交わることのない平行線~堂々巡り③~
という自覚が、自分を納得させることに繋がっている。しかし、今回の旅行にはそれはなく、最初に感じるはずの、
「旅行に出てきた」
という自覚がないのだ。あくまでも、フラフラと出てきてしまったという感覚しかないので、自覚には程遠い。
旅先での行動は、一定していない。そもそも目的があるわけではないので、意識もないのだ。
今回出てきた旅行は、今までにない気分だったはずなのに、やってきた場所は、
――以前にも来たことがあるような気がするな――
というものだった。
――確かに初めて来たところだと思うが、この気持ちは何なのだろう? どこか懐かしい気もするし、吸い込まれるような感覚に陥るのも、初めてではなかったような気がする――
この二つの思いが、果たして同じ時に感じたものなのかどうか、香澄はハッキリと覚えていない。しかし、
――セットになっているからこそ思い出せたのではないか――
と思うと、やはり、同じ時だった
――懐かしいという感覚は、思い出すことができたからなのかな?
とも思ったが、そこは違うような気がした。
香澄は、以前自分が自殺を試みたことがあったのを思い出した。
自殺しようとした人はたくさんいるだろうが、普通は、なかなか忘れられないもののはずだ。しかし、香澄はこの時、旅行に出てくるまで、自分が自殺を試みたことを忘れていた。
――どういう心境で自殺しようとしたのか?
ということを忘れていただけではなく、本当に自殺を試みたという事実すら忘れてしまっていたのだ。
その部分だけ記憶が欠落していたのかも知れない。
ただ、そう思うと、欠落しているのは、その時自殺を試みたということだけではなく、他にもいっぱいあるのではないかと思えてきた。
それを思い出す時が来るのかどうか香澄には分からないが、
――思い出したのなら、それは自分の記憶に間違いがなかったということで、思い出さないことは、最初からなかったことだ――
という、当たり前のことを考えていた。
しかし、当たり前のことであっても、記憶を格納しようという意識がその時どれほど強く自分に働いたかということであり、本当になかったことなのかどうか、普通なら分からない。
それを、なかったことだとして解釈するのは、少し飛躍している気持ちになるが、そうでなければ、いつまでも尾を引いてしまうような気がしたからだ。
ただ、自殺したことを思い出してしまった。
どのように自殺を試みたかまで思い出していて、リアルな記憶となってしまったのだが、今度はそれを認めようとしない自分がいることに気が付いた。
――あの時も、フラリと旅行に出たんだっけ?
目的があったわけでもなく、ただフラリと出かけただけだ。つまりは、最初から自殺しようなどという気持ちだったわけではないことに間違いはないようだ。
――記憶というのは、意識を伴っていなければいけないものなのだろうか?
そんな思いを香澄は抱いていた。
自殺というものは、変に意識してしまっては、なかなか成功しない。手首を切ろうとして、「躊躇い傷」を持っている人はたくさんいる。意識してしまうと、目の前に迫っている「絶対の死」を恐怖としてしか受け止めることができなくなるだろう。
ただ、それが普通の発想なのだ。
自分で自分を抹殺しようとするのだから、きっと心の中を「無」にしてしまわなければうまくはいかない。
「この世の中で一番難しいことは、自殺することだ」
と言っていた人がいたのかどうか分からないが、自殺しようとして結局できなかった人の中には、そう思う人もいるだろう。
「死んだ気になれば、何でもできる」
という言葉は、その気持ちの裏返しなのかも知れない。
しかし、この言葉は、矛盾を孕んでいるように思う。
本当は逆ではないだろうか?
「何でもできるくらいなら、死ぬことだってできるかも知れない」
という言葉の方が正解ではないかと思う。それほど、死ぬことは難しいのではないだろうか。
「死んだ気になれば、何でもできる」
という言葉は、まだまだ「自殺」というものが、簡単にできてしまうと言っているようなものではないかと、香澄は考えるようになった。
香澄は、死を特別な思いで感じていた。
中学の頃の友達に、死を迎えた人がいたからだ。その人は、自分が死ぬことを知っていた。まわりは彼女の病気を知っている。彼女は入退院を繰り返しながら、学校もほとんど来れなかった。
サナトリウムのようなところで治療を受け、時々、空気のいいところで静養したりしていた。彼女とは、その静養しているところで、知り合ったのだ。
当時、香澄も学校を休みがちだった。といっても、病気で休むわけではなく、黙って休んでいたのだ。ズル休みの習慣がついていたわけだが、あまり叱られるということもなかった。
寂しさを抱えながら歩いていると、すれ違った瞬間に、身体に電流が走ったのを感じた。振り返ってみると、そこには一人の女の子がこちらに背を向けて歩いていた。
場所は、海に近い国道沿いだった。週末の午前中だっただろうか。車は結構走っていたが、歩いている人はいなかった。中途半端な田舎ではよくある光景なのかも知れない。ただ、中学生の頃の香澄には、それがよくある光景だという意識はなかった。ただ、何も考えずに歩いていた。その女性とすれ違ったという意識もなかった。電流が走ったのを感じるまで、自分が何を考えていたのか、忘れてしまった。
確かに何かを考えていた。完全に我に返ったことで、それまでの意識とは違う意識が生まれて、そちらに飛び出したような感覚だった。香澄にとって、初めての感覚であり、経験だった。
振り返った香澄は、一気に振り返ったが、その時、こちらに背中を向けていた女性も、こちらを振り返った。その時の様子は、まるでスローモーションを見ているかのように、香澄とは対象的にゆっくりと振り返っていたのだ。
そのくせ、彼女のロングの髪は、爽やかに靡いていた。その時、風はなかったはずだった。
――それなのにどうして?
と不思議に感じた香澄を横目に、彼女はニッコリと笑ってみせた。その表情は輝いていて、まさに、スクリーンに映し出された映画のヒロインのようだった。
今までにそんな輝いた笑顔を見たことがなかった。すれ違った時、電流が走ったのも分からなくもない気がしたが、それなら、目の前にいた時、なぜそれに気付かなかったのかという方が不思議だった。理由は自分にあるはずなのに、その時の香澄は、自分以外に理由を必死に探していたのだ。
その女の子は、白いワンピースに白い帽子、白い靴を履いていた。本当に絵に描いたようなお嬢さんだった。
香澄はその時彼女に何と言って声を掛けたのか覚えていない。だが、気が付けば仲良くなっていて、彼女の家に遊びに行っていた。
家と言っても別荘で、裕福な暮らしをしているのだと思った。だが、本当はそこは貸し別荘で、彼女の療養のために両親が借りてくれたということだ。家には母親と、世話をする人が数人いて、香澄を暖かく迎えてくれた。庭には、幾種類ものバラが咲いていて、バラが赤い色だけではないことを、その時初めて知った。
「絵を描いてみたい」
作品名:交わることのない平行線~堂々巡り③~ 作家名:森本晃次