交わることのない平行線~堂々巡り③~
という問題が大きなウエイトを占めている。
パラドックスを考えていると、先が見えなくなってくる。それは、堂々巡りを繰り返しているからで、時々、自分が分からなくなる。
義之は、香澄や沙織に比べて、
――優れている存在だ――
と、思いがちだった。
その理由は、未来から来ていることで、
――未来を知っている自分の方が、未来を知らない人たちに比べて優位性がある――
と思うからだ。
優位性というのは、相手より優れているというわけではない。立ち位置として、少し前にいるというだけで、その人との優劣には関係がないからだ。そのことに気付かなかったのは、自分は最初から冷静だと思っていたのだが、本当はそう思いこんでいたことに気付かなかったことだろう。
そしてもう一つ感じたことは、自分たちの時代の人間は、老若男女、ほとんどと言っていいほど、時間や時代に対して興味を持っている。学校で習う科目にもなっていて、ほとんどの生徒が、成績如何にかかわらず、興味を持っていた。
だが、この時代の人たちは、ほとんど誰も時間や時代に関して、興味を持つことはない。一部の学者や、SF小説ファンが読むくらいであって、まだまだSFは妄想の世界でしかない。
それに比べて、義之の時代は、ある程度まで科学で解明されてきたことが多いことで、それが学問としての認知を受け、学生には最初「教養」として始まったことが、すぐに「教育」として、浸透するようになった。
そのこともあって、一気に、時間や時代に対しての研究が加速した。それは歴史や考古学の発展にも寄与していることで、相互関係が生まれ、相乗効果となって、研究者の数も爆発的に増えていった。
さらに、科学の発展も輪を掛けての、研究に拍車を掛けた。
そのおかげで、知名度はグッと上がり、国家予算も研究費用の捻出に、そんな苦労はなくなっていた。
ただ、国立の研究所はそれなりにあるが、民間の研究所はまだまだだった。
研究費用には莫大な費用が掛かり、まだまだ民間ではそこまで費用を捻出できるところは、大企業でも難しかった。
義之は、そこまで大げさな研究所を持っているわけではない。
だが、一通りの研究マシンは持っていて、時代を行き来するくらいのタイムマシンや、元々からのロボット工学の研究には、問題はなかった。
そういう意味では、科学の先端への教養は持っている。
だからこそ余計に、この時代にやってくると、ほとんどの人間、つまりは、時間や時代に興味を持てない人に対して優越感を持つのも無理のないことだと思っている。
――こちらが優越感を感じているのに、向こうは劣等感を感じていないなんて、信じられない――
これも、義之の時代の考え方だ。
こちらが優越感を感じると、それが相手に伝わって、相手はそれなりのリアクションを示す。
相手にも優越感があれば、火に油で、口論になることもあるだろうし、逆に相手が劣等感を感じてしまえば、そこで完全に二人の間の関係は、上下関係に固まってしまう。
それは致し方ないということで、義之の時代の人間は、割りきっている人が、この時代よりもかなりいるようだ。
割り切っているということで、感情が表に出にくい人も多い。優越感がぶつかって口論になっても、すぐにどちらかが妥協する。お互いに、相手を見る目は優れているのも、義之の時代の特徴だ。
どうしても、比較してしまうと、一長一短、どちらの時代の人間がいいというわけではない。優越感を感じてしまうと、そのまま突っ走るのも、ある意味、ありえることではないか。
ただ、サイボーグは少し違った。どちらかというと、香澄の時代の人間に近いのではないかと思った。
それは、サイボーグ本人が感じていることで、義之は、サイボーグがそんなことを思っているなど、想像もしなかった。むしろ、自分の考えを移植しているので、自分に近いと思っていた。
ということは、義之本人には自覚がないが、義之本人も、香澄の時代の人間に近い考えなのかも知れない。
そんなこと、それまで感じたこともなかったはずなのに、どうしてそう思うようになったのか、すぐには分からなかった。
義之にとって、サイボーグは自分の分身というだけではなく、個別に意志を持った独自の個性だと思っている。だから、いくら自分の考え方を移植したとしても、一緒にいる人に影響を受けないとは限らない。
いや、優秀なロボットほど影響を受けるものだろう。そう思うと、義之サイボーグは、優秀なのではないかと思うのだった。
サイボーグの成長のスピードは、義之の考えている以上だった。
それは、相手が香澄だったからなのか、それとも、成長というのは、創造主の思いも及ばぬものなのか、そのどちらでもあるかのように思えた。
義之は、自分の作ったサイボーグに自信を持っている。それは、成長することを前提としているからだが、この時代の人間と親しくなれるという意味で、優秀性を感じていたのである。
自分そっくりに作ったサイボーグだが、決して同じではない。むしろ違っているところの方が多いと思っていた。
サイボーグは、創造主のことを考えることはタブーだと思っていたので、比較したことなどないが、もし、比較してみれば、サイボーグにとって義之は、
――優越感のある相手――
ということになる。
だが、サイボーグは義之について考えないようにしていても、香澄の方が気になっていた。
香澄は、彼をサイボーグだと感じた時から、彼の後ろにいる本人を意識しないわけにはいかなかった。確かにサイボーグを好きになってしまったことに間違いはないが、その後ろにいる誰かを気にしているのも事実だった。
だが、香澄にとって義之本人は、
――遠い存在――
だった。
香澄の感覚として、
――サイボーグはどうしてこんなに近くに感じるのに、他の人は遠く感じるんだろう?
元々、他人とはいつも一線を画しているつもりだったが、なぜサイボーグだけ、一線を画さないのか、香澄は、自分が次第に人間ではなくなっているような錯覚を覚えていたのだ。
堂々巡りを繰り返しているのを、義之も夢に見たことがある。それと同じ夢を、他の人が一度は見ているのだということを、知らなかった。だが、どんな人でもこの夢を見ているのだが、ほとんどの人は意識がない。
なぜなら、
――ほとんどの場合、見た夢を覚えていることはない――
ということだった。
夢を覚えていないという感覚は、サイボーグにはない。何しろ、夢というものを見ることがないからだ。
義之はサイボーグであっても、「睡眠」という概念はある。夜になると眠くなり、睡眠を摂るが、それはあくまでも、
――エネルギーの浪費を防ぐ――
という意味のものだった。
夢を見ることがないとは言え、夢らしきものを感じたことがあった。それは、義之サイボーグが、
――人の心も読めるようになったから――
だと思っていた。
人の心を読めるようになると、人の夢を垣間見ることができる。それは、その人の心理を読むことで、あたかも夢の中を覗いているような感覚に陥るが、だからと言って、夢の中が本当に見えているとは思えなかった。
作品名:交わることのない平行線~堂々巡り③~ 作家名:森本晃次