安全装置~堂々巡り②~
ただ、めでたしめでたしとはいかなかった。ここでのクーデターは、これから起こる未曾有の大惨事のプロローグでしかなかったからである。
クーデターは、一分子に限られていた。男性の権威を復活させたいというだけの団体が起こしたクーデターだったものが、自衛隊の軍隊化や、親アメリカ派の連中に嫌気が差していた人たちの結束力の強化に一役買ったのだ。
元々、彼らは個人的には不満を持っていても、つるんでまで行動を起こすようなことはしなかった。勇気がなかったわけではなく、クーデターを起こした連中ほど、熱血ではなかったのだ。
もちろん、水面下でいろいろ活動は行っていた。歴史の認識勉強会や、現在の社会におけるいろいろな立場の人がいるので、彼らからのレクチャーなど、一歩一歩先に進んでいた。
さらに、武器の調達にも余念がなかった。クーデターを起こした連中も、バカではない。当然、武器の準備はできていた。それでも、一国家を敵に回すのである。無謀なのは誰の目にも明らかだった。
クーデターを鎮圧する側も、他にクーデターを企むかも知れない団体があるのは百も承知だった。したがって、クーデターが起こった時に、鎮圧した後で彼らの処分に「情」を感じてはいけなかった。断固とした態度で挑まないと、後が大変なことになるのが分かっていたからである。
「彼らは、『見せしめ』にされたんだ」
と、相手に思わせるのが作戦だった。
ただ、それは、
「俺たちには敵わない」
と、失意に陥れることに成功するか、はたまた、
「彼らの弔い合戦を挑む」
と、却って血気盛んにさせてしまい、火を付けてしまうか。いわゆる、
「諸刃の剣」
でもあった。
しかし、その時の状況で一番いい判断は、
「完全なる鎮圧」
だったのだ。その後どちらに転ぶかというのは、結果論でしかない。悩む余地は、その時の鎮圧側にはなかったのである。
しかし、鎮圧する側の首脳は、過去の歴史をしっかりと勉強していたはずなのに、実際にクーデターが起こると、歴史認識は頭から消えている人が多かったというのも、皮肉なことである。
確かに、
「あの時は、完全な鎮圧しかなかったんだ」
と、分かっていても、今までの歴史から、
「クーデターを完全鎮圧した後、当時の権力が失墜したり、戦争に発展することになったりする可能性が圧倒的に多い」
ということに気付かなかったことは、自分たちに「後悔の念」を植え付けた。
「後悔の念」というのは厄介なもので、一度抱いてしまうと、消えることはない。事態が収束してしまっていればいいのだが、さらにひどくなっていけば、誰もが胸の中に残ってしまった「後悔の念」を忘れることになる。
「後悔の念」は、
「百害あって一利なし」
であった。
消えるどころか、小さくなることもない。忘れられなくなると、これからどんどん緊急の判断力が増してくる時、「後悔の念」という障害が、すべての判断を鈍くする。
判断が間に合わなかったり、間違ったりしてしまう可能性が増えてきて、致命的な事態を招くことになるだろう。
だが、「後悔の念」だけを抱く必要もない。
歴史の中には、クーデターを根絶やしにしなかったことで、将来、自分が滅ぼされてしまう出来事も大きな事実として残っている。
源平合戦における、「平清盛」を考えれば、分かることだった。
情を感じて、敵の息子である源頼朝を島流しというだけで生かしてしまったことで、最後は平家一門の滅亡を迎えるのだ。その後、天下を統一した人が、敵を根絶やしにしたことを考えれば、やはり、
「完全なる鎮圧」
に対して、迷いを生じる必要もないのだ。
「歴史は繰り返す」
と、言われるが、それは二つの考え方がある。
一つは、政治家などが過去を勉強することで、世の中を統治するための、
「現実的にリアルな研究」
であり、もう一つは、科学者がこれからのロボットや人間の特質を知って、新しい生命の誕生に必要不可欠な
「空想的でサイエンスな研究」
と言えるものではないだろうか。
繰り返された歴史は、
「点と点を線で結ぶ」
という作業に結びついてくる。
繰り返されたものは、点と点が点在しているだけで、それを理解するには、歴史の流れを知る必要がある。政治家も、科学者も歴史に背を向けて生きていくことができないのである。
それから起こった未曾有の大戦争に関して、ここで言及することは難しい。生き残った人間によって復興が行なわれ、今の時代に達したのだが、この時代になると、女性の人口が圧倒的に減少していた。
元々女性は減少傾向にあったのだが、復興が行なわなければいけないのに、女性は男性の四人に一人というくらいまで減少していた。
これでは子孫を残すという以前に、目の前の復興すらままならない。ロボット研究が急務になったのもそのためだった。
それでも科学の進歩は目覚ましかった。十年で、すっかり以前の社会に戻った。ここまで復興がうまく行ったのは、大惨事という戦争が起こった時、最後の「パンドラの匣」である核兵器が使われなかったからである。
その代わり、中性子爆弾が使われ、建物はそのままに人間だけ殺傷するということで、軍事施設以外の一般人の住宅などは無傷で残ったところが多かった。
ただ、それでも、中性子爆弾は、
「悪魔の兵器」
と言われたのも事実だった。
「人間だけを抹消するなんて、神をも恐れない仕業だ」
という人もいた。
世間の意見も中性子爆弾に関しては賛否両論だったが、義之は、頭の中で何とも言えない気分になっていた。
「破壊しないだけで、核兵器と同じではないか」
とさえ考えていたほどだった。
復興された社会で女性が少なくなってしまっていたのも、
「自業自得なのではないか」
と、戦争の悲惨さと罪深さを考えさせられた。
とはいえ、そんな時代も義之が生まれる前のことだった。
詳しいことは歴史からしか学んでいない。目の当たりにしたわけではないからだ。
タイムマシンが実用化されたとはいえ、戦争前の時代、戦時中、そして復興の時代を子の目で見ようとは思わない。
「すべては過ぎてしまったことだ。実際を知らない俺なんかが、その時代をリアルに覗こうというのは、罪なのかも知れない」
と、思っていた。
ロボットの研究が急務になっていく中で、義之も元々大企業のロボット研究所に在籍していたのだが、どうも自分と考え方が違っているのを感じ、いずれは独立するつもりだったので、
「少し早くなっただけだ」
という思いの元、思い切って会社を辞めてしまった。
そのまま企業の中にいれば、それなりの地位や名誉も掴めたかも知れないという思いもあったが、
「俺には似合わない」
と、すべてをかなぐり捨てた。
「やっぱり、俺は他の人と一緒では嫌だということだ」
と、苦笑いをしたその時のことを今でも覚えている。退職して最後に会社から表に出て、空を見上げた時に感じたことだった。
眠くもないのにあくびが出てきて、思わず身体を思い切り引っ張り上げるような伸びをした。会社に入ってから、それまでにもしたことがあったかも知れないが、
「こんな気持ち、初めてだな」
と感じたのだ。
作品名:安全装置~堂々巡り②~ 作家名:森本晃次