現れて、紀元研究会の部長だけど、今回の変死体事件の件で話があると言ってきたんです」
「それにしても、君はどう思う? 彼のことを」
と聞くと、
「何とも言えないですね。言っていることは、理解できる気はするんですが、冷静になって見ていると、理想だけを語っているようにしか見えなかったですね」
どうやら、彼は最初から信じてもいないようだった。
――そうなんだ、最初から疑って見ていれば、俺にだって理想だけを語っているようにしか見えなかったはずなんだ――
と思うと、自分の心の中にも、彼の話に共感してしまう何かが燻っていて、それがトラウマになっていたのかも知れないと思うと、何も言えなくなってしまった。
「しかし、彼らの言い分も分からなくはないんですよ。さっき理想だけを語っていると言ったのは、あくまでも刑事としての意見で、自分個人に立ち返れば、十分に理解できることなんです」
と新米刑事は語った。
「どういうことなんだい?」
「僕にも彼らと同じようなところがあるということです。特に警察組織のようなところにいると考えてしまうんですよ。警察というところは、市民の安全を守るのが仕事でしょう? でも、僕たちの安全は誰が守ってくれるというんですか? 国家が守ってくれるわけではない。警察の警察なんてありませんからね。もし、そんなことをすれば、その彼らを守る組織も必要になる。キリがないですよね」
「それは面白い発想だ。真面目な話、俺たちは、自分の身は自分で守らなければいけないからな。それには、国家というものが一つの組織であり、その中を形成する組織も乱れてはいけないことを示している。だから、警察組織を守るのも、俺たちの役目ということになるのかな?」
「でも、そんな意識はないですからね」
「警察組織を守るのは、警察のお偉いさんと、国会議員の先生たちなんじゃないかな? 下々の連中には分からないこと。だけど、そのせいで、時々理不尽なことに巻き込まれたりするだろう?」
「そうですね。捜査をしていて、急に捜査が中止になったり、捜査本部が解散させられたりすることもありますからね」
「そうなんだ。俺はそれを危惧しているんだが、その気持ちは俺だけではなく、警察の皆も思っていることなんだろうな。テレビドラマなどでは、結構そういう話がテーマになったりしているようだけど」