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予知能力~堂々巡り①~

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 信憑性の高いものではあるが、確信ではない。だが、それだけに義之という男性から、これからも離れられないことを悟った。
 堂々巡りから逃れられても、すぐに彼から離れると、また堂々巡りに入り込んでしまう気がしていた。
――ただ、堂々巡りを繰り返したくないから、彼のそばにいるだけだ――
 という思いを抱くことだけは嫌だった。それが沙織の性格であり、堂々巡りを抜けることができたことを確信した考えでもあった。
 沙織は、自分が堂々巡りを抜けたと感じたのは、それから何年経ってのことだっただろうか。
 香澄先生の死を伝えられ、自分の中で陥ってしまった堂々巡り。抜けようとすると却って抜けられなくなる。その理由は、意識してしまうからに違いなかった。
――一体何を意識するというのだろう?
 沙織の中で堂々巡りを繰り返している時、なぜ、堂々巡りを繰り返しているかということを考えていた。その時に、
「意識してしまうからだ」
 ということに間違いないということは分かっていた。
 しかし、それだけでは説明のできないもの。そして、意識してしまって抜けないのがなぜなのかというのも、最後の理由に含まれていることだった。
「どうして、先生は死んでしまったのだろう?」
 ということを考えていた。しかし、理由が分からない。他の人ならいざ知らず、いくら自然消滅での別れを迎えたとはいえ、一番身近だった相手が、そう簡単に、
「もう会うことは二度とできない」
 などと思えるはずもなかった。
 気持ちとして、信じられるわけもない。何度も自問自答を繰り返す。
「香澄先生が死んだなんて、本当に信じられるの?」
 もう一人の自分は答えない。
――どうしてこんな時だけ、何も言わないのよ――
 と言ってみたが、もう一人の自分の正体を知れば、それも仕方のないことに違いなかった。
 堂々巡りに入り込んでしまった理由。これは、本当に簡単なことだった。
 そう、香澄先生が死んだという事実、これ以上でもこれ以下でもない。
 そして、沙織は、
――私は香澄先生に言いたいことがあったはずなのに、それを永遠に言えなくなってしまったことが、一番のショックだ――
 と感じていたが、本当は、さらに奥があった。
 香澄先生に言うはずのことを、香澄先生がいなくなり、二度と会えなくなってしまったことで、の言葉を沙織は自らで封印してしまったのだ。
――一体何を言いたかったのだろう? どうして私が言うまで待ってくれなかったの?
 と、何とも自分勝手な言い分だが、沙織にしてみれば、一言言いたかった。
 沙織の意識は、自然消滅の時に遡る。
――あれは本当に自然消滅だったのだろうか? そう思ってきたのは、本当は自分の言い訳ではなかったのか?
 香澄先生が死んだことで、沙織は香澄先生のことを考えるたびに、自分を蔑んでしまうのだ。
――もし、死んだのが香澄先生ではなく私だったら、香澄先生は私に対して自分を蔑んでくれるだろうか?
 自分が勝手に蔑んでいるくせに、沙織は香澄先生に自分勝手を押し付けてしまう。
――本当にこれでいいの?
 自問自答というのは、自分を蔑むことから始まるのだということを、今さらながら実感してしまった沙織だった。
――でも、香澄先生が死んだなんて、本当に信じられない。まだどこかで生きているような気がして仕方がない――
 一体どこで生きているというのだろう?
 沙織は、彼女から聞いた先生の死についての話の裏付けはもちろん取っている。その話が事実でなければ、香澄先生のことを考えること自体、すべてが無駄なことにしか思えないからだ。
 それにしても、どうして、彼女はあのタイミングで香澄先生の死について沙織に語ったのだろう?
 彼女にタイミング的な作為があったとは思えない。ただ、沙織が意識が過剰になっていることは確かだ。
 香澄先生についての思い出や過去の事実は、すべてタイミング的に何か意味があったように思えてならない。
 香澄先生は、沙織の記憶の中で生きているといえば、実にありきたりな言葉である。
 そんな、誰もが言うようなセリフは、香澄は虫唾が走るほど嫌いな言葉だったはずなのに、香澄先生に対しては、嫌な気がしない。
――何となくだけど、言葉の訳が分かる気がする。理屈さえ分かれば、私だって無下に嫌な思いはしないわ――
 と、沙織は感じた。
 香澄先生が死んだという事実、それを確かめることはできたが、結局、沙織は自分から確かめることはしなかった。だが、
――やっぱり、死んだんだ――
 と、思うようになった。
 もちろん、先生が死んだということを信じられないという思いは残っている。小さくなってきたわけではないが、香澄先生と面と向かって話をすることはできないということを事実だと思っている。
 香澄先生が死んだという話を聞かされてからの方が、沙織には香澄先生により近づけた気がした。それは、香澄先生がどこかに生きているというよりも、香澄先生が死んだことで、沙織の方が近づいたような気がするからだった。
 それは、香澄先生が死んだことを疑うよりも、信憑性を感じられることであった。
 香澄先生との思い出が走馬灯のようによみがえるが、それが、いつも同じものであることに気付いた。微妙に違いはあるものの、パターンは完全に同じである。
 学生時代までであれば、それも当然だと思っていた。
 一番思い出したいこと、あるいは、本当は忘れてしまいたいことというのは、思い出の中に当然存在する。それが、まったく正反対の感情であればあるほど、その二つの心境は近づいていくが、決して交わることはない。
 だが、その二つは決して平行線というわけではない。
 平行線でもないのに交わらない。そして、お互いに離れていく感情ではない。
 この二つから考えると、これほど矛盾した考えはない。それを理解するには、
――思い出したいことと、忘れてしまいたいことは、同じ次元で考えてはいけないんだ――
 ということだった。
 それは、そのまま生と死の世界の狭間に言えるのではないかと思った。それを映し出す媒体があるとすれば、それは鏡だけ。そう思うと鏡に写った世界は、異次元の世界であり、それゆえに、鏡に写っている自分は、本当の自分ではないかと感じた。次元が違うからこそできる発想。鏡の世界について沙織は、最近になってそんな風に感じるようになった。
 そう思うようになったのは。鏡を見ていてそこに写っている人が、
「これって本当に自分なのかしら?」
 と、左右対称ではあるが、寸分狂わぬ動作をする鏡の中の自分。当然といえば、当然のことだが、見ているうちに、次第に鏡の中の自分が似ても似つかない別人になっていくのを感じられた。
 別人にはなっていっているが、まだまだ進展途上。
――最後には、自分の知っている人になるのだろうか?
 と思うようになった。
――今はまだ、誰になろうか、判断しているのだろうか?
 とも感じたが、鏡の中の自分に疑問を感じた時点には、すでにそれが誰になるのか分かっていた気がした。そして、今も分かっているのだが、
「考えたくない」