記憶の十字架
と言いたいくらいだったが、どうやらそうではなかったようだ。考え方を変えれば、今まで理解できなかったことが理解できるようになった。それは、
――見る角度を変えてみる――
という考えで、頭が先に進んだからなのかも知れない。
その頃から、記憶の中に、
――時系列――
というものを意識するようになった。
たとえば、自分の中でハッキリしている記憶は、だいぶ前のことでも昨日のことのように感じられるが、逆に意識として薄いことは、いくら昨日の出来事であっても、かなり前に感じられたりする。
一種の錯覚には違いないのだが、錯覚を呼び起こすほど、意識が記憶をかなりの割り合いで、
――浸透――
しているのではないだろうか。
浸透という言葉は生き物であり、昨日はかなり奥まで入りこんでいても、次の日になれば、押し戻されていることもある。進みっぱなしというわけではないのが、記憶に対しての意識だった。
だが、そんな意識があったのは成長期のこと、大人になってくるにつれて、精神的に落ち着いてくると、時系列に対しての感覚は変わらなくとも、それほど、意識を強く持つということもなくなってきた。きっと状況というものに慣れてきたのかも知れない。
だが、時系列という感覚は、意識の奥にハッキリとあった。時系列に狂いが生じるのも意識の中で分かっていた。
そんな意識が、最近の交通事故で記憶が半分失われてしまったということを聞いたことで、今まで意識せずに来たことを、再度意識しないといけない状況になってきたことを、睦月は考えるようになってきたのだ。
――失われたと言われる記憶は、時系列に対して、何かの法則があるのだろうか?
まず、失われた記憶について考えた時、最初に頭に浮かんだのが、時系列に対してのこの考えであった。
実際に、記憶が失われたと言っても、考えられる範囲では、意識や記憶が飛んでいるところはなかった。それは、失われた記憶があるということを意識してしまったことで、強引にでも辻褄を合わせようとする意識が働いているからなのかも知れない。ただ、もしそうであれば、時系列は、自分の意識の中で、無作為に何かの役目を果たそうとしているのではないだろうか。
時系列を意識していると、
――失われた記憶の中に、自分が森山に対して何かを隠そうと思っていたという意識が、さらに信憑性を帯びてくるような気がする――
と感じてくるようになっていた。
睦月は、自分が森山に対して、
――この人は、私の記憶にある森山さんとは、何となく違っているようだわ――
という疑いを持つようになっていた。
疑いというのは、錯覚に近いもので、自分の記憶の失われた部分のほとんどが森山に対してであれば、意識が違ってくるのも当然というものだが、もし、失われた記憶のほとんどが森山のものであるとすれば、それを、
――ただの偶然――
として片づけていいものなのだろうか?
睦月は、自分が何を気にしているのか、考えているうちに少しだけ分かってきたような気がしてきた。
最初にベッドの上で気が付いた時に感じ、今もその言葉を信じている、
「年が明けたら、結婚しよう」
という言葉、これがどうも違っているような気がして仕方がなかった。
今年、二十歳になる睦月は、自分がまだ未成年であることをずっと意識してきた。
森山は今年二十五歳になる。五つ年下なのだが、未成年であるという意識のせいで、自分が彼から見ると、
――まだまだ子供だ――
と思われているように感じられて仕方がなかった。
まだ、未成年だったのだから仕方がないが、そんな彼が、まだ未成年の自分に対し、結婚を口走るようなことがあるかどうか、疑問だったのだ。
本当は、
「成人式が済んだら、結婚しよう」
だったのではないか?
もし、そうだとすれば、どこで勘違いしたのか、意識が考えてしまう。やはりそこには時系列に対しての考えが、見え隠れしているのではないだろうか。
――そういえば、どうして森山さんと結婚しようなどと思ったのだろう?
森山が彼氏で、ずっと付き合っていたという意識はあったが、
――結婚を本気で考えたことがあったのか?
と聞かれると、少し疑問であった。
確かに、結婚を前提に付き合っていたのは間違いない。このまま他に好きな人が現れなければ、時期が来た時に付き合っている相手と結婚を考えるのは当然のことではないだろうか。今現在として、その一番近くにいるのは森山である。他の人が考えられないという点で、結婚を前提であったと思うのが自然である。
森山からプロポーズされたという意識はあまりない。どちらかというと、森山の方が、結婚に対してクールだったのではないかと思っている。ただ、結婚しようという思いが高まってくると、最初に切り出すのは男の方からというのが普通ではないだろうか。だから結婚の話を切り出されて驚きはあっても、それはいきなりだったというだけで、まんざらではない。睦月の方も、
――結婚するなら、森山とだろう――
と思っていたのも事実だった。
ただ、まだその時は未成年だった。成人と未成年という境を気にしているのは睦月の方というよりも、森山の方だったのかも知れない。まわりから結婚を反対されていたわけでもなく、どちらかというと、森山という青年は、睦月の親からは好感を持たれていたはずだった。
そういう意味で、余計に森山の方が成人にこだわるのかも知れない。
せっかく睦月の親から好感を持たれているのだから、無理に急いで結婚する必要もない。少なくとも成人してからでも遅くないはずだ。睦月もそのことがよく分かっていた。そんな森山の気持ちが嬉しいとも感じていたし、森山なら、自分も含めて、親も大切にしてくれるだろうという思いが強かったのも事実だった。
睦月は自分の親について考えてみた。
睦月の両親は、田舎暮らしが長かった。睦月を生んだのは、都会にいる時だったらしいのだが、すぐに田舎に引きこみ、睦月は自分の記憶の中で、都会で暮らしたという思いはなかった。
高校二年生の頃くらいまでは、都会についてまったく興味がなかったのだが、進学を考えるようになって、少し都会を意識し始めた。四年生の大学ではなく、短大に進むことを考えていた睦月は、今住んでいる街の短大を目指して勉強を始めたのが、ちょうど高校二年生の頃からだった。
元々母親が都会に出た時に住んでいた街が、今睦月が住んでいる街である。都会と言っても、それほど大都会ではないが、それでも、学校や病院、一般企業もたくさん進出していて、それなりの都会であった。母親が住んでいた時代とはかなり様相が違うのはもちろんだが、短大を卒業してからも、このまま田舎に帰らずに、この街で暮らすことを決めていた。
両親に反対されるかと思っていたが、
「あなたがそれでいいなら、好きなようにしなさい」
と、アッサリと両親は認めてくれた。中学時代までは結構厳しかった両親だが、高校に入学すると、ほとんど何も言われることもなく、現在に至っている。心配はしてくれていると思っているが、少し拍子抜けしているところもあった。