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交わることのない平行線~堂々巡り③~

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 自分だけが、まわりに比べて同じ時間でも、時間が進むのが遅ければ、それだけ年も取らない、時間も経たないのである。浦島太郎の竜宮城の発想でもあるが、自分だけ時間が遅ければ、自分だけの意識として、
「あっという間に、まわりだけ時間が早く時間が進んだ」
 と考えるだろう。一種のマジックのような発想である。
 ただ、この発想をタイムマシンに応用するには、致命的な欠陥がある。
「未来に行くことはできるだろうが、過去に戻ることはできない」
 という発想である。
 考えてみれば、過去に戻るということは、「パラドックス」という大きな問題を孕むことになる。そう簡単に、機械の開発だけで解決できる問題ではないはずだ。
 未来へのタイムトラベル開発は、結構早い段階で完成し、実用化にこぎつけ、実際に未来へのタイムトラベルをした人もいた。もちろん、人間が高速に耐えられるだけの機械の性能が求められたわけだが、その問題を解決した上でのことだった。
 この時代の科学の発展は目覚ましかった。その時代というのは、香澄や沙織の時代の孫の世代に当たるのだが、この科学の進歩が人間に「過信」というものをもたらし、
「恐怖兵器の中での均衡」
 が破られる結果にもなった。
「過信というものが、人間の理性や本能をマヒさせた」
 と言われる。
「人間には、理性と本能があり、理性が本能を抑制する力を持っていた。それでも人間というのは強いもので、理性が外れても、本能の中で危険性を察知するので、危機的状況を回避することができるものだ。二段階になっているので、今まで人間は自分たちを滅亡させるほどのことはなかった」
 過去の歴史の中で、確かに未曾有の大戦争はあったが、人類を消滅させるほどのものはなかった。それが、過信という考え方ひとつで、安全装置である理性を外し、さらに本能までもマヒさせてしまい、動物以下の知能で、世の中を破滅へと導いたのだ。
 奇跡的に人類は復活できたが、
「二度目はない」
 と、悟ったことだろう。
 一度滅んでしまった人類が復活した経緯は、やはりそれだけの時間を要しての話になるので、話をするのは難しい。中には理解に苦しむところもあるはずなので、ここでは割愛することにするが、復活した人類が「浄化」されたのも一つの事実だ。
「腐ったりんごを根っこから排除」
 という意味では、「浄化」と言ってもいいだろう。ただ、それだけの代償はあまりにも大きすぎたのであるが、そんな中で、前の時代では完成不可能と言われた二つのものが、完成することになった。
「一つは、ロボットであり、もう一つはタイムマシンである」
 二つとも不可能と言われてきた。タイムマシンは未来への一方通行はできても過去に行くことはできない。半分しか実用化されていなかった。
 どんな人がタイムマシンを必要としたかというと、
「不治の病で苦しむ人を未来に送る」
 という発想だった。
 昔であれば、人間の「冷凍保存」などという発想もあったようである。
「今の時代で不治の病とされるものも、たとえば五十年先であれば、特効薬も見つかって、治せるかも知れない」
 という究極の選択である。
「どうせ、このままにしていても、すぐに死んでしまうのは確定しているんだ。それならダメもとで掛けてみるか」
 と思う人もいるだろう。
 だが、そんな人ばかりではなかった。冷凍保存の話をすると、おそらく半分近い人が、
「私はいい」
 というかも知れない。
 目が覚めて、いきなり知らない時代に飛び出して、まわりは誰も知っている人もおらず、何をどうしていいのか分からないまま過ごさなければいけない。病を治すにしても、お金もないのだ。
 そもそも未来に、貨幣などという概念が存在するのかというのも、疑問だった。紙幣や貨幣などは存在せず、すべてが、カードやコンピュータ管理された電子マネーであれば、飛び出した時代は、自分にとって暗黒でしかない。
「あの時死んでおけばよかった。そうすれば、大切な人皆と最後の別れもできたんだ」
 と思うかも知れないが、冷凍保存を望んだのは、そんな別れの辛さを味わいたくなかったからだというのも本音である。いきなりどうしていいか分からない状況に飛び出したことで、その時の心境を忘れてしまったのだろうが、頭に浮かんでくるのは、玉手箱を目の前にした時の浦島太郎の心境なのかも知れない。
 タイムマシンの開発は、香澄の時代の発想とは、違った発想から始まった。
 もし、あの時代の発想をそのまま続けていれば、解決できないことを目の前に、まるで「結界」のようなものにぶち当たるだろう。
 しかも、その「結界」は、透明性である。シールドのようになってはいるが、気を付けなければ、そこに「結界」があることが分からない。つまり「見えない壁」が目の前にあるのと同じ発想だ。
「見えない壁」「結界」という発想が、実はタイムマシン開発に一役買っている。
――見えないという発想――
 それは色の特性が発想になっている。
 見えないものの開発に、義之も一役買っているが、この色の発想は、香澄や沙織の血の遺伝が、義之に生きているのだろう。
「一つの円盤を作って、中心点を基準に、いくつもに細かく分割して、直径の線を引く。そこに様々カラフルな色を催した状態で、中心点の軸にして高速で回す。まるで自転車の車輪のようにだ」
「すると、次第に色は混ざってきて、最後には白い色に変わってくる。それをさらに高速にしていくと、最後には円盤自体が見えなくなる」
 という発想が、色を使った「見えないもの」を作る理論だった。
 実はこれはものを見えなくするための一つの工法でしかない。だが、その時の「高速」という発想が、タイムマシンに応用できるのだ。
 タイムマシンも、「アインシュタインの相対性理論」における高速の理論が時間を短縮させるという発想に繋がっている。つまりは、
「色彩感覚が、タイムマシン開発には大切だ」
 ということを意味している。まるで三段論法のようで、安直すぎて、危険に感じられそうだが、
「自分が香澄や沙織の子孫であることには違いないんだ」
 と、色彩感覚の遺伝を否定できないものだという考えで固まっていた。
 ただ、義之の開発したタイムマシンは、他の人が開発したものとも、過去に想像されたものとも若干違っている。
 一番の違いは、
「トラベラーは、あっという間に時間を移動した感覚に陥っている」
 という発想だ。
 時間が経過していないわけではなく、若干だが経過していた。
「それが大きな問題になるの?」
 と言われそうだが、タイムトラベルでは大きな違いだった。
「飛び出した時代に同じ時代の人間は存在できない」
 という理論を考えると、
「トラベルの後、どこに飛び出すか?」
 ということも重要である。
 考えてみれば、「ワープ航法」などを使った映画やアニメでは、必ず、
「どこに飛び出すか?」
 ということを綿密に計算して、ワープを行うようになっている。いきなり飛び出したところの目の前にブラックホールの入り口などあったらたまらない。それと同じことが、「タイムトラベル」にも言えるだろう。