安全装置~堂々巡り②~
ただ、しいて言えば、義之でなくても、この場面で「恋愛感情」を考える必要などないはずだった。なぜなら、かたや人間、かたやロボットではないか。
「恋愛感情など起こるはずなどない」
と思うのが当然であって、義之も考えなかったのは、
――怪我の功名――
となるはずだった。
しかも、義之サイボーグには、恋愛感情を抱く作用はなかったはずなのだが、どこかぎぎくしゃくした考えが彼にはあった。
表から見た義之には、なぜかそれが恋愛感情であることが分かった。ウブではあったが、「(ロボットといえど)自分のこと」でなければ、気が付くのだ。
しかも、それは香澄の中にも存在した。
義之サイボーグは、自分のことを分かってもらいたくて、
「俺はサイボーグなんだ」
と、嫌われるのを覚悟で告白したのだが、香澄の口から意外な言葉が飛び出して来た。
「サイボーグでもいいの。私はあなたのことが忘れられなくなったの」
その言葉を聞いて、彼は頭の中がショートしそうになった。
人に恋すること自体、どうしてしまったのかと思っているうえに、人間の女性を好きになり、さらに、その女性から『好きだ』と言われたのである。ショートしそうになっても、当然のことではないだろうか。
人間の義之は困惑した。
サイボーグはあくまでも、香澄の性格、そして、どうして自殺する気になったのかを探るために送り込んだ、最初の「偵察」でしかなかったはずだ。それなのに、完全に自分の想定外の展開に、サイボーグがショートしてしまいそうになっているのなら、テンパってしまった義之に、もはや操縦者として、その小さな世界を支配するだけの気力はなくなった。
小さなその世界は、義之にとっては、小宇宙に匹敵するくらいの大きさだった。自分の一生と比較してもできるくらいに大きなものだという考え方だ。
送り込んだサイボーグが、香澄とどのようにして知り合うことができたのか、最初から義之は計算していたわけではない。最初から計算などしてしまうと、きっと知り合うことはできないだろうと思っていた。その理由は、
「ロボットと人間が知り合うのだから、人間と人間が知り合うようなわけにはいかない」
という考えだった。
本当は人間と人間が知り合う方が大きな問題ではあるが、違う意味でロボットと人間は知り合うのは難しい。理由としては、
「ロボットと人間は、構造からして作りが違う」
というものだった。
そして、ロボットは、人間によって作られたものだという決定的な優位性は、自分が創作者でなくても、同じことだった。
義之は、最初義之サイボーグが香澄のことを好きになったことを知らなかった。
サイボーグは、ある程度の意志を持って動くように設計されていたが、感情に対しての意識はあまり感じないようにしておいた。
それなのに、義之サイボーグが彼女のことを好きになったというのは、それだけ彼女が魅力的だったということなのか、それとも義之が女性に対して、好きになったら一直線になってしまう性格なのかのどちらかであろう。
人間の義之は、香澄を見て、
「彼女と同じ時代にいたなら、好きになったかも知れないな」
と思える女性だった。
それは、自分の先祖であるということを差し引いてでもある。もし、自分の先祖でも何でもなければ、好きになった気持ちが膨らみ続けると考えていた。
だが、考えてみれば、先祖と言っても、血の繋がりがあるわけではない。性格だけは確かに香澄は自分の先祖であるのは間違いない。その事実をどう解釈すればいいのか、義之は悩んでいた。
「元々、血の繋がりがあることで、好きになってはいけないという根拠は、一体どこにあるというのだろう?」
日本の歴史を考えてみれば、古代からの日本は、近親相姦の歴史もあるではないか。血の繋がりがあるものから子供が生まれて、どんな弊害があるというのか、それこそ都市伝説や迷信の類ではないかと思うのだった。
ただ、都市伝説の類は、信じられないと思いながらも、
「信じなかったことで、何が起こるか分からない」
という思いも拭い去ることができない。ここが、義之は自分の嫌なところの一つであった。
一番嫌なところだと言っても過言ではないかも知れない。
「人と同じでは嫌だ」
と、思っているくせに、それでも、
「怖いものは怖い」
と考えている。
それがジレンマになって、次第にトラウマに変わってしまうのではないかと恐れている。その恐れを感じること自体、じれったい気がして、余計なことを考えている自分が嫌になる。
余計なことを考えるというのは、そのほとんどは自分以外のことを考えているということだ。自分のことであれば、あまり余計なことだという発想はない。少なくとも、ジレンマに陥る片方は、
――自分を他人と比較して感じることだ――
と思うからだ。
義之のそんな気持ちまでもが移植されたサイボーグにとって、人間の女性を好きになるということは、ジレンマに陥る最大級の苦悩だったに違いない。
もっとも、最初からサイボーグにはジレンマの要素は含まれていた。人間のように意識や意志を持つように設計されながら、感情を判断できる機能を埋め込まれていなかったり、
「お前は人間じゃないんだ。サイボーグなんだ」
という意識を埋め込まれていた。
さらに、ロボット工学基本基準を埋め込まれている中で、義之の脳の考え部分を移植しているのだから、
「自分は他とは違う」
という意識を強く持っている。それこそ人間に対しての「安全装置」であるロボット工学基本基準とのジレンマに陥るのではないだろうか。
ロボット工学基本基準は、人間中心であり、自分を捨ててでも人間の利益のためになることが重要なのだ。
人間も悩みが絶えない人は多いが、突き詰めてみれば、悩みというのは、
「何かと何かのジレンマから発生しているものだ」
と言えるのではないだろうか。
そう思うと、
「サイボーグも人間が作り出したものだ」
と言うことになる。
まるで禅問答のようだが、
「では、人間は一体誰に作られたんだ?」
という発想になるが、一般的に言われているのは、
「神というものが存在していて、神様によって作られた」
と言われるが、
「では神も人間のように悩んだりジレンマに陥ったりするものなのだろうか?」
という考えも成り立つ。そういえば、古代の人間の書いた神話の中では、神も人間と同じ姿形をしていて、神の世界でも、上下関係が存在していて、嫉妬や悩みを抱えている姿が描かれている。
それは、
「神も人間と何ら変わらない存在である」
ということであり、
「神を何かのプロパガンダに使ったのではないか?」
という考えも成り立たないわけではない。
そういう意味では、ロボット工学基本基準を埋め込まれたロボットは、人間から見た神のような存在を人間に抱くのではないだろうか? すべてのロボットが人間に服従し、そして自分を犠牲にしてでも人間を守る。それがロボットなのだと言われてしまえば、ロボットに対しては、嫌でも別の存在に感じられ、そこに恋愛感情など抱くはずもない。
作品名:安全装置~堂々巡り②~ 作家名:森本晃次