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記憶の十字架

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――ストーリーこそがまるで空気のようであり、リアルを通り越した感覚を湧き起こすことができる――
 と思っていた。
 そういう意味では、睦月は歴史も好きだった。
「歴史というのは、人間物語なんだけど、実際にその時代を知らないだけに、リアリティはない。でも、どんな小説よりも面白いと言って感じる人もたくさんいるんだ。それはきっと、歴史を推理するからなんじゃないかな?」
 これは、中学の時の先生の話だったが、ミステリーに嵌っていた睦月は、その話を聞いて、歴史にも興味を持ったのだった。
 ミステリーや歴史を見ていくうちに、
――リアルって何なのだろう?
 と感じるようになった。
――リアルとは、流れに沿うわけではないが、逆らうわけではない。感情が入りこむものだけど、感情では状況は変わらない――
 そんなものだと思っていた。
 だから、睦月はリアルという言葉はあまり好きではない。
 自分の記憶が半分もなくなっているいることに対して、それほど慌てないのは、リアルに対しての意識がないからだ。
 だが、本当は意識がないと思っているだけで、意識していないわけではない。その矛盾が睦月の中で、消えてしまった記憶が繋がっている部分ばかりだということで納得させる効果を持っていた。
 睦月は、何となくだが、
――自分の失った記憶を持っている人がどこかにいるのではないか?
 という意識を持っていた。
 しかも同じ思いを森山が持っていることを知っていたのだろうか? 少なくともこの時は思っていなかった。だが、森山が睦月をどことなく避け始めたというのは、自分の中で感じている矛盾に森山自身が、考えるところがあったからだろう。
 睦月は自分が今持っている記憶だけで十分だと思っている。森山も同じ気持ちのはずだった。
――しばらく余計なことを考えないようにしよう――
 と思ったのは、今自分が持っている半分の記憶が、失った記憶の分があるだけしっかりとしているからだ、今また余計な記憶が増えて、せっかく残っている記憶が曖昧になることを避けたいと思っている。それは、今残っている記憶が、自分にとって大切なものであるということを自覚しているからであった……。

                 第二章 妹

 睦月の頭に残っている記憶は、決して悪いものではない。それなのに、自分の気持ちの中で、何か不安めいたものが渦巻いているのを感じていた。
 それは失ってしまった記憶への恐怖であり、思い出さなければいけないという思いと、思い出してはいけないという思いが頭の中で交差しているからだ。
 交差している部分は、意識のしっかりした部分であり、それを取り巻く環境が、しっかりした部分を抑えきれないことに対して、不安が募っているのである。
 睦月が自分の意識の中で、
――覚えていなければいけないことと、忘れてしまっても問題ない――
 ということをうまく切り分けできているのかどうか、自分でも不安だった。もしできているとすれば、最初から記憶というものを意識が凌駕できたことを示しているように思えてくる。
 しかし、記憶を意識が凌駕するなどという考えは、普通に考えて、考えられることではない。やはり、覚えていなければいけないことと、忘れてしまっても仕方のないということを切り分けるのは難しいと言わねばなるまい。
 森山が自分の記憶の欠落を感じたのは、睦月と知り合ってからのことだった。本当は睦月と知り合う前から、
――俺の記憶って、本当に間違っていないのだろうか?
 といつも考えていた。
 それは、記憶と意識というものを一緒に考えていたからだ。。
 いくら子供でも、まったく同じものだと思っていたわけではなく、
――意識というものが、時間が経つことで形を変えて、そして累積されていくのが、記憶なんだ――
 と考えるようになっていたが、その思いを感じるようになった最初は、高校生になってからだった。
 高校生になるまでは、漠然としてであったが、
――時間が経てば、意識は記憶に変わっていく――
 ということを感じていた。漠然としたものが形になってくると、そこに時間軸を感じるようになってきたのだ。
 男性の方が女性よりも、ロマンチックなもののようで、男性は、なかなか現実的になれない。特に妄想を抱いている時や、漠然としたことを考えている時は、余計にロマンチックに考えるもののようだ。
 そのせいもあってか、自分の記憶がなくなっていることも、気が付いていたが、不安に感じることはなかった。余計なことを考えてしまうと、残っている記憶を意識してしまって、
――どこまでが本当の記憶なのだろうか?
 と、疑心暗鬼に駆られてしまう。
 人から指摘されたこともあった。
「お前最近忘れっぽくなったようだが、大丈夫か?」
「えっ? 何かを忘れたことなんかあったかい?」
「それを覚えていないことからして、忘れっぽい証拠だ。お前の感じている記憶というのは、本当なのかな?」
「よく分からないけど……」
 曖昧に答えてはいたが、相手が何やら確信めいたものを持っていることが気持ち悪かった。しかし、話を思い出してみると、森山がどう答えても、相手に有利になる会話でしかないことに、違和感を感じていたが、違和感というよりも、小さな箱の中で堂々巡りを繰り返している自分の姿を見ているようで、思わず、空を見上げてしまった。
――空の向こうから、もう一人の巨大な自分が覗きこんでいる――
 という妄想を抱いていたのだ。
――男なのに、妄想を抱くなどあっていいものなのか?
 森山はそれまで、変なプライドがあった。特に男性になくて女性にしかないものの存在に対しては敏感になっていて、
――自分に、女性にしかないものが存在するなどありえない――
 と感じていた。
 しかし、それは裏を返せば、自分の中に女性っぽさを感じているという証拠でもあった。さすがに、
――性同一症候群――
 のようなものはなかったが、成長期の自分がまわりの男の子たちと違って、さほど女性に興味を持っていなかったのは、
――自分が男らしいからだ――
 と自負していただけに、女性っぽさなど、自分の中にはありえないとしか思っていなかった。
 女性の身体を綺麗だと思うようになっていったが、それは自分の身体を見た時に感じるギャップがコンプレックスになっていった。
――どうして、俺の身体はこんなに醜いんだ――
 と思っていた。
 精神的に男であれば、女性の身体を見て反応することが性であり、男として大人になっていく証だと思っていたのに、それ以上に自分の身体を醜いと感じるのは、成長期における自分の汚点だと感じていた。
 自分の記憶が欠落していたのは、そのあたりに原因があったのではないかと思うようになっていた。高校生の頃の一時期だけ、自分が女性っぽいと感じていたことは、記憶としてハッキリと残っている。しかし、その思いがどのようにしてなくなり、男性の大人に気が付けばなっていたと感じたのか、そのあたりの記憶が曖昧だったのだ。
 その時の記憶として曖昧ではあるが、覚えていることとして、
――確か、女性と知り合った気がする――
 というものがあった。
作品名:記憶の十字架 作家名:森本晃次