寿命神話
「佐土原さんのお母さんが優しい人で助かりました」
「でもどうして、佐土原さんのところに行ったんだい?」
「お墓参りに行ったんですよ。まだ街を出る前のことだったんですけど、ちょうど命日の日にですね。その時に、佐土原さんのお母さんとちょうど墓前で出くわして、お話をしているうちに意気投合して、お宅にお邪魔することになったんです。その時は三日間ほどの滞在だったんですけど、お母さんはよくしてくれました。まるで本当のお母さんのような気がするくらいにですね」
そう言って、麻衣は遠くを眺めるように斜め上を見つめていた。
「ひょっとして、その時に街を出る決心をしたのかい?」
「ええ、私のお母さんも、私が街に出たいと言ったら、反対するかと思ったんだけど、別に反対はしませんでした。『新しい人を雇うから、お前は心配しないでいいんだよ』って言ってくれたんです」
「それで、佐土原さんの方は?」
「私が街を出ると言えば、『じゃあ、私のところに来ればいい。私も一人で寂しいから、娘ができたようで嬉しいんです』って言ってくれたんです」
「それはよかったね。でも、お母さんは一人で寂しいって言っていたというけど、お父さんは? 確か、いたはずだったと思ったけど」
「ええ、佐土原さんが亡くなった時は確かにお父さんはいたそうなんですが、それから三年後に、急にお父さんが行方不明になったらしいんです。お母さんは息子を亡くして、夫が行方不明になって、本当に一人になってしまったんですね。私はそんなお母さんを見て、私が娘になってあげたいって本気で思ったんですよ」
「そうだったんだね」
父親が行方不明になったとは想像もできなかった。
確か佐土原さんのお父さんは、自分の家の父親とは逆で、実に頼りない人だった。気が弱くて、仕事もいくつも変えていて、定職についていたわけではない。そのくせパチンコやマージャンなどのギャンブルにのめり込んでいて、少しだが借金があったようだ。
そんな父親だったので、行方不明になって、母親はむしろ安心しているかも知れない。後で調べてみると、借金はすでに完済されていて、母親が返したわけではなく、行方不明になる前に、父親の方で完済していたようだ。
「それなら、行方不明になった理由は、借金取りから逃げているからだというわけではないようだ」
ということが分かった。
しかし、麻衣はそんな事情は知らなかった。
「お父さんがいなくなった理由、何なんだろうね?」
「よく分からないんですよ。お母さんも分からないって言っていました。でも、私と出会った時にはすでにショックから立ち直っていて、一人でたくましく生きていました。でも、やはり寂しいんでしょうね。私が見ていないところでは、寂しそうな顔になっていましたからね」
「よく分かったね」
「ええ、悪いとは思ったんですが、影から時々覗いてみたんです。だって、私はどうしても他人でしょう? いくら娘がほしかったと言っても、私が夫や息子の代わりになんかなれるわけはないからですね」
と、淡々と麻衣は語った。
「お母さんは、どんな人なんだい?」
ついつい人のことを聞いてしまうのは、刑事としての悪い癖なのか、思わず聞いてしまったことがどういうことなのか、気づいていない山内だったが、
「優しくて、強い人ですね」
と、気にすることもなく、ありきたりな返答をした麻衣には、以前警官だった頃の山内とは違っていることに気づいていた。
気づいていて返事をしなければいけないので、ありきたりな返事をするしかなかったに違いない。
今度は、麻衣の方から質問してきた。
「山内さんは、刑事さんになってから、結構いろいろな事件を解決してきたんでしょう?」
急に刑事の話をされて山内はハッとした。さっき、母親のことを聞いたことが、自分の刑事としての無意識の言動だったことに気づいたからだ。
――やっぱり、自分は刑事なんだ。そして、彼女も僕のことを、刑事として見ているだけなのかも知れないな――
と感じた。
山内は、普段と刑事でいる時の自分とを、意識して分けるようにしていた。そのいい例が自分のことを呼ぶ時、普段であれば、
「僕は」
というが、刑事でいる時は、
「俺は」
という。
意識して使い分けているのだったが、一人称の言い回し一つで、本当に自分が別人になったような気がしてくるから不思議だった。
「そうだね。解決したというほどではないけど、貢献はしていると思っているよ」
「そんなご謙遜を」
と言って、麻衣は笑った。
それにつられて山内も笑ったが、その笑いは麻衣の笑いとは種類の違うものだったに違いない。麻衣の笑いは愛想笑いの類だろうが、山内の笑いは、
――自分はそんなに謙虚な人間ではないのにな――
という照れ笑いにも似た、どちらかというと戸惑っているような笑いだった。
「最近は、どんな事件を扱っているんですか?」
麻衣は悪気はないのだろうが、捜査上の話を漏らすわけにもいかず、話を逸らすしかないと山内は感じた。
「そんなに大きな事件はないよ。細かいのがいくつか山積しているような感じなんだけどね」
というと、
「私の方で気になっていることもあるんだけどね」
と意味深なことを言う。
「ん? どんな事件なんだい?」
「最近、変死体がたくさん発見されているらしいというのを聞いたんだけど、不思議な感じですよね」
山内はその話を聞いてビックリした。
確かに、新聞には、小さな記事として変死体が発見されたことは載ってはいるが、毎日というほどのものでもないので、よほど気にしていなければ、変死体が多いというのは気にならないはずだった。
「どうして、それが気になるんだい?」
「佐土原さんも発見された時、溺死だったけど、変死体のような感じだったでしょう? 私は変死体という言葉には、少し敏感になっているの。だからかな? 気になってしまうのよね」
アッサリとした口調ではあったが、声の強弱から、佐土原に起こった事故と結び付けてしまっていることで、
「私は、佐土原さんが死んだのは、ただの事故だとは思っていないのよ」
と言っているように思えてならなかった。
ということは、佐土原という男性と麻衣は、もっと深いところで繋がっていたのではないかという思いもよぎった。だが、これもすぐに打ち消された。どうやら、山内は自分に都合の悪いことを思いついたら、すぐに否定して、忘れてしまおうとする性格のようだった。
もちろん、自分でそんなことが分かるはずもない。悟らせてくれるのはいつも麻衣なのは、ただの偶然なのだろうか。
「変死体というのは、自殺だったり、事故だったりする場合、どちらかハッキリさせるために、司法解剖をするんでしょう?」
「そういうことになるね」
「じゃあ、佐土原さんの時も司法解剖されたのかしら?」
「もちろん、してるよ。別に怪しいところもなかったので、事故だと判断したんだ」
「でも、解剖だけで分からないこともあるんじゃないかしら?」
「どういうことなんだい?」
「だって、あの人は泳ぎは達者だったって聞いているわ。だから、あの程度の池に落ちたくらいでは死なないと思うのよ。まさか、誰かに突き落とされたとかじゃないんでしょうね?」