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交わることのない平行線~堂々巡り③~

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 という当たり前の言葉でしか表現できない結末を迎えるのだろう。
 そういう意味で、香澄は本当に死を覚悟していたことになるのだろうか? 香澄を知っている義之サイボーグには信じられなかった。
 また、義之の時代には、「自殺」という感情に、ある程度の科学的な根拠を持てるようになっていた。
 そのことは十分に頭の中に入っているはずの義之サイボーグだが、香澄が自分の想定外のところを持った女性であることに、次第に気付き始めた。最初に香澄に抱いた違和感は、その想定外部分を示唆していたのかも知れない。
 義之サイボーグは、自分が人間ではないがゆえに、結構冷めた考えを持っていたが、それでも、香澄に対してだけは、人間の感情を持っていたいと思う。それは彼を香澄の前に送り出した義之本人の考えでもあり、やはり、移植した頭脳は、正直に身体を動かしているのだった。
 香澄の死については、まったく理由が分からない。死ななければいけない理由は表に出てきているわけではなく、一緒に過ごしたことのある義之サイボーグも、
――いくら香澄の性格が、この二年間のうちに変わったとしても、自ら死を選ぶようなことはないはずだ――
 としか思えなかった。
 香澄は、自分の死を誰にも知られないようにしていた。誰にも悟られないように、こっそりと死のうとしたようだ。
 だが、彼女の死は露呈した。それは心の奥底で、誰かに発見してほしいという気持ちがあったからなのだろう。
――いや、最初から死ぬつもりなどなかったのかも知れない――
 香澄という女性は、比較的分かりやすい性格の持ち主だったはずだ。
 だが、「死」という角度から彼女を見つめ直すと、どうにも解釈できない部分が多く出てくる。
――今まで分かりやすいと思っていた性格を勘違いしていたのだろうか?
 義之サイボーグは、自分の中で感じた香澄への想いを、否定してみたり肯定してみたりと、堂々巡りを繰り返し始めたのを感じていた。
 堂々巡りという感覚は、サイボーグやロボットとは切っても切り離せない「宿命」のようなものだ。だが、香澄に対して感じたこの時の堂々巡りは、サイボーグにとって陥りがちな堂々巡りとは違っていた。
――どういうことなのだろう?
 確かに義之サイボーグは香澄を好きだという感覚があった。しかし、この世からいなくなったということを聞いた時、怒りのようなものを覚えたのはどういうことだろう?
――裏切られた?
 サイボーグにとって、人間から予期せぬ心境の変化で、裏切られたような形になることは最初から宿命づけられていたはずだ。その感覚は回路の中にも組み込まれていて、基本基準によって、理解のうちになっていたはずだ。それなのに、
――裏切られた――
 という感覚は、少し違うのではないだろうか?
 裏切られたというのは、人間だけが感じる感覚であり、ロボットにはありえない。それなのに、そんな感情を抱くということは、人間に対して本当に恋した証拠ではないだろうか。
 義之の時代のサイボーグには、恋愛感情が起こっても無理のない回路が組み込まれていた。だが、実際に、恋愛感情に陥るサイボーグは現れない。ロボット開発者も、
「回路は組み込んでいるのに、どうして恋愛感情が浮かんでこないんだ?」
 と感じていた。
 理由は簡単だった。
 義之の時代の人間に、サイボーグが恋愛感情を抱くほどの相手がいないということである。
 義之の時代の人間は、自分の感情を表に出すことはほとんどなくなっていた。香澄の時代の人間も、
――自分さえよければそれでいい――
 という人がたくさんいるが、義之の時代にはさらに増えていた。
 そして、まわりに対しての猜疑心の強さも半端ではない。それでも何とか世の中が成り立っているのは、厳しい法令と、個人主義という考えが、市民権を得ていたからだ。
 香澄の時代の人間は、個人主義はどちらかというと罪悪のように言われていた。共同生活ができないと世の中を渡っていけないという意識が強いからだった。
 義之の時代の人間は、個人主義を否定しない。その代わり、個人主義に対しての抑制として、子供の頃からの教育に、個人主義を習わせていた。
「いい悪い」
 という観点からではない教育である。
 香澄の時代の教育は、
「共同主義こそ美徳であり、個人主義は危険だ」
 という、いわゆる偏った教育を行っていた。だから個人主義は嫌われ、個性が伸びないことで、科学の発展もありえなかったのだ。
 初等教育の段階で、どのように教育していくかで、よくも悪くも世の中は決まっていく。少なくとも偏った教育がいいという保証はどこにもないのだ。
 それだけに、香澄の時代の人間にもロボットにも、
――裏切られた――
 という感覚はあまりない。
 その代わり、人間とサイボーグの間に恋愛感情も生まれることはなく、人間の間でも恋愛感情は希薄になっていた。
「子孫を残すための行為だ」
 としてセックスは定義づけられ。恋愛をいいとも悪いとも語る人はいなかった。
 ただ、そのせいもあってか、誰かを好きになったからと言って、相談できる人がいるわけではない。誰もが隠そうとしてしまうので、恋愛感情を抱いたかどうかなど、誰にも分からない。
 香澄の時代であれば、誰か一人でも気づきそうなものだが、義之の時代には誰も気づかない。一つは個人主義という考えの弊害だと言えるだろう。
「人に干渉されないということは、人を詮索しないということだ」
 まさしくその通りである。
 もう一つは、隠そうという感覚が希薄になっている。詮索されないからであり、気分的にオープンでも、
――どうせ、誰も分かりはしない――
 という思いがある。
――自分のことも分からないのに、人のことが分かるはずなどないだろう――
 という考えが基本になっている。
――人のことはよく分かるのに、自分のことは分からない――
 という考えは、香澄の時代の考えで、義之の時代になると、まずはすべて自分から始まるのである。個人主義から派生したものなのだが、その考えは一長一短であることをほとんどの人が分かっているが、
――長所の方が大きい――
 という考えもかなり浸透していた。
 もし、香澄の時代の人が、義之の時代の人間を見ればどう思うだろう?
――絶対に交わることのない平行線だ――
 と思うに違いない。
 しかし、義之サイボーグが見て、香澄だけは違っていた。香澄だけは、義之の時代の個人主義に似合っている人間だということを、かなり早い段階で気付いていた。
 その感覚があったから、義之サイボーグは香澄を好きになったのだ。
 香澄は、その時どんな感覚を持ったのだろうか?
 一つは、
――今までに出会った人の中にはいないタイプの男性だ――
 と感じたことは間違いない。
 その感覚は彼が未来から来ていて、しかもサイボーグであるということが分かる前だった。
 そのことを知ってしまうと、今度は自問自答を繰り返すようになる。
「私の感覚がおかしいのかしら? それとも、彼に私を惹きつける魅力があるということなのかしら?」
 香澄は最初、どちらかに結論を結び付けようとしていた。それは半ば強引であり、結論を是が非でも見つけようという思いだった。