予知能力~堂々巡り①~
「大人になんてなりたくない」
と感じた時期があったが、それは、
「ほとんどの大人が、人に気を遣うということを勘違いしている」
と感じたからだ。
最近はあまり見かけなくなったが、喫茶店などでお金を払う時、
「ここは私が」
「いえいえ、奥さん、私が払いますわ」
と言って、レジの前まで来て、気の遣い合いをしているのを見ると、ウンザリしてしまう。
確かにワリカンにすると、精算に時間が掛かるというのはあるが、ここで余計な口論をしてしまえば、却って時間が掛かるし、時間を食えば食うほど、まとまるものもまとまらなくなる。
時間を掛けるということは、余裕を持たせるようで、その余裕が却って、
――考えなくてもいいことを考えさせてしまう――
という無駄な時間を生むことになる。
――無駄なことというのは、こういうことを言うんだわ――
世の中に無駄なことというのは、ほとんどないと思っていたが、実際には、細かいところで結構点在していたりする。
「無駄なことというのはね。『無駄なことなんじゃないかしら?』って思っていることに対しては、決して無駄ではないのよ。却って無駄じゃないと思っていることの方がったりするのだと先生は思う」
と、香澄先生は話してくれた。
「どういうことですか?」
「だって、無駄じゃないかって考えているということは、それだけ自分に対して真剣に考えている証拠でしょう? 先生は、自分のことを真剣に考えることが無駄だなんて思ったことはない。たとえ悪いことであっても、何も考えないよりもほどど有意義なことだって思うのよ」
と、先生はその話をしてくれた時は、いつになく真剣に語っていたように思う。
「真剣に話をするということも、無駄ではないということですよね」
と、ニッコリと微笑みながら答えると、
「そういうことよね。無駄だと思わないことほど、無駄な時間を過ごしているんだと先生は思うわ。だから、会話というのは大切なのよ」
と、先生は話してくれたが、それから比べれば、大人になった今がどれほど会話が少なくなったというのだろう。本人にそれほど会話が減ったという意識はない。意識がないだけに、自分の中で
「言い聞かせている」
という感覚がない中で、無意識に自問自答を繰り返しているのだろう。
だから、寂しくはないが、我に返ると、孤独感はあるのだろう。
自分との会話に気付くようになって、どうして自分が人に気を遣うことが嫌になったのか分かってきたような気がする。
結局最後に返ってくる答えは、
「自分が納得いくかどうかの問題」
だということなのかも知れない。
――それにしても、汚いものを見たから、予知能力を得ることができたというのもおかしなものだわね。私の場合は一体何がきっかけだったというのだろう?
最初は義之のことから考えてみたが、なかなか自分のきっかけがなんだったのか、ハッキリとしてこない。
ただ、自分が予知能力を持つのに気が付いたきっかけは、香澄先生がいたからだった。もし、香澄先生がいなければ、色に対して自分の感性はおろか、自分が感じていることを気にすることもなかったことだろう。それはそのまま自分が将来にわたって感じるはずのことを、すべて否定しかねないということに通じる。大げさかも知れないが、沙織はそれだけ香澄先生に感謝するとともに、自分の感性にも感謝していた。
――感謝する気持ちが、私にこの力を見せてくれたのかしら?
「超能力というのは、誰でも持っているものだ」
という話が通説になっていることは知っていた。
「人間が持っている力を百としたのなら、実際に使っているのは、その五パーセントくらいで、残りは潜在能力として持っている」
ということらしい。
太古の神話の世界であれば、
「神は力を潜在させてはいるが、それを使われては、自分たちの立場が危うくなるということで、覚醒させないように、精神面も封じ込めている」
と言えるかも知れない。そう考えれば、人が時々記憶を欠落させたり、忘れっぽかったりする人がいるのも納得できる。
勘が鋭い人なら、すぐにでも自分の能力に気付くかも知れない。それを阻止するために、忘れっぽかったり疑心暗鬼にさせることで、覚醒させないようにしているのだと思えば、繋がっていなかった線と線が繋がって考えることができる。
ただ、これも、一部の人間にだけ「許された」考えなのだろう。
さっき感じた、
「感謝する気持ちが、力を与える」
という考え方であるが、沙織はすぐに否定した。
神話の発想をしてしまったからだというのもその一つだが、それよりも、力が備わるにしては、少ししょぼい気もしてきた。その程度のことで超能力が備わるなどというのであれば、誰にでもそれなりの能力は備わっているに違いない。
――私が知らないだけで、本当は皆、特殊能力を備えているのかも知れない――
もちろん、大小の差はあるだろうが、備わっている能力に対して、別に疑問を持たない人、中には、
「同じ能力を誰もが持っていて、ただ黙っているだけなんじゃないか?」
と思っている人もいるだろう。
人に対して、最初から信用していない人もいるだろうし、逆に、そんな余計な意識を一切持っていない人もいるはずだ。そんな人は、他人を信じないのではなく、自分が信用できないだけなのだ。
もっとも、自分を信用できない人が、他人を信用できるわけもない。まわりから、天邪鬼のように見られていても、それでも構わない。却って、まわりから自分を敬遠してくれる方が、気が楽だというものである。こっちから人を寄せ付けないというのも、結構精神的に疲れたりする。それをまわりが勝手にやってくれるのだから、苦労もないというものだ。
ただ、それでも一人になると感じるだろう「寂しさ」は拭いきれるものではない。その時に、
「私は孤独なんだ」
と、思うことができれば、「寂しさ」を払拭することができる。「孤独」を辛いことではないと思えるようになることができるのだ。
沙織も「孤独」を「寂しさ」から分離することができた。その時に予知能力を備えたのかも知れないと感じた。
――やっぱり、自分が何かを感じることが、特殊能力を持つためには必要不可欠なことなんだ――
と感じるようになった。
「『孤独』が寂しくないと思うようになった時に、香澄先生と出会ったんだ」
思い返してみると、そういうことになるのだが、香澄先生との出会いが、沙織の中でどういう意味があったのか、考えてみたが、ハッキリとした答えが出るわけではなかった。
――これだけいろいろ考えがまとまってきたのだから、香澄先生との出会いも分かってきそうなものだけど、それが分からないということは、そこには見えない壁のようなものがあって、どうしても越えられない壁が存在しているのかも知れない――
ただ、沙織はそれを「結界」だとは思わない。「結界」だと思ってしまえば、今まで見えていた香澄先生の姿を、自分で否定しなければいけない時がやってくる気がしたからだった。
「実は俺……」
義之は、ふと声を掛けてきた。
作品名:予知能力~堂々巡り①~ 作家名:森本晃次