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予知能力~堂々巡り①~

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 皆が絵を構図や構成のバランスで描くのであれば、沙織は色のバランスで描くように心掛けるようになった。
 だが、美術部に所属したのは中学まで、高校生になってから、絵画を部活ですることはやめた。嫌いになったわけでも、限界を感じたわけでもないが、
「絵を描くのは、やりたい時にやる」
 と、一歩下がったところで考えるようになった。
 香澄先生が、時々デッサンに出かけるということでついて行ったこともあった。香澄先生は鉛筆画が中心で、色を使った作品を描くことはほとんどなかった。
 そんな香澄先生も、学生時代は油絵が中心だったという。
「私はこれでも、県のコンクールで優勝したこともあったんだけど、それも昔の話ね」
 と言って笑っていた。一度香澄先生の、優勝したという作品を見せてもらったが、沙織はその作品を見て、
「私には描けないわ」
 と、感じた。
 どちらが優れているなどという次元ではなく、明らかに沙織の作風と、香澄先生の作風には違いがあった。
 絵に使われている色というのは、力強さや見た目のインパクトを与えるものだと沙織は思っていた。
 確かに色というのは、絵に対して印象付けるための大きな要素であり、一瞬にして見る人にそのイメージを植え付けられるほどの力強さを持っている、そんなエネルギーを感じさせる。
「生きた作品」
 というイメージを感じることができる作品には、人を惹きつける力があり、審査員にも好印象だったに違いない。
 香澄先生の作品には、それが感じられた。
――しかし……
 沙織は、どこか納得いかなかった。
 それは、香澄先生の性格を考えると、そんなエネルギーを表に出して、しかも、優勝するだけの爆発力を持った作品を完成させられるようには、どうしても思えないからである。香澄先生は、どう見ても性格的には引っ込み思案で、今の作風も、
「静かに燃える」
 という作風を感じる。
 決して、自分から表に出ようとしていないことを前面に押し出しているわけでもなく、あくまでも控えめだ。
――気配を消すことをしなくても、まわりから意識されることはない。まるで石ころのような存在――
 高校時代までに、性格的に暗い人はまわりにいくらでもいたが、香澄先生のような存在の人を見たことがなかった。
――まるで石ころのようだわ――
 目の前にありながら、その存在を意識することはない。
 河原にある石ころであれば、たくさんの中の一つを意識するというのは難しいことだが、一つしかなくても、その石ころを意識することはない。
 そこには二つの考えが存在する。
 一つは、
「その場所にあって当然のものは、まったく意識しない」
 という考え方で、もう一つは、
「見ている人、それぞれで違う」
 という考え方だ。
 その場所にあって当然だというものは、他にもたくさんある。いちいち意識していては、キリがない。
「見えているのに、見えていないような錯覚に陥る」
 ということがあるのかも知れない。
 それは意識の中にもあることで、
「本当は前から知っているはずのことを、その時に初めて感じたような気がする」
 という考え方だ。
 これは、デジャブ現象の逆の発想である。デジャブ現象は、
「初めて見たり感じたりしたはずなのに、以前から知っていたような気がする」
 というものだ。
 そちらから考えると、なかなか理解できないものも、逆の発想をしてみると、見ていたはずのものをスル―してしまっていたという発想もありではないかと思えるのだった。
 最初の考えは、香澄先生の側から見た考え方だったが、もう一つは。香澄先生の方を見ている方の考え方である。
 高校時代に香澄先生と一緒にデッサンに出かけた時のことだった。
――山や谷の見えるところ、そして、少し行くと、沢が流れていて、その上流には滝がある――
 そんな、自然が豊富な場所に先生が連れて行ってくれたことがあった。
「ここは、今まで先生が何度も来たことがあるところなの。ここだったら、いくらでも自分の描きたい作品をイメージできるって思ってね」
「先生は、いつもここに来るんですか?」
「いつもということはないわ。他の場所で描くこともある。先生は、ここに二回までは続けてくることはあるけど、三回目は他の場所にするの。ここは、ずっと私がずっといる場所じゃないような気がするの」
「どうしてですか?」
「この場所って、『生きている』ような気がするのよ。自然の息吹を感じることができるのだから、生きているというのを改めていうのはおかしなことなのかも知れないけど、この場所は自然の息吹とは違った別のものがあるの。それは何かの意志を感じるとでもいうのかしら? ここにいると、じっと見つめられているような気がしてくるの」
 香澄先生の話は何となくだが分かったような気がした。ただ、それはあくまでも漠然としてであって、今感じたこと以上に、分かることはないだろうと思っていた。
 香澄先生は続けた。
「まわりから見られているというのは、作品を作る時に、プレッシャーも感じるんだけど、それだけではなく、描いている作品は一つのはずなのに、なぜかたくさんの作品が出来上がっていくような気がしているのね。それは、まわりが私の作品に、『息吹』を与えているというのかしら? とっても、やる気が出てくるの」
「それっていいことなんじゃないですか?」
「そうなんだけど、とっても疲れるのよ。そのうちに自分が絵を描いているという感覚がなくなって、描いている自分を客観的に見ているのを感じるようになるの。おかしな感覚でしょう?」
「そうですね」
「この感覚って、どこかで感じたことのあるものだって気付いたのよ。沙織さんなら、それを何だと思う?」
 沙織は、黙って考えていた。何となく分かるような気がするが、その言葉は先生の口から聞いた方がいいような気がして、敢えて何も答えようとしなかった。
 先生をそれを見て、すかさず口を開いた。
「それは夢という感覚に似ていると思うの」
 やはり沙織の考えたことと同じだった。
 夢というのが、客観的に自分を見るのだということを感じるようになったのはいつからだっただろう? 香澄先生に出会う前だったので、小学生の頃だったのかも知れない。そんなに昔のように思えないが、それだけいつも自分の中で意識しているということなのだろうか。
 沙織は今まで見た夢を覚えているというのはほとんどなかった。夢を見たという意識はあっても、どんな夢だったのか思い出そうとすると、頭痛に襲われることもあった。
 頭痛というのは、吐き気を伴うもので、最初に視界がハッキリとしなくなる。焦点が合わない視界で必死に前を見ようとしていると、そのうちに前が見えるようになってくるが、それに前後して、頭痛が襲ってくる。短い間だけのことだが、その後に襲ってくる吐き気の前兆だった。
 だから、見た夢を敢えて思い出さないようにしている。
――思い出そうとしてはいけないのかも知れない――
 それは、
「見てはいけない夢を見た」
 というわけではなく、
「どんな夢であっても、思い出せないものを思い出そうなどと無理をしてはいけない」
 ということだと理解していた。