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記憶の十字架

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 と、彼の背中を見ていると感じる。交通事故に遭うまではそんなことを考えたことなどなかったのに、どうしたことだろう。交通事故の前と後でどのように違うのか、睦月はこれから成人式を迎えてから、どのような考えを持つに至るのか、非常に興味があった。自分のことでありながら、まるで他人事のように思えるのは、客観的に自分を冷静に見ることができるようになったからであろう。交通事故に遭うまではそんな気分になったことはなかった。やはり、今回の交通事故は、睦月の中にある何かを失った時であるが、何かが弾けた時であるというのも真実なのかも知れないと感じた。
 ただ、森山を見ていて、風格を感じたり、大人を感じさせるのはいいことなのだが、それ以外で、何か不安に襲われるのも事実だった。
 彼自身に対して、何か怖がっているわけではなく、彼と彼を取り巻く何かが、睦月に対してどういう影響を与えているのかということを考えていると、どこか不安を感じてしまうと、隠しきれない不安がさらに膨らんでくるような気がしてきたのだ。
 そんな不安の中で一つ気になっているのが、時々見せる森山が睦月を見る目に不気味なものを感じていたからだ。
――以前にも、どこかで同じような目を見たことがある――
 と感じた。
 それが、いつの頃の誰だったのかなど、まったく思い出せない。ただ、吸い込まれそうなその目を見ていると、不安以外の何物でもないように思えてくる。ただ一つ違和感があったのは、
――どうやらその目は、女性の目ではなかっただろうか?
 と感じることからだった。
 その人が何を考えているのかまったく分からなかった。それが怖さを引き出したのかも知れない。少しでも考えていることが分かれば、どういう怖さかを判断し、対処のしようもあるのだろうが、なかなか分からなかった。
 しかし、退院する頃になって、森山のその目を見ていると、森山の考えていることは分からないが、かつて同じことを感じた相手の気持ちが少しだけ分かってきた気がしていたのだ。
――まるで先が見えていないのに、必死に先を見ている目だわ――
 先が見えなくても、ずっと見続けていれば、先が見えたような気がしてくるというもので、その時の女性は、そのことを知っていて、見えないと分かっていながらも、一縷の望みを掛けるかのようにじっと前を見据えていた。
 睦月にも、同じような経験をしたことがあったような気がした。
 あれは、高校時代に友達と登山に行った時のことだった。
 登山道というものは、途中までで、そこから先は、岩場をすり抜けるように歩いていったり、森の中を抜けていくような場所があったりと、多種多様な顔を見せる山だったが、その途中で、広い高原のようなところがあった。
 一面にすすきの穂が植わっていて、それが風に靡いている。普段見たこともないような光景に、背筋がピンとなって、どこまで続いているか分からないすすきの穂が棚引く高原を歩いていた。
 すすきの穂は、結構背が高かった。
 歩けば歩くほど先が見えていたはずなのに、次第に、目的地が分からなくなる。そんな時に後ろを振り向くことはできないが、まるで後ろにも目が付いているかのように、想像で後ろを見ていると、入ってきたところがまったく見えない状態だった。
 振り向くことができないのは、前後左右がまったく判別できないところで、進行方向と違う方向を少しでも向いてしまうと、どこから来て、どこに向かっているのかということが、まったく分からなくなってしまうからだった。
 ゆっくりと歩くのが怖いと思いながらも、何も考えず、猪突猛進してしまっては、後悔しても始まらない状況が生まれてしまうことが分かりきっていたからだった。
 そう思っていると、前を向いて歩いているつもりの自分が信じられなくなってくる。
――本当にこの道でいいのかしら?
 声に出したわけではないが、自分の声の余韻が耳の奥に残っているのは不思議なことだった。
――きっと、自分に言い聞かせようという意図が働いたからなんだわ――
 と感じた。そう思えば、自分の声を意識したというのも、無理のないことに思えてならなかった。
――季節は秋だったんだろうな――
 すすきの穂というだけで、思いつく季節は、秋しかなかった。空を見ると、決して天気がいいわけではなく、雲だけが足早に通り過ぎていく。
――すすきの穂が風に靡くのも当然のことだ――
 と思わせた。
 ゴーっという風の音が耳鳴りのように響いている。すすきの穂は、すべて同じ方向に靡いているのだが、まるでウェーブが掛かったかのように時間差でなだれ込んでいるのを見ると、まるで誰か人の手が絡んでいるように思えて不思議だった。
 ただ、この音は山でしか本当に感じたことがなかったのだろうか?
「睦月は山と海とではどちらが好きか?」
 と聞かれると、迷うことなく、
「山の方が好きだ」
 と答えるだろう。
 しかし、海が嫌いだというわけではない。確かに他の人のように
「海が好きだ」
 と、ハッキリと言いきれないところがあるが。海は海で、どういうところがいいのか、説明しろと言われると、何とか説明できるような気がしていた。
 このゴーっという音は、確か、サザエのような貝殻を耳に当てた時に聞いた音だった。ただ、本当はどちらもそんなに似ていないような気がしていた。それでも似ているというのは、どちらかが歩み寄ったのだろうが、睦月には、どちらが歩み寄ったのか、まったく見当もつかなかった。
 なぜなら、どちらの音も、睦月が意識している音ではないように思えてならないからだ。しいて言えば、風の音のように思えることから、
――山の方だ――
 と思っていた。
 海で聞こえる貝殻の音は、空気が充満していて、充満したところから逃げ出そうとしている音に聞こえる。その音は、漏れているというよりも、爆発前の音のようで、風の音が乾いた音であるのに対して、貝殻の音は、明らかに湿っている。山と海の特性を考えれば分かることで、海は湿気を帯びていることから、籠ったような音が聞こえても仕方がなかった。
 睦月は、湿気が嫌いだった。
 ということは、充満した空気が嫌いなのだ。
 どこか密集した空気は、呼吸困難に陥らせ、過呼吸がどれほどの苦しさなのかを感じさせるものだった。
 山の空気の薄さも本当は辛いのだが、飽和状態の爆発寸前の方がよほど恐ろしいと思っている。
 空腹状態であれば、満腹になりたいという欲が生まれるが、飽和状態から、何かの欲など生まれるはずなどない。
「海はあまり好きではないが、山は好きだ」
 というのは、こういうところからも考えられることである。
 そんな風に考えていると、森山と同じような目を感じたのは、
――自分の中で、海と山を自然な気持ちで比較していたからなのかも知れない――
 と感じた。
 そして、その目を持った人が違う環境にいる自分のような気がして仕方がなかった。
 退院してからの睦月は、記憶を半分失っているという事実を、あまり意識しないようにしていた。
作品名:記憶の十字架 作家名:森本晃次