予知能力~堂々巡り①~
少し会話があってから、また奥歯にモノが挟まったような表情になった。
――ひょっとして、これがこの人の本当の顔なのかも知れないわ――
と感じた。
夢の中の彼と、一緒に話していた時の彼との雰囲気は、変わっていなかった。しかし、奥歯にモノの挟まったような表情をした時だけは、沙織の中で胸の鼓動が早くなった。何を言いたいのかという内容に対しての問題ではなく、彼の表情だけが、過去に見たものではなく、これから未来に掛けて見続けるものだという気持ちになったからだ。
「未来に見ることがある」
ではなく、
「未来に掛けて見続けるもの」
という発想である。
一度や二度ではなく、何度も見ることになるという感覚に、違和感があった。
今までにも、
「未来に見ることがある」
と、感じたことは何度かあった。
しかし、継続的に見続けるものというのを、未来に対して感じたのは初めてだったからだ。
――後にも先にも、これ一度だけの感覚だわ――
とも感じた。
「ロボットの気持ちが分かると言ったのは、少し飛躍した言い方だったね。もちろん、実際に今はまだロボットが自立した意識を持つことは不可能に近いと思っているので、気持ちが分かるとしても、架空のお話の中でだけのことなんだけどね」
少しホッとしたが、逆に物足りなさもあった。
前置きを口にしたのは、彼の優しさなのだろうか? それとも、彼の中で、
「この人に、必要以上のことを話しても無駄なんだ」
と、感じさせたからなのだろうか?
ホッとした気持ちと、物足りなさの気持ち、沙織にとってどちらが強いか、考えてみたが、
――物足りなさの方が強いかも知れない――
この気持ちも初めてだった。
今までの自分であれば、ホッとした気持ちの方が大きかったという思いが強いはずだ。沙織には、それくらいの自分の気持ちくらいは分かるつもりだった。それなのに、今回物足りなさを感じたというのは、義之の登場が、沙織の中の何かを変えようとしているのかも知れない。
――それって覚醒ということ?
覚醒という言葉を、まさか自分が使うなど思ってもみなかった。しかも使う相手が自分にである。
しかし、義之との出会いからの短い時間で、「覚醒」という発想が出てくること自体、自分の中で何かが変わり始めている証拠だった。それが成長であるなら、適切な言葉を選んだ時、「覚醒」という言葉になるのは必然だった。
――それにしても、短い時間だったけど、結構密度の高い話の中で、そのほとんどがロボットの話だというのも、少しおかしな気がするわ――
と思っていた。
だが、彼の会話に中に出てきたロボットという発想は、自分に当て嵌めて考えると、まんざら架空の世界ではないように思えてきた。
彼と話をしている時は、
――これは架空の話なんだ――
と思っていたからこそ、会話に参加できた気がした。自分のことではなく他人事であれば、会話もスムーズだからである。
架空というのは、フィクションとは違う感覚を沙織は持っていた。
フィクションというと、あくまで空想科学物語であるSF小説をイメージしてしまうが、架空というのは、他人事ではなく、自分の中にある、
「想像上の世界」
を意味している。
沙織の中で、想像している空間は、無限だと思っていた。だが、実際には限界がある。
そう感じていると、
「沙織さんは、無限ということを信じていないでしょう?」
「えっ」
まるで沙織の気持ちが読めるかのように、ジャストなタイミングで義之は話しかけてきた。
「どうして、そう思ったんですか?」
「沙織さんの顔を見ていれば分かりますよ」
「ええ、必ずどこかに壁があるように思うんです。しかも鉄板というよりも、結界と言えるほどの完璧なものです」
「でも、本当はそんなことはない。それは、沙織さんが『可能性』というものを信じていないからですよ」
「可能性……、ですか?」
「ええ、可能性というのは、俺は無限にあると思っています。実は、それもロボット工学の世界から、学ぶことができるんですよ」
「また、ロボット工学なんですね?」
「すみません。僕はそれしか能がないもので……。でも、これって、そのまま人間社会にも影響してくるということを、忘れないでくださいね」
その時の最後の言葉に、今までにない力が込められていたことを感じた。
「詳しくお聞きしたいですね」
沙織は、ロボットの話をまた聞けると思い、ワクワクしてきた自分を感じていた。
――これは夢のはずなのに――
と思ったが、夢だからこそ、
――自分が本当は理解していたことだったにも関わらず、表に出せなかったことを理解して、表に出そうとしているのかも知れない――
と感じるのだった。
それが、彼から与えられるロボットの話という「媒体」によってもたらされるものに近いないのだ。
義之の話を聞いていると、以前にも同じような話をしたことがあったのを、思い出していた。もちろん、ロボットの話ではないのだが、似たような発想の話であった。
「でも、これって、そのまま人間社会にも影響してくるということを、忘れないでくださいね」
と、言った義之の言葉から、連想したに違いない。
――あれはいつだったんだろう?
実際にはかなり前の記憶だったように感じるのに、なぜか意識だけはまるで昨日のことのようだった。
意識と記憶に、かなりの隔たりを感じるのは、これが初めてではなかった。本当は昨日のことなのに、かなり前のことのように感じたり、逆に今回のように、だいぶ前のことなのに、昨日のことのように感じる。
どうしてそんな風に感じるのか、最近では分かってきたような気がする。原因に関しては分からないが、どうしてそう感じるのかというのは分かる気がする。要するに時系列に沿って記憶されているわけではないということなのだ。
だが、意識だけは時系列で存在している。だから、おぼろげながらにどれだけ昔のことだったのかという感覚だけは存在している。
記憶の場合は、多分、濃淡で判断されているのだろう。しっかりと記憶されているものであれば、最近の記憶。ところどころ欠落していれば、かなり昔の記憶……、というように、記憶と意識とでは、格納する場所も考え方も違っているのだろう。
ただ、それが普段は綺麗に結びついている。それが人間の脳のメカニズムというものなのだろうが、
――狂わないことが当たり前――
と、信じられていること自体、考えてみれば、すごいことだと言えるのではないだろうか。
その時の話の記憶の欠落具合から、ちょうど中学生から、高校生になった頃くらいではないかと思う。
あの頃といえば、沙織のそばに誰がいたか……。そう、香澄先生がいつも沙織のそばにいた。
香澄先生は、いつも先生として、いろいろなことを教えてくれた。それは。授業で教わらないことがほとんどだったが、考え方や自分のまわりに対しての立ち位置などの話が印象的だった。
その時、先生が意識の話をしてくれたような気がする。
「記憶というのは、意識して初めて残るものだと、先生は思うのよ」
作品名:予知能力~堂々巡り①~ 作家名:森本晃次