交わることのない平行線~堂々巡り③~
という言葉で言い表すのなら、魔物の存在を信じないわけにはいかない。それは自分の普段からの考えに完全否定に繋がるからだ。
紙一重という意味では、こちらの世界と、魔物の世界も紙一重で、その入り口があるとすれば「夕凪の時間」、つまりはその時間の存在を信じなければ、永遠に納得できないということである。
――永遠に納得できない?
それが紙一重であればあるほど、
――どこまで行っても交わることのない平行線――
であり、普通の時間も、夕凪という時間も、どちらも直線であることを示していた。なぜなら、平行線で、距離は紙一重だからである。
少しでも湾曲していれば、同時間で進行しているものであれば、必ず距離や隙間ができるはずだからである。
「そうだわ。平行線の定義というのは、二本の直線が互いに同じ距離を保って、永遠に交わることのないものだ」
ということなのではないだろうか。
香澄は、意識が堂々巡りを繰り返しているのを感じたが、それはその時に、虹を見たことを思い出したからだ。
――あれは朝の時間だったけど、見えた虹は湾曲していたわ――
直線の虹などというのは見たことがない。
ということは、虹に描かれる七色の色の帯は、それぞれの色の長さは全部違っていることを意味している。
もっとも、人工のものではなく、自然現象なのだから、色の長さを合わせる必要などあるはずもない。
それでも長さが合っているのではないかと思うのは、虹の両端の境目の見分けが付かないからだ。
――平行線と堂々巡り――
それぞれ、まったく違ったもののように感じる。
なぜなら、それぞれに個別でのインパクトがあまりにも大きいからだ。
ただ、そこに、
――紙一重――
という言葉が入り込んでくると、また趣が変わってくる。
平行線は、ニアミスを起こせば、完全に紙一重である。
堂々巡りは、逆に直線ではありえないこと、つまりは、平行線ではありえないという発想から、逆説としてパラドックスが存在しているのだろう。
タイムマシンの開発者から、
「堂々巡りと、平行線の発想は、必須だったな」
という話を聞いたことがあった。
最初は何を言っているのか意味が分からなかったが、こうやって考えると、それぞれに紙一重というキーワードを使って、それぞれに意味があるということが分かってきたのだった。
さらに香澄には、「色彩感覚」というものが、それぞれの言葉と影響があるように思えてならなかった。そのカギを握るものとして、虹という言葉がキーワードとして浮かび上がってくるのだった。
義之は、香澄の頭の中を解読していくうちに、自分の意識が混乱してくるのを感じた。
自分の発想にないものを、強引に相手の考えを頭に入れて、計算しようというのである。混乱するのも仕方がない。
「だけど、一つの糸がほぐれると、後は芋づる式に、謎がほどけてくるんじゃないんだろうか?」
と考えるようになった。
「ということは、人間の頭の中には、無数の紐があって、それがどこに繋がっているか分からない状態になっているということなのかな?」
そう思うと、一つが解決すると、後が解決してくるのも納得できる。すべてが理屈で繋がっているわけではないだろうが、一つの理屈が繋がると、ある程度まで、少々のほつれなら、解消できるというものだ。
沙織に出会う前の香澄は、沙織が知っている香澄とはイメージが違っていた。沙織の方も、香澄が知っている沙織と雰囲気の違う女の子だったお互いに出会ったことで、変わってしまった。それは歩み寄ってきたようにも見えたが、単純にそれだけではないような気がする。そこに、義之本人と、義之サイボーグが関わっていることを知っているのは、誰もいないだろう。
香澄も沙織も、変わってしまったのは、お互いに刺激し合ったからではない。他からの影響があったからなのだが、その影響の元になったのは、義之サイボーグだった。
義之本人には、二人を変えることはできなかった。生身の人間が過去を変えることはできないという掟が存在するが、その掟を守るために義之の時代にはないが、さらに未来には、
「携わった人間の性格を変えないで済むアイテム」
が、売られていた。その時はタイムマシンも、
「一家に一台」
と言われるほど、テレビやパソコンが普及した時のイメージがあった。
だが、もう一つのアイテムとして、
「変えてしまった過去を元に戻す力が備わったアイテム」
も売られていた。
しかし、これには制限があり、時間的な制限、効き目の制限などがあった。
時間的な制限は、
「どれくらい前の過去を元に戻せるか」
というもので、効き目の制限は、
「どれくらいの間、効き目があるか」
ということである。
つまりは、性格を変えないで済むアイテムと、過去を元に戻すアイテムをうまく併用しない限り、うまくはいかないということだ。そこには制御の力が不可欠で、いかに運用するかは、かなり難しい。しかも、人に迷惑を掛けることは、悪質な犯罪として規制も厳しい。未来に行って、それを購入することはできても、いかに運用できるか、アイテムだけに頼っていては、絶対にうまくいかないようになっていた。
それでも、何とか手に入れ、義之本人が及ぼしたことを、過去に引きづらないようにした。ただ、
「義之が及ぼした」
という前提がないだけで、結果的には、香澄も沙織も変わってしまっていたのだ。
香澄が自殺したのは、そこに起因しているのかも知れない。自殺などする素振りも理由も何もないのに、いきなり自殺したのは、何も知らないまわりよりも、何もかも知っているはずの義之を驚かせた。自殺したことよりも、理由が見つからないことにである。
当然、義之は自分の存在が、香澄に影響を及ぼさないようにしていたはずだから、自分が現れたことが原因ではないと思っている。
しかし、逆に言えば、
「起こってしまったことは変えられない」
という意味で、自殺は止められない事実だったのだろう。
というよりも、自殺を止めれば過去が変わってしまう。ただその理由が分からないことが不思議で仕方がないのだ。
香澄の自殺の理由を知りたいとまで思ってこちらの時代に来たわけではない。沙織の中に香澄を入れるのは、当時の医学では不可能なはず。それがどのようにして行われたのかを確かめに来たのだ。
――ひょっとすると、俺がしたことなのかも知れない――
という意識も少しはあった。それでも、
――事実は事実として受け止めることが大切だ――
という意識が強かった。
そのためには、ここで起こったことを、一つ一つ丁寧に、観察していく必要がある。
義之が一度沙織の前から姿を消したのは、その事実を見極めるためには、どの時点から見なければいけないかということが重要であることに気が付いたからだ。
しかも、それを見極めるのは極めて難しい。
さらに輪を掛けて問題になってくるのは、一度自分がいた時代を、もう一度見直さなければいけないということだ。
――俺が、同じ時代に二人いていいのだろうか?
いわゆるパラドックスの問題だが、その発想も、
――どの時点に立ち上るか――
作品名:交わることのない平行線~堂々巡り③~ 作家名:森本晃次