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安全装置~堂々巡り②~

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 大学に在籍していた頃に、教授と話をしたことがあるが、その時の義之は、まだまだ勝気で野望のようなものすら持っていた。だが、そんな「熱い」義之の熱を冷ます効果に一役買ったくれたのが、いつも話をしていた教授だった。
「歴史を変えられないというのは、勉強すればするほど、裏付けられているように思えてならないですね」
 というと、
「歴史は変えようとするものではなく、『証明』しようとするものじゃないかって私は思うんだよ」
 教授は歴史学者であり、人間心理学者でもあった。当時、ロボットに興味を持ち始めた義之は、心理学の部分で教授の意見をいろいろ参考にしようと思っていたのだが、本格的にロボットのことを考え始めると、歴史に対して興味が深まっていた。
 それは、過去から今までロボットについていろいろな学者や研究員が研究を続けてきたが、実際に実用化されるまでには至っていない。
 コンピュータなどは、一気に開発が進んだにも関わらず、ロボット開発に関しては、いくら難しいと言っても、あまりにも歳月が立ちすぎている。
 ロボット開発に関して義之は、他のことと違った目線で見るようになっていた。最初はそのことに気付かなかったが、気付いてみると、
「この思いが、他の学者にもあるんじゃないかな?」
 と思うようになっていた。
 ロボット以外の開発に関しては、基本的に前だけを見て研究を始める。
 もちろん、研究に当たって開発に障害が出ないように、細部にわたって気にするのは当たり前のことで、
「どこを重点的に大切に見ていくのか?」
 と聞かれると、
「全体的に万遍なく見ながら、研究を進めていくうちに判断して行きます」
 と答えるだろう。
 ただ、ロボット開発に関しては逆だった。重点的に見る部分は、最初から義之の目には見えていた。それだけ他の開発に比べて、先を見据えることができているだけ有利なはずだった。
 だが、実際に何を先に見るかがしっかりしているだけに、次の一歩が分からない。二歩目が実質的な第一歩になるからだ。そう思ってくると、他の研究のように前だけを見つめていくわけには行かなくなる。そのことを教授に話すと、教授も考え方としては、おおむね同じことのようで、
「ロボット開発では最初に重点項目が分かっているだけに、万遍なくまわりを見ることができなくなる。それはせっかく分かっている重点項目を見失ってしまうという危惧が自分の中に芽生えてしまうからだよね」
「そうですね。他の開発のように、まわりすべてを見つめることが不可能なんですよ。だから、ロボット開発は途中から霧に包まれたように思えてくるんですよ」
「ロボット開発が思ったように進まないのは、そういうところに原因があるんじゃないかって思うんだ。一歩進んでは、また後ずさりしたり、進んでから確認できたことを、再度戻って確認するような感覚、一進一退を繰り返すような感じだね」
「それがロボットに対して堂々巡りを繰り返すことになるんじゃないかって、僕は思っています」
「そうかも知れないね。ロボットは人間の命令に絶対服従なので、人間以上の意識を持ってはいけない。それは判断力という本能に近いものではなく、他の動物にはない人間臭さを意味しているんだ」
「でも、僕は人間臭さほど、本能に近いものはないような気がしますよ」
「それは人間の目から見たものだよね。もし、ロボットに意識があれば、人間臭さを本能だとは思わないと思うよ」
「それはどういうことですか?」
「私は、本能という言葉を、『動物的な野生の感覚』だと思っているんだ。だから、人間が意識していない部分に近いのではないかとも思っているんだ」
「じゃあ、人間臭さは本能ではないと?」
「ここでいう本能という意味ではね。人間臭さは人間だけが感じている『エゴ』を、都合よく表現するのに、本能という言葉を使っているんじゃないかって思うんだ。君が人間臭さを本能だと思うのなら、自分のことを『人間臭い』と思っている証拠だよ」
「そうかも知れません。僕はいつも『他の人と一緒では嫌だ』と思っているところがありますからね。それを個性だと思っています。個性こそが自分の信条だと思うことで、他の人とちょっとしたトラブルがあった時、個性を人間臭さだと思って、正当化しようとしている自分を感じることがあります」
「それは、悪いことではないと思うんだけど、ロボット開発に関しては、その考えがどこかで自分に壁を作っているんじゃないかい? 私には、それがいずれ『結界』のようなものになるのではないかと思うんだ。そして、そのことできっと君は思い悩むことになる。その時に君が、どこで開き直ることができるかだろうね」
「開き直りなんですか?」
「そう、人間臭さと個性の問題は、開き直って考えることで、何かの答えが出ると思う。その時に、出てきた答えを君が受け入れることができるかどうか。そのことに掛かっているんじゃないかな?」
 教授との会話を、まるで昨日のことのように考えていた。
「血気盛んだと思っていたけど、会話を思い出せば、俺も結構冷静に話を聞いて、自分なりの判断をしていたんだな」
 と思えてきた。
 その思いが、三十歳になった自分に、一つの転機をもたらした。いろいろな意味で発見があったのだが、その中の一つが、
「ロボット研究には一進一退が必ず必要なんだ」
 という思いであった。
 それは、ロボットが自分の分身であり、ロボットの一部分を一つ開発すれば、その臨床のためには、自分の気持ちを再認識する必要があった。
 実際には、ロボットに一石を投じるよりもはるかに難しい。コンピュータ開発のように、「設計した通りに動けばそれでいい」
 というそんな簡単なものではない。
「ロボットは心を持ってはいけない」
 という考えが、義之の大学時代に、一つの流派として存在していた。
「ロボットはあくまでもロボット。基本基準にしたがって、それ以上の意識を持つことは許されない。それこそ、神への冒涜と同じだ」
 という考え方である。
 この考えが勢力を持っていたのも当然のことであった。
 もし、この考えがなければ、ロボットが意志を持つことに対して制御がなくなり、開発は先に進むかも知れないが、いつかは、どこかで引っかかるはずだからである。
 先に行って引っかかるよりも、意志を持つ前に、一つの警鐘を鳴らすという意味でも、反勢力の存在は必然のものだった。
 政治にも与党があって野党がある。「抑え」の部分がないと、歯止めが利かないのは、誰にも分かっていたことだろう。
 だが、それは理屈で分かっていたわけであって、納得していたわけではない。自分の守護を主張する方は、必死になる。相手も負けじと必死になることで、次第に論争も過熱してくる。
 中には過激な連中も出てきて、ロボットに対しての研究というよりも、人間同士での論争が次第に、闘争に変わってくる。
 絶えず一触即発であった。さすがに戦争になったりはしなかったのは、
「誰も戦争などしたくない」
 という思いと、
「過去の歴史が、闘争からは滅亡しか生まない」
 ということを分かっていたからだ。
 歴史の勉強が大切なことはそのことでもよく分かる。