安全装置~堂々巡り②~
つまりは、香澄の時代の人間を、本当に「人間」だという認識で感じているわけではなかった。
このことは創造主である義之にも計算外だった。義之自身も、香澄の時代の人間を、同じ人間として見きれないところがあった。
何しろ、その間に大きな戦争があり、一度は滅んだ形になっている人類である。香澄の時代からの人間から見れば、
「生まれ変わった人間」
というよりも、
「一度滅んで、新しい人類が誕生した」
というイメージに写るのではないかと、義之は考えた。
この考えはあくまで義之の考えであり、本当に香澄の時代の人間が、この歴史を理解できたとして、本当にそう思えるのかどうか、いささか疑問ではあった。
ただ、義之の目から見て、香澄の時代の人間は、電子頭脳の中にある「人間」という枠には当てはまらなかった。香澄も同じだったが、香澄は、その違う人種の中でも別人種に感じられたのである。
「ひょっとして、この人は、一番自分たちに近いのかも知れない」
と感じたのだ。
義之の時代の「人間」から比べると、香澄の時代の人間の方が、どちらかというと、彼らに意識は近い気がした。
義之の時代は、ロボットやサイボーグというものが開発され、
「人間とは一線を画した、まったく違う存在」
という意識があった。
だからこそ、「ロボット基本基準」という考えが生まれ、人間とは違うという意識を電子頭脳に埋め込むことが考えられたのだ。
彼は、次第に香澄を、
「彼女は、この時代の俺たちと同じ存在なんだ」
と、考えるようになった。
彼には、人間とまでは行かないが、喜怒哀楽を感じることができる。
喜怒哀楽を感じることができる電子頭脳や、人工心臓が埋め込まれているのだから、「恋愛感情」を持つことも十分に考えられた。
ただ、最初は、
「自分には、恋愛感情などという概念はない」
と思っていた。
それは、香澄を見ていると、余計にその感情は確信に近づいていった。香澄自身、
「人を信じる」
という感覚がなくなっていたからである。
この場合の「人」というのは、イコール「人間」という感覚だとは思えない。彼が感じているこの時代の「人間」というものから比べると、香澄が感じている「人」というのは、かなり限られたものだった。
彼女の考える「人」というのは、少なくとも、
「自分に関係のある人」
というイメージである。さらに「関係」という言葉は、「利害関係」という言葉に置き換えることができる。そう思って香澄を見ているうちに、
「この人は、ただ冷静沈着というだけではなく、狭い範囲での自分に関わりのあることを、すべて計算立てて解釈しようとしている」
と思うようになった。
だが、それでも、理解できないところがあった。それが、彼女が時々感じる。
「情緒」
のようなものであり、感性と言えるものだ。
「年を取る」
ではなく、
「年齢を重ねる」
という考えに至るのも、その「情緒」という考えから生まれてくる。
「どうして、彼女のような人に、そんな発想が生まれてくるのだろう?」
彼の電子頭脳は、まったく理解不能に陥っていた。
そのおかげで、彼は香澄と知り合って、すぐに人間で言えば、ノイローゼのような状態に陥った。
元々、「一人」で自分のいた時代から、やってきた。「やってきた」と言っても、それは自分の意志で来たわけではない。創造主である義之の「命令」でやってきたのだ。
基本基準を埋め込まれているので、人を傷つけることのない限り、命令服従は絶対条件である。
彼のノイローゼは、
――基本基準があるがあるがゆえ――
のことであった。
第一条の、
「人を傷つけない」
ということが、こちらの時代にやってきて、分からなくなったのだ。
まずは、さっきも記したように、「人」という概念に対しての疑念から生まれたものだったが、次に感じた疑問は、
「傷つけない」
という部分で、範囲がどこまでなのかが、彼には分からなかった。
「自分がいた時代では理解できたはずなのに、やはり創造主がいないことでの不安から来るものなのか、それとも、こっちの時代の『人』という概念が違うことで、その範囲が分からなくなったからなのか……」
と感じていたが、どうも、それだけではないようだ。
「傷つけないというのは、肉体的なことだけなのか、それとも精神的なことも含むのか……」
この問題は、実は義之の時代でも、
「基本基準の優先順位」
という命題が、論議の元になり、
「命令への絶対服従との優先順位ということが論議になったことで、第一条に特別条文を付け加える論議があった」
というのは、彼も知っていたが、それがどうなったのかまでは知らなかった。
結果的には、条文に追加事項は認められなかったが、これからも波紋を呼ぶことは約束されたようなものだった。
だが、香澄の時代には、そんな「基本基準」は関係のない世界だった。
まだロボットを開発するなどというレベルにまで至っていない時代。(開発技術はあっても、制御技術に関しては、その発想すらない時代だった)そんな時代に一人取り残されたようになった気分にさせられた彼は、頼れる相手は香澄しかいなかった。
そういう意味で香澄を、
「自分に一番近い存在だ」
と、感じたのは、それだけ弱気になっているからなのかも知れない。
生身の人間は、身体的にはロボットやサイボーグにはかなり劣ったところがあり、計算や判断するための頭脳も、比較にならなかった。
だが、実際に判断させると、人間の方が遥かに判断能力には長けていた。
――何が違うんだ?
彼は、目の前に見えている事実に愕然とし、何を信じていいのか分からなくなった。そうなると、信じるということ自体、活動をやめてしまう可能性があった。
彼はサイボーグの中でも、高度な「意志」を持っていた。彼の「意志」は判断力という意味で、他のサイボーグとはかなり違っていた。
ロボット開発で、一番の問題になったのは、
「人工知能がどれほどまで判断力を有することができるか」
という問題と、
「意志をどこまで自らで持つことができるようになるか」
という二点だった。
判断力に関しては、義之の時代の過去から言われてきたことだが、
「可能性が無限である限り、限りなく不可能に近い。人類、ロボット含めての永遠のテーマだ」
と言えるだろう。
しかし、意志という問題に関していえば、
「どこまで人間に近づけるかという問題が一つ大きいが、それ以外に、『本当に人間に近づいていいのか?』という問題の方が大きい」
というのが、定説になっていた。
だが、どちらの発想も香澄の時代に、影も形もなかったわけではない。実はもっと以前からあったもので、ロボット開発がうまく進展していないことで、作為的に話題にされていなかっただけだった。
義之の時代のロボットの中には、意志を組み込まれた「仲間」がいたが、彼らの中には、
「人間のような意志を持ちたくない」
と思っている連中もいた。
「人間のような意志とは?」
と聞くと、
作品名:安全装置~堂々巡り②~ 作家名:森本晃次