安全装置~堂々巡り②~
ロボット研究が、まだまだこれからだと思っていた頃がまるで昨日のことのように思い出せた。
今では、
「ロボットは心を持ってはいけない」
という考えは残っているが、最初の頃ほどの勢力はなく、ただの少数派に落ち着いた。
彼らの勢力が衰えたのか、それとも、ロボット研究が先に進んだのか、その微妙なところだったように思える。
心を持ってはいけないという団体の力が、抑制力であり、逆にロボットが意志を持つことを研究している連中に力を与えたのも事実だった。もし、反対勢力がなければ、
「自分たちの意見は、間違っていない」
という意志を持ちながらも、一抹の不安は拭いきれなかったに違いない。
義之は、コウモリの特性を思い出していた。
コウモリというのは、自分の目が見えないことで、超音波を飛ばし、その反射によって、まわりに何があるかを察知する。
それと同じで、一つの発想しかなければ、反応も帰ってこない。正しいと思っていることでも、それが本当に正しいのかという判断を下すための材料が存在しないのだ。
そう考えていくと、まるで、
「暖簾に腕押し」
の状態だと、進歩もしなければ、自分が正しいと思っていることに対して、自分で疑いを持つようになる。疑心暗鬼に陥ると、そのうちに自分が信じられなくなる。
人によってはロボット研究というだけではなく、自分自身すべての意味で疑心暗鬼に陥ってしまえば、下手をすると、ある程度立ち直ってきたとしても、それは自分の限界を知ることになり、ロボット開発において、
「再起不能状態」
に陥ってしまうかも知れない。
そういう意味では、自分の限界を知らない人というのは、限界を感じるようになるために、何かの「起爆剤」が必要である。自分の信念を持っている人には、反勢力は恰好の限界を知る意味での存在であり、一歩立ち止まるためには必要なものであることは明らかだった。
義之は、以前から自分の限界に関して、絶えず考えている方だったので、反勢力の存在に、限界という意味での効果はなかったが、それでも、一歩立ち止まって考えるにはいい機会だった。
もし、そんな機会がなければ、一歩立ち止まることもなく、無限に広がっている前の世界に、無謀な行進を続けることになっただろう。
だが、それは本当に無限に前に進んでいるのだろうか?
「堂々巡りを繰り返しているだけなのかも知れない」
と、感じることがあった。
その理由は、夢の中にあった。
今までに見た夢で一番怖かったのは、
「自分の夢に自分が出てきた」
という夢だった。
その時の自分は、五分先を歩いている自分だったのだ。五分先を歩いている自分に追いつけるわけはない。
「もう一人の自分がUターンして戻ってきたら、自分と重なるような状態になった時、どうなるのだろう?」
と、おかしなことを考えた。
「どちらかが透けて、もう一人の自分を通すことになるのだろうが、もし、透けて相手を通すのが、今考えている自分だったら、どうなるのだろう?」
それも、ありかも知れないと思った。
その理由は、
「五分先を歩いている自分も自分なんだ。五分先の自分が今の自分を意識しているとすれば、二人は『夢を共有している』と、言えるのかも知れない」
と感じた。
ただ、そうなると、今の自分が見ている夢も、五分前の自分を気にしていることになる。
「ということは、夢の中で自分を永遠に意識し続けることになるんじゃないか?」
それは、自分の前と後ろに鏡を置いて、自分を映し出す鏡を、さらに自分が見ていて……。要するに、影の無限ループを繰り返すことになるのではないだろうか。
義之は、夢の中で、堂々巡りを感じていた。そして、五分先の自分が、今の自分に気が付いて、後ろを振り向いた時、目が覚めるのを感じた。
夢は一気に覚めた。夢を見ていたという意識が飛んでしまうほどだった。
夢を見ていた自分、そして目を覚ました自分。まったく違う人物になった気がした。
「今の俺は、果たして五分先の俺なのか、五分前の俺なのか、それとも……」
ついつい余計なことを考えてしまう。夢というのは、怖い夢ほど覚えているというが、まさしくその通りだった。
「俺は考えすぎるくせがあるのかな?」
自分のサイボーグに自分の性格を入れ込んだのだから、サイボーグも考えすぎるところがあるかも知れない。理屈を順序立てて考えられればいいが、考えきれないと、やはり堂々巡りだ。
元々、整理整頓ができない性格の義之なので、頭が混乱することもしばしばだった。
「サイボーグだったら、逆に客観的に自分を見れるかも知れないな」
サイボーグは、ロボット並みに謙虚であれば、考えすぎるところがあっても、自分で納得しながら考えるだろう。人間に近ければ近いほど熱くなるのだろうが、義之はサイボーグには客観的に自分を見る装置を埋め込んでいる。考えが深まれば深まるほど客観的に見ることができるという優れモノで、この時代には、すでに商品化されていた。ロボット販売店で、オプションのパーツとして売られている。さすがに安いものではないが、性能から考えれば、さほど高いとも言えないだろう。要は「価値観」の問題だ。
義之サイボーグは、義之のそんな性格をどれほど吸収したのだろうか。少なくとも、
「他の人と同じでは嫌だ」
という性格を、サイボーグに移植させようという気持ちはなかったが、どうやら、移植されてしまったようだ。それが義之には誤算ではあったが、本人は、それが大きな問題になるということは考えていなかった。
「面倒臭がり屋なところがあったが、そこは、移植されていないような気がする」
元々、ロボットやサイボーグは、人間のためになることを理念として作られているのだから、
「面倒臭い」
という概念はないのかも知れない。逆に人間が面号臭がってやりたくないことを率先してするのが、ロボットだという考えを、ロボット自身が持っているのかも知れない。
サイボーグを送り込んだ先にいた香澄先生は、先生をしているわりに、面倒臭いことが嫌いだった。自分の部屋もほとんど整理されているわけではなく、
「少々散らかっている方が、私は落ち着く」
と、考えていたほどだ。
これもまさか、
「人と同じでは嫌だ」
という性格が災いしていたのかも知れない。香澄の場合は個性だと思っていた義之が、最初に香澄に対して抱いた「勘違い」だった。
ただ、義之の時代の女性は、さほど身ぎれいというわけではない。服に関しては、個性がなくなり、人間もサイボーグのような「ボディスーツ」を身につけるようになった。
それには便利勝手がいいというのも最優先であったが、何か事が起こった時の行動のとりやすさと、何よりも身を守るために必要なものが備わっていたからだ。
義之の時代から見て過去に当たる未曾有の大戦争から学んだことであるが、技術に関しては、NASAを中心とした宇宙開発の視点から、ボディスーツは、いかなる場面でも身体を守れるように設計されていた。それだけ宇宙空間を想定しているだけに、丈夫で頑丈なのだ。
作品名:安全装置~堂々巡り②~ 作家名:森本晃次