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安全装置~堂々巡り②~

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 ロボット研究をするうちに、
「まずは、自分のコピーロボット。それもサイボーグを作りたい」
 というのが、第一目標になっていた。
 それが、ちょうど三十歳の頃だった。
 義之は自分のサイボーグを三十代の自分にした理由の一つは、この時に感じたことからだった。
 だが、それが五十歳になって、香澄に会いに行くために、このサイボーグを使うことになるなど思ってもいなかったので、ある意味、
「怪我の功名」
 だったと言えるだろう。
 義之は、自分のサイボーグに、
「今の自分のどこまでの考えを移植しよう」
 と考えたのだろう。
 五十代の今から、三十代の自分を思い返すと、相当昔だった。時間的にもそうなのだが、あの頃に何を考えていたのかというのを思い出すのも困難だった。
「別にあの頃の自分でなくてもいいんだ」
 と、思うようになるまで、少し時間が掛かった。そこが、現実的な考え方を持っている義之の性格なのかも知れない。
 義之は、ロボットに自分の気持ちを入れ込む段階になって、研究所で、今までに見たことのないものを感じた。
 その日は普段よりも少し研究所が暗めであるという思いを抱いていたが、
「疲れているのかも知れないな」
 という程度で気にもしていなかった。
 今までにも研究室の暗さを感じたことは何度かあったので、それが何かの前兆であるなど、想像もしていなかったのである。
 いつもあれば、暗いと思っても、五分もすれば目が慣れてくるのに、十五分経っても、目が慣れてくることはなく、暗さを感じたままだった。
 さすがにいつもの三倍も暗さを感じていると、
「おかしいな」
 と感じるのも無理のないことである。
 目の焦点が合っていないことに気付くと、急に身体から力が抜けてくるのを感じ、軽い頭痛に見舞われているのも分かっていた。
「うわっ」
 さっきまで暗いと思っていた部屋の中で、何かが急に光ったのだ。
「何のスパークなんだろう?」
 雷のように見えたがそれも違う。スパークが収まっても、すぐには目を開けることができなかったが、しばらくして目を開けると、今度はさっきまで暗いと思っていた部屋が、いつも感じている明るさに戻っていたのに気が付いた。最初は何が起こったのか分からなかったが、考えていくうちに、
「部屋が暗かった間、ひょっとして時間に歪みのようなものがあって、それを元に戻そうと、部屋が暗くなったり、一瞬のスパークを見せたりしたのだろうか? 目の焦点が合っていないように感じたのも、スパークを予感させるための必然の出来事だったのかも知れない」
 そう思うと、ロボットに埋め込む自分の意識についての悩みが次第に氷解していくのを感じた。
「余計なことを考える必要なんてないんだ。今思っていることをそのまま、実行すればいいんだ」
 言葉では説明できないが、考えていることを実行するだけなら、そんなに難しいことではない。余計なことを考えて、無限ループに入り込んでしまえば、それこそ、ロボットと同じで、
「フレーム問題」
 を引き起こしてしまうからだった。
 スパークを見た瞬間、何かを忘れてしまったような気がしたが、同時に何か閃いた気がした。
 忘れてしまったことを思い出すのには、相当時間が掛かりそうな気がしているが、閃いたことが何であったのかを感じるまでには、少しの時間でいいように思えた。ただ、忘れてしまったことを思い出さないと、閃いたことをすべて引き出すことができない。忘れてしまったことの中にカギが隠されていると思ったからだ。
 ただ、一つ感じたのは、これが偶然ではないと思えたことだ。
 サイボーグに自分の気持ちを移植するのに生じていた迷いを、今のスパークが解決してくれたと思えたからだ。
「案ずるより産むが易し」
 まさしくその言葉通り、スパークが義之の心の奥に持っている本能を引き出したのかも知れない。
 本能というものが、そもそも普段はどこにあるなのか分からないが、いざとなると、
「モノをいうのは本能である」
 と、言わんばかりに活躍の場を求めているかのようだった。
 義之は、自分の本能を意識の中では感じていると思っている。口で説明するのは難しいが、口で説明できないものだからこそ、本能なのかも知れない。
 サイボーグの中には、義之自身、意識していないことも入っている。それをすべて本能として片づけることができないかも知れないが、
「他の人との違いを、一番前面に打ち出して行きたい」
 という思いがあったのも事実だった。
 その本能が、いかんなく発揮されていた。その自信があったからこそ、義之はサイボーグを自分の代わりに送り込むことに抵抗を感じなかったのだ。
 だが、計算外に生じた誤算はいかんともしがたく、人間を好きになるなど、想像もしていなかったことだ。確かに三十歳代の頃の義之は、人をすぐに好きになる方だった。
 それが自分の人生の大半であるかのように思っていて、惚れっぽいという性格を我ながら好きな性格だった。
 この頃は、人と同じであることを好きにはなれかったが、嫌いだというところまでは思っていなかった。それは個性というものを前面に出しながら、人との調和を考えていたからである。
 年齢を重ねるごとに、どちらかの選択を迫られてくるのを感じると、迷わず、調和よりも、自分の「個性」を選んだのだ。
 三十代というと、その分岐点に当たる頃だったかも知れない。
 多感でもあり、個性を望む時代、さらには中途半端なことを嫌う時代でもあった。
 それぞれを併せ持つということは、それだけ中途半端な自分を浮き彫りにした時期でもあった。
「いいことよりも悪いことの方がどうしても気になってしまう」
 それだけ悩み多き時期であったが、五十歳になった今から考えると、やはり人生の分岐点はそのあたりにあった。
「それまでは、自分は年を取ってきたと思ってきたが、分岐点を通りすぎてからは、年齢を重ねてきたというイメージの方が大きくなってきた」
 と、思ってきた。
 中途半端ではあったが、一度にいろいろなことを考えてきたおかげで、それまで点と点であったものが、線で結ばれるようになったのだ。
 さらに、その頃から自分の中にある本能を意識できるようになった気がした。それまでも本能を意識したことがあったが、本能が自分にどういう影響を与えるかということが分からなかった。漠然として影響があることは分かっていたのに、具体的には何ら分からなかったのだ。
 だが、三十歳代を超える頃から、
「本能が影響を与えたのは、自分の意識に対してである」
 と感じるようになった。
 サイボーグに埋め込まれた義之の意識は、勝手に独り歩きをしないように設計していたが、義之の心の中では、
「それも致し方ないか」
 という考えがあった。
 いつからそんな気持ちになったのかというと、
「スパークを見た時だ」
 と言えるだろう。
「もし、それが神の意志ならば……」
 とまるで宗教じみた考えになったが、歴史に足を踏み入れた時点で、
「結局は歴史に逆らうことはできない」
 という結論に落ち着くことは覚悟していた。逆にこの結論を自分で納得させるために、歴史に足を踏み入れる気持ちになったとも言える。