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安全装置~堂々巡り②~

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 それは、人間側から考えても、ロボット側から考えても同じはずなのに、香澄と義之サイボーグに関しては、相思相愛なのだ。
――きっと相思相愛じゃないと成り立たなかったんじゃないかな?
 後になって冷静になった時に、人間の義之が考えたことだ。
 人間の義之は、生きている香澄先生を、タイムマシンで見に行ったことがあった。もちろん、会うことがないように細心の注意を払いながら、香澄の時代で言うビデオカメラに収めていた。ある程度の行動パターンを知る必要があったからだ。
 香澄の時代と、義之の時代では、明らかに美的感覚が違っていることを感じた。
 香澄は、彼女の時代では、それなりに男性好みのする顔だった。表情も豊かで、恋愛感情もさることながら、
「好感が持てる」
 と言われる雰囲気を持った女性だった。
 だが、ここで二つ、義之に誤算が生じた。
「ロボットの美的感覚は、人間とは違う」
 ということだった。
 そして、もう一つは、
「香澄が、ロボットでも好きになれる女性である」
 ということだった。
 この二つの不測の事態は、義之を困惑させ、最初の計画が何であったのかを忘れさせるほどの驚愕を与えてしまった。
 だが、それでも最初からそのことに気付いていれば、何とかなったかも知れないが、途中で知ってしまったのでは、どうしようもなかった。
 義之は複雑な気分だった。
 それは、
「自分がサイボーグに嫉妬した」
 という事実を認めなければいけない。
 ということ、そして、本当なら自分の中の美的感覚とは違うはずの香澄を好きになってしまっている自分に戸惑っていた。
「これは、サイボーグに対して嫉妬してしまったことによる錯覚に違いない」
 と感じたが、本当にそうであろうか?
「人と同じでは嫌だ」
 という義之は、他の男性と女性の好みでバッティングすることはなかった。
 思い返せば、自分が人と同じでは嫌だと最初に感じた根拠は、
――自分は、人と違うところが多い――
 ということに気付いたからだ。それが派生して独り歩きを始めた考えで、行きついた場所が、
「人と同じでは嫌だ」
 という発想だったのだ。
 その考えの元になったことこそ、中学三年生になって異性に興味を持つようになってから感じた、
「俺は皆とは女性の好みが明らかに違っている」
 という感情だった。
 その時に好きになった女性は、香澄とは似ても似つかない女性であった。
 これは後で知ったことだが、その女性の雰囲気は、実は沙織に似ていたのだ。香澄のように物静かで気が強い女性というよりも、社交的なくせに、どこかいつも寂しそうな雰囲気を醸し出している女性、いわゆる、
「守ってあげたい」
 と、感じるような女性だった。
 義之が好きになる女性のパターンは、この時に感じた
「守ってあげたい」
 という発想が原点になっていた。
 義之の時代の男性は、それほど強い存在ではなかった。女性の方がしっかりしていたのだ。
 香澄の時代の二世代前くらいからだろうか。徐々に、
「男女平等」
 の世界が出来上がって行ったが、まだ男子と女子の立場が逆転するところまでは行っていなかった。
 確かに香澄の時代から義之の時代までの間の百年と少しの間に未曾有の大惨事があり、まったく違った世の中が出来上がっていた。それを、
「世の中の浄化だ」
 と言っている人がいるが、その根拠として、
「過去からの歴史が証明している」
 というものだったが、本当にそうなのだろうか?
 香澄の時代には、まだ男性の方の立場が強かった。それでも男性の職場に女性が登場し、メディアへの露出など、女性が目立ってきていた。アナウンサーやキャスターなどがいい例である。
 その頃になると、男女同権という状況になってきたのだろう。しかも、さらに輪を描けるように、女性擁護の法律も増えてきた。
 もっとも、それまでなかったのが不思議なくらいなのだが、ストーカー防止法など、代表的な例であろう。
 ただ、何事も行き過ぎるとロクなことはない。
 女性が強くなると、女性に対しての男性の不満が大きくなってくるのも仕方がない。
 特に昔の歴史を知っている人は、男性の強さ、女性にない強さを強調しようとする。
 香澄の時代から何十年くらい経ってからのことだったか、男性が自分たちを強調し始めると、女性もそれに負けじと反発する。
 特に女性は、
「子供を産むことができる」
 という強みがある。
 確かに男性も、
「男性がいなければ、女性は妊娠しない」
 という理論で対抗するが、いささか弱さがある。
 もう、そうなってくると、恋愛感情抜きに、異性に対しての恨みや憎悪の問題しか表に出てこない。
 しかし、男女が愛し合うという恋愛感情は、人間にとっての欲の一つである「性欲」の問題になってくる。
 性欲だけを満たすのであれば、世の中にいくら法律があったとしても、犯罪の絶対数が増えれば、対応できなくなる。事件は未曾有に増え、警察力ではどうにもならない。警察の権威は失墜する。
 元々、警察の力などたかが知れていた。
「警察は、どうせ何か起こらないと、何もしてくれない」
 という発想は昔からあったではないか。
 警察を誰も信用しなくなると、もう世の中は無法地帯であった。
 そこで政府が頼りにしたのが軍隊だった。当時の日本にはまだ「自衛隊」という組織があったが、実態ほぼ軍隊に近いものだった。
 しかも、アメリカとの安全保障の問題で、兵器は最新鋭。暴動がいくら大きくても、クーデターが成功することはありえなかった。
 つまり、自衛隊を出動させることは、滅亡に向かっての「パンドラの匣」を開けるのと同じことを意味していたのだ。
 暴動を起こしている連中の中には冷静な人もいて、
「ある程度でやめておかないと、自衛隊が出動してくるぞ」
 と、指摘する人がいたが、それでも、大多数の人たちは、警察を一蹴できたことで、
「警察だって俺たちに歯向うことはできなかったんだ。自衛隊がなんぼのものだっていうんだよ」
「君たちは、自衛隊の実力を知らないんだ。今の兵器で自衛隊の統率された組織力に対応できるわけはないんだ。一歩間違えると、全滅させられるぞ」
 と声を荒げてみたが、もう引き返すことができないところまで来ていた。
「ここまで来たんだ。やるしかないだろう。ここで引き下がったら、俺たちに未来はないんだぞ」
 そう言われると、トーンも下がってきた。
――確かに自衛隊が出てくれば、全滅させられるだろう。だが、彼のいうように、投降してしまえば、自分たちに明日はないんだ――
 そう思うと、
「引くも地獄、進むも地獄」
 ということだ。
――それなら、玉砕してでも、進むしかないのかも知れない――
 投降しても、自分たちの言い分が通るわけがない。それはかつての歴史がすべてを証明している。我々の主張が、メディアに流れてしまえば、鎮圧する方にも意味がなくなってしまう。向こうとしても、
「やるなら、徹底的に壊滅させるしかない」
 という「覚悟」を持っていることだろう。
 鎮圧する方も、国民から、
「血も涙もない」
 と言われることを覚悟しているはずだからである。
 結果は見えていた通りの玉砕だった。