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交わることのない平行線~堂々巡り③~

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 それには、罪を重くして、犯罪を未然に防ぐのが一番いいのだが、いつの時代であっても、犯罪が減ることはなかった。
 なぜなら、
「犯罪を犯す人間のほとんどは、仕方のない事情を抱えていた」
 これは、時代が変わってもどうしようもないことで、
「悪いことをしなければ、自分は殺されてしまう」
 という環境に置かれる人も少なくなかった。
 確かに犯罪は減ったかも知れない。しかし、表に出てこない「悪いこと」というのは、むしろ増えていた。犯罪全体の数は変わっていないとしたら、目に見えない「悪いこと」が増えるのも仕方のないことだった。
 たとえば、「苛め」などの問題は、表に出ているものは少なくなってきた。しかし実際には減ったわけではない。苛める方もかしこくなったというだけのことだ。
「見つからなければ、それでいいんだ」
 という発想は、法律がどうであれ、無法地帯を招くことになる。
――苛められた人間に溜まったストレスが、そのまま犯罪に結びつく――
 苛められる方は、実は頭がよかったりする。苛められながらでも、
「いかにすれば、苛められないようになるか」
 ということを、見つからないまでも必死に答えを目指そうとする。無駄な努力ではあるが、頭のキレをよくするのには役立っている。
 中には報復を行って、自分を取り戻す人もいるだろう。苛めている人間には、自分が苛められたり、攻撃されるなどの発想は、まず皆無だろうと思われるからである。
 そんな時代は、究極の「法治国家」であり、その最たるものが、その時の日本だったようだ。
 他の国はそこまで厳しくはなかった。むしろ、昔よりも被害者が苦しめられる時代となっていた。どうして日本だけがそんな国になってしまったのか分からないが、かつて、一番戦争がなく、平和と呼ばれた時代が長く続いたのが、日本だったからだという説は根強い。
 国家体制が、明らかに他の国と違っていたことが大きな原因なのだが、そのことは未来にはあまり知られていない。
「臭いものには蓋」
 そんな風潮が残っていたからだろう。
――未来の人間が、過去に遡って先祖を助ける――
 という発想は、実はこの時のボランティアから生まれた。
 この時のボランティアは大成功だった。未来に影響はほとんどなかったからだ。実はそれもさらに未来に行って、過去に影響を及ぼさないアイテムを手に入れたからで、そのことは本当は秘密事項だった。
 義之がそのことを知っていたわけではないが、人間の考えることは大なり小なり、それほど変わらないということなのか。未来のアイテムを売っている人も、過去からの買い手がいることで、しっかりと商売になっていたようだ。
 現在、過去、未来と結ぶ線が見えていなかった時代の方がよかったのか、自在に時代を行き来できると、何が大切なことなのか、分からない人が増えてきたのも、仕方のないことだろう。
 戦争を引き起こした人の中には、
――大切なものを見失った――
 という思いが引き金になった人も少なくない。
 過去に「パンドラの匣」に手を掛けてしまったのが日本なら、未来からボランティアがやってきたのも日本だった。ただ、ここで大きな疑問がある。
「未来の人が、過去に行ってボランティアができるのであれば、戦争を止めることだってできたのではないか?」
 という発想である。
 しかし、この発想は、最初からナンセンスなもので、確かに戦争を止めれば、悲惨な時代が訪れることはないのだが、逆に悲惨な時代がなければ、未来は完全に変わってしまっていて、未来から戦争を止めに来るはずの人が生まれないことになる。
 つまり、それは、
「パラドックスの基本中の基本」
 であって、過去に戻ることへの発想としては、原点になるのではないだろうか。未来の人間が過去に影響を及ぼさないようにするのもそのためであり、完全に世界が変わってしまうようなことに影響を与えないなど、アイテムなどで片づけられる問題ではないはずである。
「時代を動かすことは、誰にもできないんだ」
 という発想は、いつの時代になっても同じである。もし、それができるとすれば、
「神への冒涜」
 という発想が、生まれてくるかも知れない。
 そうなると、宗教が絡んでくるので、話がややこしくなる。やはりいつの時代も宗教団体というのは、影響が大きくなるもので、無視できない存在だったに違いない。ただ、それが、
「暴走への抑止力」
 になっているのも事実で、すべてが災いの種というわけでもないようだ。
 ただ、そんな世の中が来るなど、沙織や香澄の時代の人間の誰が予想しただろう。予想できたとすれば、そこには沙織のような予知能力がなければ、ありえないことだ。
 だが、可能性はゼロではない。どんなに限りなくゼロに近くても、完全ではないのだ。
――世の中に完全なんてありえない――
 と思っている人にとっては、発想として映るだろうが、そうでない人には、妄想としてしか映らない。
 もし、可能性の薄い話をしたならば、妄想として捉えられると、まるでこちらの気が違ったのではないかと思われてしまうだろう。人の発想を妄想として捉える人が、香澄の時代には、どんどん増えてきた。
 妄想というのは、自分で妄想だという意識がある人はまだいいのだが、妄想だと自覚していない人ほど怖いものはない。
 妄想というのは膨らむもので、そこに限界はないように思う。一度妄想してしまうと、果てしない妄想に入ってしまう人もいるだろう。
 妄想の魔力は、「膨らむこと」にあり、膨らんだ妄想は、ストレスやイライラを解消してくれる。まるで麻薬のようなものだ。
 麻薬の禁断症状も一種の妄想であり、普段隠そうとしているものが表に出た瞬間、想像以上に膨らむことで、脳細胞を圧迫しているという発想もあるのではないかと、考える人も少なくないだろう。
 香澄の時代と、義之の時代。そこには埋めることのできない溝があるのだが、果たして、義之の時代が、本当に香澄の時代から伸びる本当の時間軸なのかどうか、誰にも分からない。
 パラレルワールドの発想が消えない限り、その考えは永遠に続くことになる。未来に起こる未曾有の大戦争。それが一体繋がっているはずの時間軸に、どのような影響を与えようというのだろう。
 香澄はある日、フラフラと旅行に出かけた。今までにも時々急に思い立って旅行に出かけることはあったが、それは香澄の意識の中にあることだった。
 なぜ旅行に出かけようかという気持ちになったかということをハッキリとは自覚していないまでも、旅行に出かけたくなる心境に共通点があって、その時、いつもと同じ心境であることを感じると、旅行に出かけたことに対して、不思議に思うことはなかった。
 しかし、今回の旅行は、本当にフラフラと出かけたと言っても過言ではない。出かける時こそ、
――いつものように旅行に出るんだ――
 という意識はあったが、ふと我に返ると、なぜなのかという気持ちが残っていた。
 いつも旅行にフラリと出かける時、最初は意識しているわけではなく、ふと我に返った時、旅行に出かけた心境を感じるのだ。その時に前の時に感じた思いと比較して、
――ああ、今日も同じ気持ちだ――