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安全装置~堂々巡り②~

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 人間の心理学では、ありえないことでも、ロボット心理学ではありえること、逆にロボット心理学ではありえないことでも、人間の心理学ならありえること、それぞれが存在するという話をしていた時のことだった。
「ロボットになら、いくつもの人格を埋め込むことができると思うんだが、いくつまでできそうなんだい?」
 と友人に聞かれた時、
「何言ってるんだよ。ロボットだって、人格を複数埋め込むことはできないさ。ロボットだからできないと言った方がいいかも知れない」
「どうしてなんだい?」
「ロボットの意志というのは、まだ脆弱なので、意識という器にいくつも人格を埋め込んだりしたら、混乱してしまって、動かなくなるか、オーバーヒートしちまうよ」
「そんなものなのかな」
「やろうと思えばできるけど、やってしまうと、意志が堂々巡りを繰り返して、無限ループしてしまいそうだ。それこそ、『フレーム問題』に牴触しそうだ」
「『フレーム問題』って、ロボットがあらゆる可能性を考えてしまって動けなくなるから、必要な部分だけを選んで行動できるようにする仕掛けを組み込んでも、結局、選別するにしても、無限にある可能性を考えないといけないことから、今度は最初から動けなくなるという、人工知能の問題提起だよな」
「そうそう、それが解決しない限り、難しいだろうな」
 と言っている友人に対し、義之は、
「何言ってやがるんだい。ある程度まで先が見えてきているんじゃないのかい? 俺にはもう間もなくって気がしているんだぜ」
 と半分カマを掛けてみたのだが、今度は友人がニヤリと笑って、
「まあな」
 と一言だけ答えた。その顔には確信めいたものがあり、カマを掛けたつもりが、本当だったとは、義之は自分の身体が興奮で震えているのを感じた。だが、これ以上話を聞いても、彼は答えてくれない。完全な状態でないとはっきりしたことは言わない完璧主義者の彼である。聞くだけ無駄なことは分かっていた。
「フレーム問題」は、ロボットが堂々巡りを繰り返す原因であり、一番の問題は、
「可能性は無限である」
 ということではないかと思っている。
 彼との話には信憑性はあった。
 確かにアンドロイドやロボットの電子頭脳や人工知能に、複数の人格を埋め込むのは難しいようだ。
 しかし、どうしても義之は入れ込みたかった。もちろん、この時代の科学では物理的に不可能なことではない。問題になってくるのは「フレーム問題」のような、ロボット自身の意志の問題だ。
 そこで義之は、基本的には現実主義を入れ込み、そして、隠しコマンドとして、特別症候群の自分の人格を埋め込むことにした。隠しコマンドは、義之の命令やキーワードがなければ発動しない。そしてひとたび発動してしまえば、現実主義の考えが今度は隠しコマンドの奥に封印され、同じように義之の命令やキーワードがなければ発動しないようにしておいた。
「だけど、ご先祖様を俺と思って命令されれば聞いてしまうかも知れないな」
 と思ったが、それでも構わないと思った。
「特別症候群の考え方だって俺に間違いはないんだ。ただ、一緒に表に出すわけにはいかないというだけで、アンドロイドが俺の思惑通りに作動してくれればそれでいいんだ」
 と、考えていた。
 ます、義之は自分のアンドロイドを、ご先祖の元に送り、様子を見ようと考えた。
「まずは、香澄先生だな」
 と、香澄先生の骨からあらかじめ取っておいた遺伝子から、香澄先生の情報をアンドロイドの記憶装置の中に埋め込んだ。
 アンドロイドの記憶装置には、人間の記憶領域ほど完成されたものではない。
 それは、この時代であっても、人間の記憶領域に関して、完全に分かっているわけではなかった。それが分かっているのであれば、もっと早く、三十代の義之が自分から赴けるはずだからである。
――今の俺が香澄先生や沙織の前に姿を現しても、「おかしなおじさん」としてしか見ないんだろうな――
 二人の性格というより、時代背景を考えれば、それも当然のことだった。この時代は、二人の時代に比べて、年齢というものに意識が強い。意識は強いが、それは全年齢を考えることができるようになったからであって、二人の時代のように、他の世代の人間を、
――まるで次元の違う人間――
 というような目で見ているわけではない。
 それだけ年齢的な精神状態の分析が進んでいて、年齢差別という言葉も生まれたほど、年齢に対しての考え方が道徳問題にまで発展していた。
 理由の一つは、今も昔も、「不老不死」を永遠のテーマにしていたからだろう。この世界で、不老不死という考えはある意味タブーとされている。
 昔から言われるように社会構造の効率化という意味でのロボット開発では、人間が不老不死になってもらっては非常に困る。この問題は昔から不老不死に対しての副産物のような問題として提起されてきたが、「少子高齢化」という問題が永遠になってしまったことを意味していた。
「そういう意味ではロボット開発というのは、自然の摂理に対する挑戦のようなものかも知れないな」
 という話を、友人ともしたことがあった。
「過去の人間と自分たちとの距離は年数じゃないんだ。やっぱり考え方の違いなんだ」
「どういうことなんだい?」
「一言で言えば、『精神的優位性』とでも言えばいいのかな? 過去の人間と俺たちとの絶対的な違いはなんだって思う?」
「それは、俺たちが過去のことを知っているけど、過去の人間は俺たちのことを知らないということではないか?」
「そうなんだよな。そこに優位性が生まれてくる。だけど、その優位性って、単純にそれだけじゃないんだ」
「というのは?」
「確かに俺たちは、先祖のことを調べることはできる。時代背景も勉強すれば資料はあるわけだからね。でも、忘れてはいけないのは、『先祖がいたから俺たちがいる』ということなんだ。こっちは先祖のことを知っていることが優位性だと思いがちだけど、立場的な優位性は先祖の側にあるんだ。俺たちという存在は、『過去の歴史の証明』だと言っても過言ではないんじゃないか?」
「何となく、堂々巡りを繰り返してしまいそうな発想だな」
 義之は、その言葉にドキっとした。
 確かに話をしていて、たとえば自分と友人がそれぞれの立場から話をしたとして、どちらも自分の優位性を主張することになるだろう。その中でどちらかが歩み寄ったとしても、その時に相手も同じように歩み寄ってくるように思えて仕方がなかった。
 堂々巡りを繰り返すということは、そういうことなのかも知れない。理屈だけではなく、お互いに立場を考えているもの同士の意見の葛藤が、平行線を形成している以上、堂々巡りを繰り返す。逆を言えば、堂々巡りを繰り返すのは、会話の中で同じ立場を保とうとする意志がお互いを支配しているからだ。堂々巡りを必然と考えるなら、同じ立場を保とうとするのは作用であり、この場合でいけば、歴史というものが証明を求めて、平衡を保とうとしているからに違いない。
――「歴史が証明してくれる」という言葉をよく聞くが、本当はそういうことなのかも知れない――
 と、義之は考えた。