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安全装置~堂々巡り②~

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 何とも無責任なセリフで、親や先生が信用できなくなる人がいるのは、こういうところからである。つまりは、すべてを自分の物差しで測ってしまい、まったく違う性格の人間を一つの殻に押し込めてしまおうとする。
「そんなことが許されてもいいのだろうか?」
 と、青年義之は感じたものだ。
 自分がロボット工学を研究するようになってからも、人間心理学、あるいは生化学などを平行して勉強した。分かってきた部分もあったが、まだまだ分からないところの方が多かった。
 人間心理学を勉強していると、自分の中にあるもう一つの人格が、今は表に出ていないだけで、いずれは、自覚できるようになることを予感していた。
 二重人格の人を徹底的に研究した。友達のふりをして近づいたこともあったが、どうも二重人格の人と仲良くなっても得られる情報は少なかった。そして得た結論として、
「二重人格者と、別々の人格が存在する人とは、まったく違うものなのだ」
 というものだった。
 義之は、
「焦ることはない」
 と思っていた。
――ひょっとすると、一生を掛けた研究になるかも知れない――
 と感じたが、それでもいいと思った。
 これが解明できれば、人間心理学の部門では革命的なことであろうし、ロボット工学においても、どうしても超えることのできなかったロボット工学基本基準の縛りが解けるのではないかと思ったからだ。
 義之は、自分の性格を顧みることを一時期止めていた。
――自分のことばかりを考えていたんじゃダメなんだ――
 と感じた。
 どうして自分のことだけを考えるようになったのかというと、
――他の人の性格を表から見ているだけでは、二重人格者と同じなので、見分けがつかない――
 というのが、一番の理由であった。
 しばらく、人格のことを考えるのをやめて、ロボット研究に専念していた。
 もちろん、諦めたわけではなく、逆にロボット研究をすることで、自分の性格を顧みることができるのではないかという考えもあったからだ。
 ただ、これは漠然とした考えであって、確証があるわけではない。ずっと性格の研究をやめておくわけにもいかないと思ったので、ロボットに専念する時期を三か月と定めた。
 この期間も漠然としていた。
「一か月では短すぎるし、半年では長すぎる」
 というスパンから決まったものだった。
「それにしても、俺って結構アバウトな性格なんだな」
 と、苦笑していた。
 現実主義なはずなのに、他の人の現実主義とは違っている。
 他の人の現実主義についても調べてみたが、どうにも要領を得なかった。自分が現実主義者だと思っているのだから、性格は手に取るように分かりそうなものだと思っていたのに、おかしなものだ。
 その時に思い出したのが、
「高校の時にロボット女教師を好きになった自分の心境」
 であった。
 その時に、初めて義之は自己嫌悪というのを知った。
 それまでにも、同じように自分のことを恥かしいと思ったことはあったが、その心境の正体が自己嫌悪だとは思わなかった。
 自己嫌悪というのは、もっと心理学的に悩み深いもので、子供には無縁なことだと思っていた。小学生の時も中学になってからも、自分を恥かしいと思うことがあったが、それはすぐに収まったので、悩み深いものだとは思わなかったのだ。
 自己嫌悪だと思わなかった一番の理由は、
「恥かしいという感情から、逃げていた」
 というのが、義之にとっての自己嫌悪の始まりだった。
 つまり自己嫌悪とは、
「自分の感情から逃げること」
 だったのだ。
 それが分かったのは、自分がロボットの研究を初めてからだった。
 ロボットの中には女教師ももちろん含まれていた。
 義之も生身の人間であり、感情もある。好きになったロボット女教師を思い出しながら作ったロボットも何台あることだろう。
「また、同じようなロボットを作っちゃった」
 と、自分で言って、気が付けば自分に怒りを覚えていた。
 なぜ怒りがあるのか分からないが。そこで自分が自己嫌悪に陥ったことを感じた。この自己嫌悪が、将来自分の中にあるもう一つの性格である、
「他の人と同じでは嫌だ」
 という特別症候群に繋がってくることを、その時はまだ知らなかった。
 自己嫌悪というのは、誰にでもあることだが、その時々で程度も違えば種類も違う。自己嫌悪というのは、感情であり、性格ではないからだ。
 ただ、性格というよりも、人格に対して大きく影響を受けるもののようだ。
 性格の集まりが人格を形成していると義之は思っていたが、どうやら、義之の中は違うようだ。
「俺は一つの人格の中に、一つの性格しか宿すことができない。だから、二重人格者ではなく、違う人格を持った人間なんだ」
 と思うようになっていた。
「待てよ。これはロボットに活用できないだろうか?」
 義之は、自分のロボット研究に一筋の光明が見えたのを感じた。ロボットの「ジキルとハイド」を作ることは、それはそれで危険を孕んでいることを、その時は分かっていなかった。
 自分のアンドロイドを作った時、自分の二つの性格を組み込んでみた。脳の働きについては、医学的な見地と、学術的な見地とが融合し、脳の働きは、波動で証明することができることは昔から言われていたが、性格までも、波動で証明できることが最近になって分かってきた。研究が遅れたのは、脳と性格というものの結びつきがおぼろげなものだったことで、一つの結論に達するまでには行かなかったからだ。
 だが、その二つを結びつける寸前まではずっと前にまでに研究が進んでいたが、最後の一歩が難しかった。医学と学術との融合には、得てして接近していても、最後の一線を超えるまでのハードルが高いことは、今に始まったことではなかった。
 義之は、性格の融合には、自分の力だけではうまくいかないのが分かっていたので、友人の心理学者に話をした。
 彼は、公式的にはロボット心理学という学問は確立されていなかったので、表向きは人間の心理学者だが、密かにロボットの心理も研究していた。義之のまわりには、意外と公式非公式の両面を持った友人が結構いる。
 義之自身も、実際はロボット研究がメインだが、人間の心理学も研究している。彼の場合は、
「ロボット研究から見た人間の心理学」
 であり、友人のような
「人間の心理学から見たロボット心理学」
 とは正反対のように見えるが、実際には接点が多い。ひとたび話を始めると、一晩中話が尽きないであろう。議論することもあったが、
「話をどこで落着させるか」
 というのがある意味、一番難しい。終わらせ方を間違えると、どこで切っても中途半端になり、本当に話が終われなくなってしまう。話を始めた瞬間から、終わりを見ておかなければいけないことを最初から分かっていた。
 友人が医学的な見地からの心理学、義之は学術的な見地からの心理学。お互いに平行線を描くことは分かっていた。
「すぐ目の前にあるはずなのにな」
 と、お互いに溜息を尽きながら、それでも喜々として話が弾む。本当にお互いの意見を戦わせるような話をするのが二人とも好きなのは間違いないようだ。