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交わることのない平行線~堂々巡り③~

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「木々は緑色をしているものだ」
 という意識が、ついてもいない色を感じさせたのかも知れない。それを潜在意識というのだろうが、香澄の場合は、自分では、
「色に対して敏感になっている」
 と、感じるようになっていたのだ。
 ただ、潜在意識を思い浮かべなかったわけではないので、意識としては根底にあるのは間違いない。潜在意識を感じるようになったのも、
「色に敏感になってきたからだわ」
 と言えなくもないだろう。
 香澄は、自分がなぜ沙織に対して優位性を感じているのか分からなかった。沙織を見ると、自分を慕ってくれているように見える。
「私はそんな他人から慕われるような女じゃないのに」
 と思いながらも、慕われることに甘えながら、沙織に対して優位性を求めている自分を感じた。
 そこには苦悩も感じられたが、元々、香澄は自分が人間嫌いであることに気が付いていった。
 それは今さらのことなのかも知れない。
 サイボーグである彼に惹かれたのも、彼が人間ではないからで、人間だったら、必ず相手の悪いところを探そうとするはずだった。しかし、彼に対しては、嫌いなところを探そうという気はなく、最初からどこを見ていいのか分からないところがあった。それが、香澄にとっての戸惑いとなり、自分が人間嫌いだということを隠そうとする本能が働いたことで、惹かれていく自分に、相手に対しての優位性を考える余裕もなかった。
 今まで香澄は、まわりの人間に対して、優位性ばかりを感じていた。特に子供の頃は、優位性だけしか考えていなかった。それは母親から受けた教育がそうさせたのだった。
 香澄の家庭は、裕福ではなかったが、貧しいわけでもなかった。普通の家庭という中でも、さらに平凡で何もない家庭だった。
 今から思えば、
――平凡に過ごすことが、本当は一番難しくて、そのことに気付きにくい――
 ということが分かる。
 子供の頃は、それが退屈で仕方がなかった。
 一年に一度、夏休みになると、家族で旅行に出かけるのが恒例となっていた。場所はさほど遠い場所ではないが、日帰りは難しい温泉がほとんどだった。
 父が老舗旅館が好きだったので、部屋は和室で、露天風呂があるようなところがいつも宿泊場所の候補になった。
 父も母も宿に着くと、宿の人から一通りの説明を受けるまでは、緊張していたが、
「ごゆっくりお過ごしください」
 と言って、女中さんが襖を閉めて部屋を出ていくと、
「ふう」
 とばかりに、一気に緊張を解いてしまい、脱力感から普段の姿に戻ってしまった。
 一仕事終えて、満足した表情ではなく、ただ「疲れた」というだけの表情は、香澄をいつもガッカリさせた。
――何のために旅行に来ているのかしら? 息抜きのためじゃないのかしら?
 と、子供心に不思議に感じた。
――そんな顔するのなら、最初から来なければいいのに――
 と思い、いたたまれなくなり、その場から少しでも早く離れたい気分になっていた。
「ちょっと、私、出てくる」
 というと、父親はすでにグッタリしていて何も言わないが、母親はいかにも訝しげな表情で、
「遠くへ行くんじゃないわよ。本当に貧乏性なんだから」
 と、まるで投げやりになっているかのような捨て台詞を吐いた。
「貧乏性?」
 最初は、子供の香澄に分かるはずもない言葉が飛び出して来た。
――うちの家庭って、貧乏じゃないのに、何を言っているのかしら? 私だけ貧乏に見えるってこと?
 と、母親としては、疲れからなのか、それとも一般家庭のしつけの行き届いた子供は、
――落ち着いて、歩き回らないものだ――
 という考えが頭にあるからなのか、子供が分かろうが分かるまいが、思わず出てきた言葉なのかも知れない。
 しかし、子供としては、
――貧乏――
 という言葉を言われると、
――本当はうちは貧乏だったんだ―― 
 と感じ、それでも他の家庭に合わせようという努力をしている母親を見ると、惨めにしか感じられなくなった。
 肉親が、しかも、父や母が無理をして背伸びしようとしている姿を見るのは、子供としては、本当にいたたまれない。今のままの性格では、その環境に耐えられないことを感じていた。
 その思いを小学生の頃、ずっと感じていた。なぜ、そんな思いを感じなければいけないのか分からなかった。
 中学に入り、あれは二年生の冬のことだっただろうか。友達同士でスキーに行こうという話が持ち上がったことがあったが、そのことを母親に話した。
「友達同士で行く」
 というと、
「ダメです。友達同士だなんて、とんでもない」
「どうして? 皆、親の了解を貰っているのよ。うちだけ行かないなんて変だよ」
「よそ様はよそ様、うちはうち」
 と、言って聞く耳を持たなかった。
――よそ様? よそ様って何よ――
 香澄は、また母親の言葉に対して反応した。母親は別に意識して言っているわけではないだろう。
 だが香澄には、よそ様という言葉に反応した。
 それは、「様」という言葉がついていることで、母がまわりに対してコンプレックスを持っているということを知ったからだ。それは、温泉旅行の時に聞いた、
――貧乏――
 という言葉を彷彿させるものだった。今回の言葉に、母親の無意識さが伝わってきたことから、温泉旅行の時に言っていたあの言葉も無意識であったことが、この時ハッキリと分かったのだ。
 そして、もう一つは、自分の言った言葉に、母は一切責任を感じていないということだ。口から出た言葉は吐き捨てられただけで、躊躇いもなければ、後になって、
「言いすぎた」
 という印象もない。
 それだけ、母の言葉は軽いものであり、自分が大人になってくるにつれて、
――母親は、尊敬に値するようなことは一切ない人なんだ――
 と感じてきた。
 露骨に軽蔑する気持ちにもなった。
――実の母親なのに?
 と、思うこともなかった。逆に、
――実の母親だから、余計に感じることなんだ――
 と、香澄は感じた。
 そのうちに、香澄は人を信用しなくなった。
 人を信用しないということは、
――自分も信用しない――
 ということでもあった。
 さすがに、中学時代までは自己嫌悪に陥ったという意識はなかったが、何を信じていいのか分からず、そんな時に出会ったのが、絵画だった。
――色彩感覚と、遠近感さえあれば、絵は描ける――
 ということを、香澄はすぐに看破した。他のことは、深く考えてもなかなか分かることはなかったが、絵画に関しては分かったのだ。
 それでも、美術館に出かけて本格的な芸術作品を見てみたが、
「どうにも私には分からない」
 という感覚しかなかった。
 あまりにも高貴すぎて、自分には理解できないという気持ちが強いのか、それとも、芸術作品の中に、元々自分が感じた、
「色彩感覚と、遠近感」
 この二つが感じられなかったからなのかも知れない。
 どうして感じられないのか分からない。自分の絵だったり、まわりの人が描く絵には感じるのに、不思議だった。