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安全装置~堂々巡り②~

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 自分に対して頑張るということなのか、それともまわりに対してよく思われたいから頑張ろうと思うのか、それとも、頑張ることで何かの見返りと期待しているのか。
 以前にはそんなことを考えたことはなかった。絵を描くようになった時、
――これが息抜きなんだ――
 と感じ、息抜きが趣味というもので、本業とは違う自分の大切な時間。
――そして溜まったストレスを解消できる自分だけの時間――
 だと思っていた。
 ただ、さらにここで香澄には疑問があった。
――溜まったストレスというけど、それがどんなものなのか、モヤモヤしていてハッキリしない。溜まってくるのは分かるけど、それが本当に解消されたのかどうかって、簡単に分かるものなのかしら?
 と考えた。
 友達に話すと、
「香澄は考えすぎなのよ」
 と前置きがあって、
「そんなに深く考える必要はないのよ。一度でもスッキリしたと思えれば、その時点で、解消されたような気になってしまえばいいのよ」
「ウソでもなの?」
「うん、ウソでもいいのよ。自分がそうだって思いこむことが大切なの。モヤモヤやストレスというのは、それ自体が本当の意識なのかどうかも怪しいものだって私は思うわ。だったら、解消されたというのも、その時にスッキリしたかどうかで判断してもいいんじゃない?」
「そうかも知れないわね」
「一度でもスッキリした気分になれば、そこから自分の感受性はきっと変わってくるはずよ。それまで何かを感じることに怖さを感じていたものが、スッキリしたことで、受け入れられる感覚は増えてくるはずだからね。怖くてそれ以上考えられなかったことでも、それまでの怖さがウソのように先を見ることができれば、いくらでもその先はうまく行くようになるものなのよ。信じることも大切なのかも知れないわね」
 と話をしてくれた。
 彼女はきっと、
「考えすぎることで、意識が記憶することを怖がっているのかも知れない」
 と言いたかったのかも知れない。
 しかし、本当にそうだろうか? まだその言葉のすべてに納得することはできなかった。
 香澄は、高校時代の記憶が曖昧なことを分かっている。
 高校時代というと、香澄本人はあまり余計なことを考えていなかった。今までで一番何も考えていなかった時期なのかも知れない。
 とは言っても、その時期が今までの中で自分のまわりで起きていることは波乱万丈だった気がする。
 両親の離婚。それに伴って、自分への親権のことで、両親の争う姿。実際に見たわけではないが、まわりから、話に尾ひれがつき、面白おかしく伝わってくる。
 まわりは、
「香澄ちゃんには、余計なことを知らせないようにしないと」
 と言っていながら、実際には、興味本位でどこまで信用できるのか分からない状態の話が伝わってくる。
 結局母親が引き取ることになったのだが、母親はほとんど留守がちだった。
 母親と話をする機会もほとんどなく、次第に自分が孤立していくのが分かった。
 両親が離婚騒動を起こしている時、まわりの人たちは変な噂が絶えない状態ではあったが、次第に落ち着いてくると、クモの子を散らすように、香澄のまわりから誰もいなくなっていった。
 その時の心境は、
――人の背中って、こんなに小さかったんだ――
 と感じたことだった。
 別に、まわりから去って行く人の姿が見えたわけではない。そう感じたのだ。もし、見た記憶があるのだとすれば、それは夢の中でのことだろう。その頃の香澄は、どれが現実で、どれが夢の世界のことなのが、分からなくなっていた。それだけ、投げやりな感覚になっていた証拠なのかも知れないが、
――これが一番楽なんだわ――
 と、感じたことだけは覚えている。
 それからしばらくして、香澄は男性恐怖症になった。
 別に男性から何かをされたわけではない。いきなり、男性に対して拒否感が浮かんできたのだ。
 そばに男性が寄ってきただけで、拒否反応を起こす。通学の時、満員電車の乗るのが怖かった。
 一度、満員電車に乗ってしまい、まわりからスーツを着た男性に囲まれるような格好になった時、意識を失って、電車内で倒れてしまったことがあった。それからは、満員電車に乗らないように、朝早く出かけるようになっていた。
――どうして私だけこんな目に遭わなければならないの?
 と、自分を呪った。
 とは言っても、本当に自分を嫌いになるところまではどうしてもいかない。自己否定ができるほど、香澄は自分の中に「覚悟」ができていなかったのだ。
 そこまでは、香澄の中に意識としてはあった。
 自分の記憶が薄れてくるのを感じたのは、それから少ししてのことだった。
 電車の中で倒れるまでは、ものすごいスピードで考えていることは、自分を納得させるためだということを分かっていながら、止めることができなかった。ただ、ある瞬間を境に、
――余計なことを考えるのをやめよう――
 と思うと、スッキリした気分になり、自分が納得できたわけではないのに、違う人間になったような気がしてきた。
 香澄は、自分が男性恐怖症であったことを忘れてしまったほど、男性に対して何も感じなくなっていた。
 男性恐怖症を抜けてしまうと、次に感じるようになったのが、暗所恐怖症だった。それはずっと続いていくことになるのだが、男性恐怖症や他の恐怖症との違いは、「無限」というものに対しての意識だと思っている。
 閉所にしても、高所にしても、限りがあるものである。しかし、暗所恐怖症というのは
見えないことを意味している。
――見えないということは、それがどこまで繋がっているのか分からない。ひょっとしたら、目の前で切れているのか、それとも永遠に続くものなのか分からない。まず、第一歩、私に踏み出すことはできるのかしら?
 足が竦んで踏み出すことなどできるはずはない。
――見えないことで、目の前で終わっていることも、私にとっては、すべてが無限のこととして納得しなければいけないことなんだわ――
 そんな納得できるはずもない。
 納得できないことが、恐怖に繋がる。もし、その時、誘導してくれる人がいたとして、その人をどこまで信じることができるのか、それが、自分をとこまで納得させることができているかということに繋がっている。
 香澄は、元々教員になることが夢だった。それは中学時代からのものだったので、高校時代に感じた苦悩の時代の間でも、夢だけは別だった。
――頑張ってさえいれば結果はついてくる――
 と信じて疑わない気持ちが根底にあったからだ。
 大学でも教育学の勉強も苦痛もなくできていた。
 趣味の絵画も息抜きにはちょうどよかった。
 その頃になると、それまであまり感じたことのないもう一つの人格に気付くようになった。
「自分は他の人と同じでは嫌だ」
 という思いである。
 ただ、その思いは、
――自分のもう一つの人格だ――
 という思いではなかった。
――これが本当の私の性格なんだ――
 という思いだったのだ。
 それは高校時代に自分が、まわりの環境の変化に、
――客観的な自分――
 を演出できたことで、何とか順応できたと思っていたからだ。