交わることのない平行線~堂々巡り③~
それは、きっと記憶として残そうと思った時、自分を納得させるものでなければ、意識が記憶の格納を許さないようにできているのではないだろうか。
もちろん、それが色にだけ言えるわけではないが、香澄のように色彩感覚に自分の存在意義すら感じ始めていた香澄にとって、自分を納得させることは大切なことだった。
義之は、香澄を見ていて、そのことが分かってきた。
香澄は、本当は自分をあまり隠そうとするタイプではない。一人でいることが多いので、
まわりからは、
「何を考えているのか分からない」
と思われがちだが、実はそうではない。
元々、不器用な香澄は、隠そうとしないわけではなく、隠すことができない性格だと言った方が正解だろう。
香澄にとって、付き合っていた男性が自殺してしまったことはショックではあったが、自分の人生の中での、通過点でしかなかった。
彼が死んでから二か月ほどは、さすかに心の中にポッカリと穴が空いたような気がしていたが、それも、急に気持ちが冷めてきたように、普段の香澄に戻っていた。
絵を描くことをやめていたのも、すぐに再開し、
――どうして、描くことをやめてしまっていたのかしら?
と、感じた。
やめている時期は、再開しようという意識はなく、それが心の中にポッカリと穴を開けていたのだろう。絵を再開することによって、ポッカリと空いていた穴が、一気に埋まったのだ。香澄にとって絵を描くことは、それだけ大きな意義があったのだ。
――ここまで絵を描くことが大切だったなんて――
この感覚は、忘れていたわけではなく、初めて感じたことに思えてならなかった。
では、今まで香澄は絵を描く時、漠然と描いていたということなのだろうか?
いや、そうではない。絵を描き上げた時の充実感は確かに大きなものだった。それを感じたいために、絵を描いていた。充実感を味わっている時、
――これが自分の存在意義だ――
と思っていたのも間違いない。
やめている時期に、いつも感じていた色があった。それは、真っ赤な色で、小学生の頃に見た、交通事故を彷彿させるものだった。
そのどす黒さだけが印象に残っていたつもりだったが、思い出す時は、鮮やかな鮮血だった。
元々、香澄は赤という色が大好きだった。今でも大好きなのだが、その大好きな赤い色と、小学生の頃に見た真っ赤な色はよく似ていた。鮮血のイメージがなければ、文句なしに好きな色だったはずなのに、どうしても、どす黒い部分が頭の中に残ってしまって、それが記憶に封印され、普段は表に出てくることはないが、ふとしたことで表に出てくることがある。
――夢に出てきたこともあるな――
とも感じた。
もちろん、
――夢の中で色を感じるなんてことはない――
という意識を持っているのにである。
香澄が好きな色は、原色が多い。赤だけではなく、青も好きだし、紫のような色も好きだった。
ただ、赤にだけは、ずっと小さい頃から好きだという思いを持っていても、その時々で好きだという感覚に微妙な違いがあった。
小学生の頃に見た事故で、赤い色にショックを受けもした。その時に初めて、
――そうだ。赤というのは血の色でもあるんだわ――
と、認識を改めさせられたのを思い出した。
それに、赤という色は他の色に比べて、インパクトが強く、攻撃的な感覚を受ける。香澄が描く絵も、赤が基調のものが多い。それは風景画であっても同じことで、真っ青な空を、真っ赤に染めるような絵も描いたことがあった。
「小説にだって、ノンフィクション、フィクションとあるんだから、絵にだって、見たモノを正直に描く必要はないんじゃないのかしら?」
と、友達と話をした時、
「それはそうだけど、見た目というものもあるでしょう?」
と言われて、
「見た目? そんなに私の絵って、刺激的かしら?」
「そりゃあ、これだけ空が真っ赤なら、刺激的でしょう」
「私はそうは思わないわ。どうして皆、赤い色をそんなに悪いイメージで見るのかしら? 私は、赤い色で自分の気持ちを表現しようと思っているの。悪いことなのかしら?」
「そんなことはないけど、一般受けはしないわね」
「それでもいいの。別に絵描きになるつもりはないから。私は自分で納得できればそれでいいのよ」
少しムキになっていたようだが、相手はあくまで冷静だった。
「普通なら、相手にムキになられると、こっちもムキになりそうなんだけど、香澄が相手だと、ムキになるような感じはしないのよ。不思議なことなんだけどね」
と言って笑っていた。
「私が自分で納得したいと思っていることを分かってくれているからかな?」
というと、
「そうかも知れないわね」
という返事が返ってきた。
「それとね」
友達は、さらに続ける。
「あなたの絵には、どこか『紙一重』のところがあるのよ」
「どういうことなの?」
「見る角度によって、全然違う感覚になるというのか、たとえば赤い色一つをとってもそうなんだけど。情熱的なところと、冷徹なところが見えるのね。まるで『燃えない灼熱』という表現が合っているのかも知れないわ」
そんなことを言われたのは初めてだった。
その時に話をしていたのは、大学の同級生で、彼女も教師を目指していた。彼女は、高校の頃からの付き合いで、自分が教師になろうと思った気持ちに、さらに拍車を掛けたのが、彼女の存在だったのだ。
「『天国と地獄』のように、紙一重なのかも知れないわ」
「『天国と地獄』が紙一重だっていうの?」
「ええ、昼と夜とが紙一重のように、きっと天国と地獄も紙一重だと、私は思うのよ」
彼女の発想は突飛に思えたが、その時には理解できなくても、頭の中に残っているので、一人になって再度考えると、さらに考えが進み、納得できるまでになっていくのだった。
昼と夜とが紙一重だというのは、香澄にも理解できそうだった。ただ、その間に朝や夕方があるのだが、香澄は、朝と夕方は、昼と夜の間にあるものではないと思うようになっていた。
つまり、昼と夜とが紙一重なら、朝と夕方も紙一重ではないかと思うのだ。
香澄にとって、夕方の方が神秘的で好きだった。
ただ、時々体調を崩すのは夕方の時間が多く、夕方には、何か目に見えない魔力のようなものがあるのではないかと思っていた。
――夕方は、密かなエネルギーを秘めているようだけど、実は、夕方という時間帯だけでは何も起こすことはできないんじゃないのかしら?
夕方の風のない時間帯を「夕凪」といい、魔物に一番遭遇する時間帯だと言われ、「逢魔が時」という言葉もあるくらいだ。
――ということは、夕方のエネルギーは、まだ見ぬ魔物によって与えられるものではないか?
という考えが、香澄の中に生まれてきた。
香澄は、魔物や魑魅魍魎を信じる方ではなかったが、夕方の時間帯を考えると、魔物の存在抜きには納得できないような気がしたからだ。
そう考えると、世の中には、人間の力だけでは納得できない何かが起こっているのだとすれば、そこに目に見えない力が働いていると考えるのが自然である。その目に見えない力を総称して、
「魔物」
作品名:交わることのない平行線~堂々巡り③~ 作家名:森本晃次