交わることのない平行線~堂々巡り③~
その時に見た光景で覚えているのは、真っ赤な色の鮮血が、放射状に飛び散っていたことだ。どす黒さを最初に感じたにも関わらず、次第に光って見えてきたのはなぜだろう?
時間が経つにつれて、普通なら色褪せてくるはずなのに、色褪せるどころか、鮮明に赤い色を鼓舞しているかのようだった。
そう感じた途端、複数の臭いが漂ってくるのも感じた。一つは、その時から少し前に始まった生理を思い起させるものだった。思わず、吐き気を催してきたが、まわりからは、状況を見ただけの判断に見えるに違いない。
そしてもう一つは、土の匂いだった。
ケガをした時、ケガをする前に、臭いを感じることがあったが、その臭いに似ていた。その臭いとは、鼻に抜けるような感覚だった。土の匂いというよりも、埃をそのまま吸い込んだような感覚に違いないが、その感覚は今でも時々あり、雨が降ってきそうな時などに、雨の前兆として感じることがあったのだ。
バイクに乗っていたのは青年だった。グレイのつなぎを着ている上に、ヘルメットは吹っ飛んでいて、顔が見えていた。
口からはおびただしい血を吐いていて、目はあらぬ方向を見ている。
カッと見開いた目は、あらぬ方向を見ているくせに、どこに逃げてもこちらを向いているような錯覚を覚えたのが印象的だった。
「ああいうのを、断末魔の表情っていうのかな?」
と、後ろから誰とも知らぬ声が聞こえたが、誰だか確かめられなかった。倒れている青年から目を離すことができなくなっていて、後ろを振り返ることがしばらくはできなかったのだ。
初めて聞いた「断末魔」という言葉、その言葉もしばらく忘れることができなかった。
「見るんじゃなかった」
自分の心がそう叫んでいたが、もちろん、声になるわけもない。さっきの断末魔という言葉を発した人は、その時の香澄とは逆だったのかも知れない。
本当は、声に出すつもりなどなかったのに、思わず口から洩れてしまったということだってありえることだというのは、後になり冷静になると、分かってきたことだった。
その時は、断末魔の表情の恐ろしさだけが、そのまま忘れられないんだろうと思っていたが、実際には、それよりも、その時に感じた臭いと、真っ赤な鮮血だった。特に色に関しては、恐ろしさからか、その日の夢に出てきたが、色などあるはずのない夢の中で、唯一、真っ赤な鮮血だけが、鮮やかだったという意識を持ったまま、目を覚ましたからだった。
――どうして、色と臭いだけが、印象に残るのだろう?
そこに五感というものが、特殊能力を引き出すというところに繋がってくることに気が付いた最初だということを、その時はまだ分からなかった。
夢の中で色を感じたのは、その時が最初というわけではなかった。
――夢の中で色を感じるはずはない――
という考えは、ずっと昔から持っていた。実際にほとんどの夢で、色を感じたことなどなかったからだ。
だが、夢に見た内容はおろか、
「色を覚えている」
などということは、分かるはずないと思っていた。
夢というのは、目が覚めるにしたがって、忘れていくものだという意識が強いからであった。
色を覚えているということは、
――見た夢に、何か忘れられない思いがあるのか、それとも、色そのものに、インパクトが強く、意識として残ってしまったかの、どちらかなんじゃないかな?
と、感じていた。
夢で見たものは、
――忘れてしまったわけではなく、思い出せない部類に入る――
と思っている。
忘れてしまったのであれば、夢を見たという意識すらないのではないかと感じるからだ。
夢ということであれば、香澄は義之サイボーグの夢を何度か見た。付き合った男性の夢を見ることはなかったのに、なぜサイボーグの彼のことがそれほど気になったのか、自分でも理解に苦しむ香澄だった。
夢の内容は、ちょっと人に言えるような内容ではなかった。
――相手はサイボーグなのに――
実際に、直接本人から、
「俺はサイボーグだ」
という言葉を聞いたわけではなかった。
しかし、夢の中での彼は、面と向かって、
「俺は、サイボーグだ」
といい、
「サイボーグだと分かっていて、君のことが好きになった。君は、俺のことをどう思ってくれるんだい?」
というと、
「私もあなたのことが好きよ」
と、答えた。
しかし、その言葉が彼には届いていない。
「えっ、何?」
と、聞き返してくるので、再度答えるが、やはり聞こえないようだ。
最初は、香澄も自分の喋っている声を自分で感じることができた。喉の震え、そして、口の中の震え、明らかに声として、表に出ていたものだ。
だが、彼が何度も聞き返してきて、何度もそれに答えているうちに、自分の声を感じなくなった。喉の震え、口の震え、そして、目の前の空気が微動だにしていないのを、肌で感じていた。
――どうしてなの?
と、思っているうちに、今度は、彼の声が聞こえなくなってくる。口は明らかに動ているが、空気の振動は感じない。まるで真空状態にいるかのようではないか。
そう思っていると、今度はまわりの空気が薄くなってくるのを感じた。
空気が薄くなってきているにも関わらず、息苦しくないのは、息苦しさよりも、もっと感じなければいけないものがあって、そちらに集中しているからなのかも知れない。それだけ、自分で考えていると思っていることが虚空を掴んでいるような感覚に陥ってしまっていて、
――普段なら、掴むことなどできるはずのない空気を、掴むことができるようになっているのかも知れない――
と、感じた。
――普段は、形になっていないものを、夢の中では形のあるものとして掴むことができる。つまりは、「夢の中では掴めないものはない」と思ってもいいのかしら?
と、考えるようになった。
それは、義之サイボーグの夢に限ったことではないが、色に関してだけは、他の人が夢に出てきた時とは違っていた。
――そういえば、私の夢には、複数の人が出てきたことってないわ――
子供の頃に一度、同じ疑問を感じたことがあったが、
――自分だけじゃなく、皆同じなんじゃないかしら?
と思うことで、納得していたが、大人になるにつれて、
――どこかおかしい――
と思うようになっていた。
大人になるにつれて、子供の時に、
――それが当然のことなんだ――
と思っていたことが、
――実は違った――
と思うようになったことも少なくない。
夢についてもそうだったし、色についても、似たようなことがあった。
高校の時に、通学のために朝出かけようとした時に、綺麗な虹が出ているのを見た。歩きながら虹を見上げながら歩いていたが、まわりは、どす黒い雲に覆われた中での虹だったので、本当は綺麗な虹だとは言い難いのだが、後から思い出すと、虹のまわりは雲一つない真っ青な空だったという記憶しか残っていなかった。虹があまりにも綺麗だったために、まわりがどんなに曇天であっても、綺麗な晴天だという、
――歪んだ記憶――
が意識して格納されてしまったに違いない。
「人間の記憶なんて、曖昧なものなんだ」
と言えなくもない。
作品名:交わることのない平行線~堂々巡り③~ 作家名:森本晃次