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安全装置~堂々巡り②~

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 しかし、それを本当に順応できたと言えるのだろうか? ただ、面倒臭いことや、煩わしいことから逃げていただけなのではないかということも考えてみた。
 そこで、自分の考えが堂々巡りを繰り返していることに、ある瞬間になって気が付いた。それは、時間が経つことで行きついたことなのか、それとも、何かの役のようなものを引いたことで、目の前の扉を開くカギを見つけたからなのだろうか。どちらにしても、堂々巡りを繰り返していることに気付くと、余計なことを考えないということに、意識を集中させてみた。
 すると、客観的な自分を納得できる気がしてくるから不思議だった。
――堂々巡りを繰り返すというのは、「無限ループ」なんだ――
「無限」を一番怖いものだという意識を持っている自分が、最初からまわりの環境の変化の第一線にいたことで、「客観的な自分」を演出できたのだという意識が、自分を納得させたのだ。
 義之サイボーグと知り合った時、最初から彼がサイボーグであることに気付いていたような気がする。
――彼も他の人とは違うんだ――
 という思いを最初から感じて見たからであろう。
 初めて会う人のどこを最初に見るかと聞かれると、
「他の人との違いを探すような思いで見るようにしている」
 と香澄は答えるに違いない。
 つまり香澄は、誰を見るにしても、必ず最初に他の人との違いという観点から見る。彼に対して、大いに他の人との違いを感じたことだろう。
――私なんかよりも、ずっと低いところで前を見ているような気がするわ――
 低いところから上を見上げているわけではない。低いところにいて、ただ前を見ているだけなのだ。
――だから、彼には目の前に見えているもの以外は、視界に入っていないに違いないんだわ――
 と感じていた。
 香澄も同じように、自分の視線に見えているもの以外を探そうとは思わない。本当なら二人の視線が結びつくことはないのかも知れない。
 それなのに、彼は近づいてきた。何かの目的があるのかも知れないとも感じたが、彼に下心のようなものは感じない。
 サイボーグなら、もし下心があったとしても、それを相手に悟らせないような能力があるのかも知れないと感じたことも、彼がサイボーグだと感じたゆえんだが、その思いは一瞬で消えた。
 ただ、その思いは一瞬で消えたが、考えを派生させるための第一歩になったことには違いない。
――でも、この人とは、今回初めて知り合ったような気がしないわ――
 前にもどこかで会ったことがあるような気がしたのは、錯覚に違いないが、錯覚を起こさせるには、それなりに何かの根拠があるはずだった。
 以前にも、似たようなシチュエーションがあったのを思い出したとか、彼の視線と同じような視線を過去に感じたことがあったなど、導入部分は、さまざまな可能性を秘めている。
「デジャブ」というのを、香澄は信じていない。
 あくまでも錯覚だとしか思っていないのは、自分の記憶に自信がないからだ。それは子供の頃から思ってきたことで、そういう意味では、何かがあった時、精神に異常をきたすとすれば、それは自分の中で一番信じられないと思っている「記憶」に関してだと感じるのは、無理のないことなのではないだろうか。
 香澄は、その時自分の人生が、ずっと人から裏切られてきたものだったことを思い出していた。あまりいい人生ではなかったという意識は持っていたが、
「裏切られてばかりの人生」
 だという意識を、ハッキリと持っていたわけではなかった。
 その理由は、
――まだ、私は若いんだ――
 という意識があったからで、
「若いんだから、まだまだこれからだ」
 という思いと、
「裏切られていたのは、自分の若さゆえであり、年を重ねるごとに、自分のことを皆分かってくれるようになる」
 と、自分の若さが人に自分という人間を誤解させるという考えがあった。
 香澄は、それまで、
「年は取るものだ」
 という意識があったが、本当はそうではなく、
「年は重ねるものだ」
 と、思うようになった。
 単純に加算法と減算法の考え方なのだが、その差は大きなものである。その考えは人間であれば理解できるのだろうが、義之サイボーグには理解できなかった。
 香澄は、彼と話をしていると、楽しい気分になれる。相手がサイボーグだという意識を持っているから、気を楽にして話ができるのだと香澄は思っていたが、どうしても、考えすぎるところのある香澄には、冷たく思えるところがあった。
 しかし、逆に自分にも冷たいところがあることを、再認識することで、話しやすいとも感じていた。自分に冷たいところがあるのは前から分かっていた。だが、それを嫌なことだとは思っていなかった。
「それだけ、他の人と自分が違うということを感じることができる」
 と思っていたからで、その考えは、子供の頃から一貫して変わっていなかった。
 しかし、自分が成長していると思っていても、年齢を重ねても、裏切られたという感覚は残ってしまう。
 相手は、香澄を裏切っているつもりはないようで、ぎこちなくなってくると、必ず口論になり、香澄の口から、
「裏切られた」
 という言葉が発せられる。
 相手には、裏切った感覚がないのだから、相手からすれば、カチンときて当たり前である。
 お互いに「売り言葉に買い言葉」。そうなってしまうと、泥仕合になってしまう。冷静になって考えれば、
「どうして、あんなことを言ってしまったのかしら?」
 と思うのだが、後の祭りだった。
 いつも同じパターンで仲たがいをしてしまう。やはり、香澄の性格から来るものだと考えるのが一番自然であるが、
「私のまわりに寄ってくる人が、同じような性格の人ばかりなのかも知れないわ」
 と思って、まわりのせいにしてしまいがちだったが、それも、
「同じような性格の人を引き寄せているのも、この私なんだ」
 と思うと、最後に戻ってくるのは、「自分」ということになる。
 もし、これが他の人なら、自己嫌悪に陥るのだろうが、香澄の場合は少し違った。
「悪いのは私なのかも知れない」
 と思いながら、
「これも、自分が他の人と違うからだ」
 というところに結局は帰ってくる。自分の嫌ではない性格に戻ってくるのだから、本当は、
「裏切られた」
 という考えも少しニュアンスが違っているのかも知れないが、この堂々巡りを繰り返していることに気付いた時、裏切られたことへのショックから立ち直るのに近づいたことを自覚した。
 義之がサイボーグだと思ったのは、やはり、香澄と話をしている時に、香澄の話を、
――計算だてて考えている――
 ということに気付いた時だろう。
『年を取るという感覚』と『年齢を重ねるという感覚』のニュアンスの違いが分からなかったのも、その理由であるが、それだけではない。香澄の場合は、他の人との違いを、
「冷静沈着な計算で、まわりを見ることだ」
 と思っていたが、それは人の行動パターンまで、計算だけで判断しようなどと思っていなかった。
 彼が接しているのは、同じ人間でも、接し方が違っていることに疑問を感じていた。
 彼の電子頭脳は、人間というものを、
「自分の創造主が人間なんだ」
 と認識していた。