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記憶の十字架

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 と敦美は考えたが、本来ならそれが普通の言葉だった。相手にいくら全幅の信頼を置いているとはいえ、一度は自分で納得がいくように考える必要があることを忘れていたのか、分かっているのに、意識しないようにしていたのか、結果的に何も考えずに、彼の言葉に従うようになっていた。
 睦月が運ばれてきた時、敦美はちょうどそんな気持ちになっている時だった。だから、敦美には、睦月が何も言わなくとも、接しているだけで、今の自分を見ているような気がして仕方がなかった。
 森山という男性が、睦月をどのような目で見ているかということが、おぼろげながら分かっていた。
――うちの旦那と同じような目をしているわ――
 本当に森山が睦月のことを愛しているのかどうかは分からないが、何か疑いを持っていることは分かっていた。
――記憶を失っているということに疑問を感じているのかしら?
 確かに婚約者からすれば、自分の奥さんになる人の記憶が半分失われているということはショック以外の何物でもないはずだ。
 結婚前だから、相手のことを何でも知っておかなければいけないと思っている人もいるだろうが、たいていの場合は、ある程度のところで結婚を決意する。相手のことをすべて分かるまでに時間が掛かるというよりも、「長すぎた春」を嫌っているのだろう。
「長すぎた春」というのは、敦美もまわりから言われていたことだった。
 付き合い始めて結婚まで五年近くが掛かった敦美だったので、そう思ったとしても仕方のないことであったが、自覚はしていたつもりでも、それが悪いことだという意識はなかった。それよりも、彼の方が考えているようで、女性の自分の方から急かすようなことをしてはいけないという思いが働き、何も言えなかったのだ。
 その思いが結婚生活にまで影響していた。
――私は彼の意見に従っていくのみ――
 という思いが強かったが、ただ、それも自分の考えが彼の意見とさほど違わないという前提の元であったのだ。
――元になるものが狂えば、すべてが違ってくる――
 というのが前提としての考え方であって、生活に慣れてくると、次第に前提を忘れてしまって、
――彼の意見に従うこと――
 それがすべてになってしまっていたのだ。
 もし、結婚生活にヒビが入ることになったとすれば、その原因は、
――「前提」を忘れてしまったこと――
 がすべてだということになるだろう。
 敦美は、まだそこまで感じていない。どこか結婚生活に疑問は感じていたが、失敗だったとは思っていない。
 もし、敦美が前提を思い出せば、離婚の危機を悟ることだろう。
 そこで危機を回避できるか、それとも離婚に向けてまっしぐらになってしまうかの二つに一つだと思った。敦美の中で中途半端はありえない。特に自分に関係のあることを中途半端に終わらせることは決してできないのだ。
 だが、敦美は今前提を思い出すことができない。だから疑問のまま燻っているわけだが、それは敦美の中にある予感めいたものが、扉を開けることの恐怖を予見しているからなのかも知れない。
 危機を予見する力は敦美の中に備わっているようで、結婚しようとしている二人を見ていて、ひょっとするとそのことに気付かされたのかも知れない。
 最初は睦月のことばかり気になっていた敦美だったが、次第に森山のことも気になり始めた。
 それは森山が、自分の中に知らず知らずに入りこんできていることを感じたからだ。もちろん、森山にその意識があるわけではない。敦美が勝手に、彼が入り込んできているように感じているだけだ。それはまるで彼の中にいるもう一人の彼が、敦美の中に入りこんできているように感じられたのだ。
 敦美の中にいる森山は、自分の方が年下なのに、まるで年上のような存在に感じられた。貫禄があるわけでもないし、森山のことの何を知っているというわけではない。ただ、
――初めて会ったわけではない――
 という思いがあるだけで、どうして森山のことがそんなに気になるのか、自分でも分からなかった。
 もう一人の森山が自分の中にいてくれるだけで嬉しい思いになっている敦美は、本当の森山が何かで悩んでいることに気が付いた。
 最初はそれを睦月との結婚について悩んでいるのかと感じていたが、どうもそうではないようだ。自分の中にいる森山は、睦月のことを考えているわけではないように感じたからだ。
「あなたは誰のことを考えているの?」
 と問いかけてみると、
「俺には妹のように思っている女の子がいるんだけど、その娘が心配なんだ」
 と、答えてくれた。
「何が心配なの?」
「ハッキリとしたことは俺にもよくは分からないだけど、その娘が自分の前からいなくなるような気がするんだ」
「それは、その娘があなたのことを見限るということ?」
「そうじゃない。もしそれならそれでいいと思うんだ。時間が経てば忘れてしまうこともできるであろうし、自分で納得できる答えを見つけることができるかも知れない」
「え? でもそれ以上の心配というのはどういうことなの?」
「それは、きっと敦美さんになら分かってくれているんじゃないかって思うんです。もちろん、今のあなただからですね。『分かってくれている』ではなく、『分かっている』という思いですね」
 敦美は少し考えていた。森山が何を言いたいのか頭の中で整理しようと思ったからだ。
――森山は、完全に今の私ならすでに分かっているという言い方をしている。そのことがとても重要なことのように話しているけど、今の私だから分かるという理屈が少し難しかしいわ――
 最近敦美が考えていることは、どうしても、旦那のことになってしまう。他のことを考えていても、行きつくところは旦那のことだ。つまりは、森山も同じことであって、何かを考えていたとしても、きっと最終的にその女の子のことに行きつくということなのだろう。
 気になっているということが、
――自分の前からいなくなる――
 ということであった。敦美はそのことを考えてみると、
――確かに、ハッキリしていることで、これほど恐ろしく感じることはないのかも知れないわ――
 と感じた。
 全幅の信頼を置いている結婚相手と、別れることになったとしても、そこにお互いに納得できることがあるとすれば、結果として、一時の苦しみで済むかも知れない。しかし、自分の前からいなくなるということが分かっていて、結局何もできなかったということになれば、一生悔いを残すことになるかも知れないと思うと、それは容易なことではないだろう。
 敦美は森山が睦月のことに対して二の次の考えを持っていることを知ると、急に睦月が可哀そうになってきた。
 半分記憶を失っているにも関わらず、全幅の信頼を置いている相手が違う女性のことを考えている。睦月が知らないのをいいことに、このような状況を見てしまった敦美は、自分の運命を呪ったりはしないが、恐ろしく感じるのだった。
作品名:記憶の十字架 作家名:森本晃次