記憶の十字架
ただ、森山は、半分記憶を失っている睦月を見た時、彼女のことが今まで分かっていたであろうことも、分からなくなってしまったことを自覚していた。しかし、今の睦月を見る限り、半分失ってしまったという記憶の中に、森山との記憶は含まれていないようだ。森山と接している時の睦月はいつもの睦月であり、ただ、記憶を失っているという意識があるだけで、後はいつもの睦月だった。
だが、森山にはまるで別人のように感じられた。それは睦月が森山に遠慮しているからで、結婚しようとまで感じた相手に今さら遠慮するなどおかしなことだった。
敦美は、なぜ森山の気持ちも睦月の気持ちも分かるのか、考えてみればそんなことは不思議なことだということに気付かなかった。当たり前のこととして頭を巡らせていたが、急に、目の前にいる二人が、見えている二人と、自分に考えを巡らせるために立ちはだかっている二人と違っているように思えた。
それは、自分の中にある潜在意識と、表に出ている気持ちの違いにも似ている。敦美は二人の潜在意識を見ているのではないかと思った。もちろん、本来なら目の前に見えている表面上の二人しか見えないはずなのに、潜在意識を垣間見てしまうと、
――見てはいけないものを見てしまった――
という意識に駆られたとしても無理のないことであろう。
ただ、そんなことができる相手というのは、限られた人間なのではないかと思う。
考える方の人間も限られていて、考えの中に浮かんでいる人間も限られている。それぞれに限られた中に存在しているからこそ、潜在意識を覗けるのだろう。
――睦月が記憶を半分失ったというのは、そのための代償なのかも知れない――
敦美はそこまで考えるようになっていた。
――同じ時間に存在しているようで、実は少しずつ時間がずれた存在を見ているのかも知れない――
考えていけば、留まるところを知らない。
敦美は小説を読むのが好きで、しかもSFチックな小説が好きだった。
その中に、自分から絶えず五分先に行動している自分の存在を描いたものがあった。その話は、自分がこれからしようとしていることを先回りしている自分がいて、しかも、自分に関わりを持った人すべてが、
「なんだ、また戻ってきたのかい?」
と言って、主人公が二人いることを信じない。
それは当然のことだろう。主人公が反対の立場なら、そんなことを信じられるわけもないからだ。
自分がその五分前を進んでいる人間の立場になって本を読んでみた。主人公は五分後の人間であり、自分がするはずのことを、五分先の自分に先起されているのだから、これほどたまらないものはない。だからこそ、主人公は、五分後の自分になるのだが、敦美は別の考えを持っていた。
――五分前の女性は確かに先に自分がするのだから、後の自分よりもショックは少ないだろう。しかし考えてみれば、主人公を後の自分に持って行かれて、先に行動した自分とは違う人が評価されることになる。つまりは、まったく影の存在であり、逆に知られてはいけない存在だとも言えるのではないだろうか?
そう思うと、悲哀に満ちているのは、五分前の女ではないだろうか。
表に出てきた心理を描くなら確かに五分後の自分の姿だが、本当の深層心理を描くのであれば、五分前の自分の姿である。しかし、深層心理ほど描くのが難しいことはない。そう思うと、やはり描きやすい五分後の自分が主人公になるのは当然のことだ。
しかも、五分後の自分が主人公になったとすれば。五分前の自分というのは、まるでピエロのような存在である。主人公を引き立てるための道具に使われるだけで、考えていることを表現してはいけないだろう。
――そのことと、睦月が失った半分の記憶というのは、何か結びつきがあるのではないか?
と、敦美は考えるようになった。
睦月の失った記憶というのは、五分前の自分なのか、五分後の自分なのか、睦月はそのことに気付いたために、記憶を失う羽目になったのかも知れない。
だからこそ、本人にはまったく意識がない。まわりから見ている人にも分からない。先生だけが分かったようだが、それも本当にただの偶然として片づけてしまってもいいものなのだろうか? 先生が睦月に記憶を失っていることを告げたことが、ここに来てさらなる疑問を生むことになったのだ。
「先生は、彼女の失った記憶に対してまったく心当たりはないんですか?」
と聞いた時、
「彼女のプライバシーに関することは分からない。でも、その記憶が持つ意味は分かるような気がする。失ったという意識がないということは、彼女の意識の中にはない記憶だということだからね」
と答えていた。
「本人が意識していない記憶?」
「そうだよ。元々、記憶というのは、意識から派生したものなので、必ず、記憶するには意識が働いているはずなんだ。でも、彼女の場合には失われた記憶に、意識が働いていないような気がする」
「そんなことってあるんですか?」
「普通では考えられないよね。でも、それは平面を見ているからそう思うのであって、立体的に見ると、その考えに凝り固まる必要はなくなってくる」
「どういうことなんですか?」
「つまり、縦と横だけしか見ていないところに、高さを加えるということだよ。それが時間になると四次元ということになるんだろうけどね」
「それって、その人の存在が無数にいるということですか?」
「考え方を変えればという意味で、可能性というところまでの話をしているつもりもないんだ。もっとも、医者の立場で、こんな非科学的な話をしてはいけないんだろうけどね」
「でも、それは心理学という意味では、ありなんじゃないですか?」
「そうかも知れないね。彼女が記憶を半分失っているのは事実であって、今はそのことについていろいろ推測しても始まらないのかも知れないけど、僕は彼女の記憶は無理に取り戻す必要もないと思っている」
敦美は少し疑問を感じた。
「えっ? それじゃあ、彼女に記憶を半分失っているということを告げる必要はないんじゃないですか? なまじ彼女が記憶を失っているということを知ってしまうと変な意識をしてしまうかも知れませんよ」
「そうじゃないんだ。無理に思い出すことはないんだけど、彼女は自分の記憶を半分失っているということを意識しなければいけない」
「どうしてですか?」
「それは、彼女が意識した上で、自分の中で記憶を思い出す必要がないという結論を見出す必要があるんだ。それは記憶を失った彼女のいわゆる試練のようなものだね」
「どうして彼女が試練を味わう必要があるんですか?」
「それは、記憶を失うということが、彼女の意志であるからさ。人が記憶を失うには、必ず自分の中でどんなに一瞬であっても、意志が存在しなければ成り立たないことなんだ」
敦美は、またしても考えてしまった。
「それは、信憑性のあることなんですか?」
と口にして、敦美はハッと感じた。この質問は、ずっと話をしていたことに水を差すと思ったからだ。今までの話はすべてが想像の域を脱しているわけではない。それなのに、今さら信憑性の話など、ナンセンスもいいところだからだ。