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記憶の十字架

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 そのタイミングが絶妙であればあるほど、お互いに気を遣っているなどという感覚はなくなってくるに違いない。いわゆる、
――ツーカーの仲――
 というやつだろう。
 森山は睦月の話を聞いていて、自分が引いていることに気付いた。しかも、引いているところを見下げるようにすると、そこには存在しないと思っていた溝があったのだ。深い溝で、見えるわけがない底の部分を、一生懸命に探っている。
 睦月はそんな森山の気持ちを知ってか知らずか、ずっと話し続けている。それも普段にはないほどの力強さがあった。自分の話に夢中になるとまわりが見えなくなるというが、睦月は確かに他の人が相手の時には、その傾向があったが、相手が森山であれば、そんなことはありえなかった。
 なぜなら、普段からツーカーの仲だと思っていたから、相手が引いたり押したりしてくるところは分かっていた。自分のタイミングで話をすることができたのである。
――本当は鈍感なのは、森山さんではなく、私の方なのかも知れないわ――
 ふと我に返るとそんなことを考えた。睦月は自分の記憶が半分失われていることで、何か焦りのようなものがあるのかも知れないと思っていた。だが、それを水際で防いでくれていたのが森山だった。
――森山に対して、自分が思っているよりも大きな負担を掛けているのかも知れないわ――
 と感じたことで、睦月はそれまで嫌いだった、
――服従――
 という言葉が頭を擡げてくるのを感じた。
――彼に、服従する気持ちになってみようかしら?
 と睦月は考えた。
 だが、それは意外と簡単なことであり、しかも、自分が楽であった。相手のいうことさえ聞いていれば、それでいいからだ。特に無理強いなどするはずもない森山なのだ。却って大船に乗った気持ちになってきた。
 最初の謙虚な気持ちが少しずつ瓦解してくる。人間、どうしても楽な方へ行きたがるものだ。
 そのことを忘れかかっている睦月は、
――忘れることを、意識しないようになってきた――
 と、森山に感じさせるようになった。
 森山は、睦月の考えが分かっていた。分かっていて、その気持ちに敢えて乗った。
――可愛いものだ――
 いくら、相手が楽をしようとしているのが分かっていても、見ていて可愛いのである。
――癒される――
 そんな言葉が一番似合うのが、今の睦月だった。電車の中で隣に座っている女の子が、揺れに誘われて気持ちよく眠っている時、電車の揺れで自分の肩に頭を乗せてきた時のようなドキドキ感と同じようなものを感じた。まったく知らない相手が自分に委ねているような感覚、錯覚でしかないと分かっていても、髪の毛が喉に触ってくると、さらにドキドキを抑えることはできない。森山は、
――癒される――
 という言葉を聞くと、最初に想像するのが、電車の中でしなだれてくる女の子の画だったのだ。
 森山は、自分の中で、それまで歩んでいた道とは違う方向に向かっていることに気付いていなかった。むしろ気付いていたのは睦月であるが、睦月も森山が以前に感じていたように自分の路線から降りるのを恐れた。お互いに時期は違えども、相手が違う路線を歩んでいることに気付いたがどうすることもできなかった。
 なぜなら、
――自分の進んでいる道が、本当の道なのか分からない――
 という思いがあったからだ。本当の道ではなくとも、自分が信じることができる道なら、相手の手を引っ張っていきたいと思うのだろうが、信じることもできなかった。
 それは、お互いに自分の記憶に失われた部分があるということを自覚しているからであり、どうしても、この思いが何か行動に移させることを、否定してしまうことになるのだった。
 睦月は敢えて、森山以外の男性を見てみようと思った時期があった。それは森山が自分から離れていくのではないかと思った時期であり、それは勘違いだったのだが、他の男性をその時に見ることができたのは、悪いことではなかった。
 他人行儀という言葉があるが、睦月が他の男性を見ていて、その思いは感じなかった。確かに、他の男性に少し靡くような素振りを見せると、優しくしてくれた。
 馴れ馴れしいほどに優しくしてくれると、今度は、次第に下心が見えてくるようになる。
 それまで森本以外の男性を見たことがなかったので、そんな下心を見抜く目など、持ちあわせているはずもないのだが、そんな目を持っていないことが逆に相手を新鮮な目で見ることができるようになってきた。
 それは、
――男性としての森山との比較――
 だったのかも知れない。
 しかし、考えてみれば、
――今まで男性としての森山を意識したことがあっただろうか?
 森山と結婚を前提に付き合っているつもりだったし、森山以外に他の男性を考えられなかったのも事実だ。最初の男性が森山ではなかったというだけで、森山を知ってからは、森山以外に目もくれなかった自分にいじらしさを感じながら睦月は、
――森山も同じ気持ちなのだろう――
 と思っていた。
 だが、記憶を半分失ったということを医者から聞かされてからの睦月は。森山を見る目が少し変わっていった。他人という意識まで至るはずはなかったが、今まで感じていた森山に対してのイメージとは、明らかに違うものだった。
――森山さんは、私の後ろに違う人を見ている――
 という意識が芽生えてきたのである。
――錯覚なのかも知れないわ――
 と自分に言い聞かせたが、錯覚であったとしても、一度そう思ってしまうと、その思いは頭の中から離れなくなってきた。何しろ、医者から、
「記憶の半分は失われている」
 と言われたのだから、その分だけ頭の中に余裕はあるのだ。
 急に記憶を失くしてしまったということを、冷静に受け止めることができるようになったのが、森山の、
――自分の後ろに誰かを見ている――
 という感覚であったというのは、実に皮肉なことである。
 ただ、そのことが分かったというのも、
――彼のそんな目は今までにもあったような気がする――
 と感じたからだ。要するに、初めてではないということだった。
 だが、その時に自分がどのような態度を取ったのか、記憶になかった。
――これが失われた半分の記憶の一部なのかしら?
 と感じたが、記憶を失ったという意識がないのに、それはおかしいと感じた。
 失った記憶を意識していないということは、それだけ残っている記憶に、繋がりがあるということである。つまりは、
――途中で切れている記憶というのは、存在しない――
 ということだ。
 森山に対して疑惑の記憶が残っているのに、その後、自分がどのような態度を取ったかということだけを忘れているというのはおかしなことだった。
――ひょっとして、私はその時、何もしなかったんじゃないかしら?
 それは疑いを持った気持ちを自分の中で整理したということであろうか?
 睦月は自分で納得しなければ、先に進むことのできない性格である。どのようにしてそこで自分を納得させたというのだろう?
 それを覚えていないというのもおかしな話だ。
――私自身、今回の記憶の欠落とは別に、自分が意識して記憶を封印したことも結構あるんじゃないかしら?
 と感じるようになった。
作品名:記憶の十字架 作家名:森本晃次