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記憶の十字架

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 と思うようになった。その時点では、まだ睦月とユキが会うことに対して、それほど怖いとは思っていなかった。本当に怖いと思ったのは、睦月が交通事故に遭って、記憶が半分消えたというのを聞かされた時だった。
 ユキは、森山の勧めで、睦月に会うことにした。
 森山立ち合いの席で、二人が会うのが本当なのだろうが、ユキはそれがちょっと怖かった。
 ユキは睦月の行動パターンを森山の知らない間に調べた。そしてそれ以前に、
「睦月さんは、私のことを知っているの?」
 と、森山に聞いた時、
「うん、妹のように可愛がっている女の子がいるって話したことがあるよ」
 と、言ったことで、睦月が森山の口から自分の存在を知った。そして、森山を介さずに先に二人だけで会うという計画を画策するに至ったのだ。
――偶然を装って、二人だけで会う――
 という計画を考えたのが、何と睦月が交通事故に遭った日のことだった。
 普段であれば、通りかかる場所に、いつまで経っても睦月が現れないので、
――今日は、予定ができたのかしら?
 と思って、せっかく自分の気持ちを盛り上げてきたのに、肩透かしを食らわせた形になったことに苛立ちを覚えた。約束をしていたわけではなく、まるでストーカーのような行動を取っていた自分への報いだと思うと、それも仕方がないと思ったが、まさか交通事故に遭っていたなど思いもしなかったので、その日、交通事故に睦月が遭遇したという事実を森山から聞かされた時、まずショックを受けた。
 さらに追い打ちを掛けたのが、記憶を半分失ったということであり、これは、ユキが自分を責めるに十分な効果があった。
――こんなこと考えなければよかった――
 と、普段あまりしない後悔を、その時、嫌というほど味わったのだった。
 自分を責め始めると、底がないということにユキは初めて気が付いた。逆にいえば、今までに一度も自分を責めたことがなかった。そんな自分が今では不思議だった。
――私も二重人格?
 姉や妹を見ていて、二重人格だと感じていたが、本当は自分もだったなどというオチをユキは感じていた。
――自分も誰かから見れば、お姉ちゃんのように、無表情の中に、一つの感情しか含まれていないように見えるのかしら?
 と、感じたのだった。

 病院で入院していた最初の頃、睦月の付き添い看護婦だった人がいる。
 彼女は、睦月が記憶を失っているということを医者から聞かされて、不思議に思っていた。
「先生、あの河原睦月という患者さんなんですが、本当に記憶を失っているんですか?」
 と医者に聞いてみると、
「どうして、疑問に思うんだい? 様子も普通ではないし、私が今まで診てきた記憶喪失の患者さんとパターンを比較しても、かなりの確率で記憶を失っていると思われる。それも半分くらいのね」
「すみません。私にはよく分からないんですが、どのあたりがそうなんですか?」
 と聞くと、
「交通事故に遭って気を失っている彼女が目を覚ました時というのは、普通なら夢から覚めた時のような感覚があって、自分が見ていた夢を何とか思い出そうとするものなんだよ。本当なら、まだ夢の世界を彷徨っているような気になるはずなのに、彼女の目はしっかりしていた。つまり、彼女は気を失っている間に過去のことが走馬灯のように巡ったはずなんだ。それを意識していないということは、その部分が起きた瞬間に記憶から失われたんじゃないかって思ったんだ」
 主治医の先生は、臨床心理学の学者としても、かなりの権威であることは知っていたので、
――先生のいうことなら、間違いはない――
 と思えた。
 それなりに話の内容に説得力もあり、納得するには十分なのだが、睦月の顔を見ていると、納得できない部分がどこかにあるような気がして仕方がない。
「私は、どうしてもあの河原睦月さんという患者さんを見ていると、先生の話をすべて理解できる気がしないんですよ。あの人が特別なのか、私が特別なのか、自分でもよく分からないんですよ」
 というと、先生は笑いながら、
「じゃあ、君たち二人とも、特別なんじゃないかい?」
 とアッサリ言われてしまうと、
「先生、酷いですよ。私は真剣に考えているんですから」
「いや、ごめんごめん。でも、君がそう思うということは、君自身も、自分が特別なんじゃないかって自覚しているからなんじゃないかって思ってね。そうじゃないと、そんな疑問は浮かんでこない気がするんだよ」
「そうですね。私も自分を特別だって見る必要があるのかも知れません」
「でも、それは君は絶えず考えている必要はないんだ。普段は普通だと思っていていいと思う。ただ、彼女の前に出た時だけ、彼女を特別だと思うのなら、自分を特別だという目を持って見てみるのも必要だという意味だよ」
「分かりました。そう言ってもらうと先生の話も理解できます」
「私も、少し君たち二人の様子を見てみるようにしよう」
「ありがとうございます。でも、先生はどうして、睦月さんにハッキリと記憶を半分失くしているって言ったんですか?」
「そこは確かに難しい問題だと思う。結論から言うと、言う言わないは、主治医の判断だと思うんだ。『こんな時は言ってはいけない』なんてマニュアルがあるわけではないからね。僕は、彼女には言うべきだと思った。それだけのことさ」
 最後のセリフを簡単に言いきったが、その言葉に重みがあることを彼女は分かったつもりだった。
 彼女は、睦月に対して、なるべく特別な態度を取ろうとはしなかったが、睦月の方から結構話しかけてくることが多かった。睦月のところに時々やってくる森山という男性も、睦月の記憶が失われているという話を聞いて、信じているようだ。
――ここで疑問を抱いているのは、私だけなのかも知れないわね。でもどうして私はそんなに疑問を抱くのかしら?
 確かに、記憶を半分失っているということが事実であるという方が不自然な気はするが、これだけまわりの人が信じていると、そっちの方が真実のように思えてくるから不思議だった。

 看護婦は今年二十五歳になる人で、結婚しているという話を聞いた。
 名前は、吉谷敦美という。名札に書いてある名前を見ればすぐに分かった。
――敦美さんは、どうやら、私の記憶が半分失われているということを信じていないようだわ――
 と、睦月は感じていた。
 本当は、敦美は信じていないわけではなく、
――記憶を失っているということに疑問を抱いている――
 というのが正解だった。
「どこが違う?」
 と言われるかも知れないが、まったく違っている。
 疑いを持っているというのは、一旦は信じてみようと思ったが、どうしても納得できないところがあり、そこに疑念が残ったということであり、信じていないというのは、文字通り、最初から信じていないということである。一度は信じてみようと思ったわけなので、少しは信じているのだろうが、その思いが却って、自分を追い込むことに得てしてなるもので、最初から信じていないのなら巻き込まれることもないことに、なまじ一度信じてしまったために、巻き込まれてしまうことにもなりかねない。ここでの睦月の思いと敦美の思いの違いがどのように作用していくか、興味深いところであった。
作品名:記憶の十字架 作家名:森本晃次