三度目に分裂
悲しそうにしている母親だったが、さすがに最初の時のように涙を流すことはなかった。それでも母親の顔を見ていると不憫で、自分も哀しくなってくるのを感じていた。
「真田さんとは、大学に入っても何度か会っていらっしゃったのよね。いつもあの子が自分から呼びだすんだって言っていたわ。確か、三度呼びだしたって言っていたわ」
「そうですね。先輩から三度呼びだされて、三度とも、先輩の方が僕よりも先に来ていたんですよ」
「そうなのよ。あの子は、人を待たせるのが嫌だというよりも、待つことが好きみたいなの。変わっているんだけど、待っている時にいろいろ想像してみるんですって。そして、待っている時にしか想像できないことがあるらしくって、それが面白いんだって言っていたわ」
「お母さんにも、それがどういうことなのか、分からないんですね?」
「ええ、あの子が考えていることは、あの子にしか分からない。それはそれでいいことなのよ。でも、最近分かるようになってきた気がするの。あの子とは、もうこの世で会うことはできないんだけど、あの子を想うことで、あの子がいなくなったこの世界での想いが分かるというのは、皮肉なことなんだけど、私には嬉しいことなのよ」
「例えばどんなことですか?」
「あの子と、三度待ち合わせていたって言っていたでしょう? あの子の考え方として、『二回目と三回目では、まったく違っているんだ』っていうのが口癖だったんだけど、あなたは聞いたことある?」
「いえ、どういうことなんでしょうか?」
「私もサッパリ意味が分からなかったんだけど、でも、二回目までは、相手の行動パターンがもし同じであっても、それは偶然かも知れない。でも、三回目に同じなら、それは間違いなくその人の性格が分かる行動パターンだって思っていたんじゃないかしら? あなたに対しても、何度か同じ質問をしてみたり、わざと息子が同じパターンを繰り返してみたりしたことなかった?」
「あったかも知れないですね。そういえば、先輩と二回目に遭った時、鬱状態だったですよ」
「あの子が鬱病に?」
「ええ、鬱病になると、これほど饒舌になるのかと思うほど、まくしたてるように話をしていました」
「ひょっとすると、真田さんの中に、別人を見たのかも知れないわ」
「どういうことですか?」
「あの子は、たまに超自然な力が宿る時があるの。予知能力のようなものだったり、相手のうちにあるもう一人の誰かが見えたり。そんな時は鬱状態に陥っていることが多いの。しかも、不思議なことに、その鬱状態は、ある一人の人だけにしか見せないの。なった時に最初に見せる相手にしか見せようとしない。あの子が選んだのは、あなただったということなのよ」
「じゃあ、先輩は僕の中に誰かを見たということなのでしょうか?」
「あの子は言っていたわ。『人間誰しも、自分の中にもう一人がいて、その人がたまに出てくる人もいるけど、ほとんどの人は、隠しきってしまうんだ』という話なの。信じられないけど、今の私ならあの子が言っていることの意味も分かる気がするの」
「じゃあ、お母さんは、その言葉を信じているんですね」
「ええ、だから私も、今あなたの中に、もう一人の誰かを見ることができるのよ」
「もう一人の僕ですか?」
「ええ、そして、そのもう一人のあなたというのが本当のあなた。今、私と話をしているのは、最初はもうひとりの自分として中に入っていたあなたなんでしょう? でも、それでもいいと思っているのよ。私には、息子と一緒にいたあなたも見ることができる。今表に出てきているあなたは、私のために出てきてくれたんだって思っているわ。ありがとうね」
ここまで言われると、信治は自分のことが分かってきた。
「お母さんの話を聞いていると、僕にも分かってきました。お母さんと話をし始めて、先輩が僕と三度待ち合わせたという話をした時、僕は気持ちが入れ替わったんだね?」
「ええ、そうなのよ。きっと、私があなたに息子が死んだのを伝えなかったのは、あなたが自分から私を訪ねてきてくれるのを待っていたのかも知れないわね。あなたと息子が三回目に遭った時、どこに行ったのか、私には分かる気がする。別にあなたが恐縮する必要はないんだけど、その時に出会った女の子の気持ちが、今私の中に宿っているような気がするの。あなたが訪ねてきてくれることで、私はあなたと正面から向き合えるような気がするのよ」
「僕は、普段から孤独が好きで、人と関わることを嫌っていたんだけど、もう一人の僕も同じ気持ちなんだろうか?」
「そうよ。もう一人のあなたの方が、その思いは強いの。だから、あなたの身体の中にじっとしていられたの。出てこようと思えばいつでも出てこれたのにね。だから、もう我慢する必要なんてないの。私にはあなたが必要だし、私にもあなたが必要なのよ」
信治は頭が混乱してきた。
「私とあなたは、二度出会った。でも三度目はなかったのよ。あなたは私を捨てて、他の人に走った。でも、あなたは後悔して私の元に戻ってこようとしてくれたんだけど、私はそんなあなたを待つことができなかった。だから、二人は永遠に出会うことはできなくなってしまった。そう、あなたと私の三度目は、なかったのよ……」
「君は恨んでいるのかい?」
信治は頭が混乱しながらでも、彼女に話しかけている。
この言葉は自分が思っていることには違いないが、
――決して口に出してはいけない言葉だ――
と思うに違いなかった。
しかし、勝手に口から出てくる言葉を、跳ねのけることはできない。
「恨んでなんかいないわ。だって私もあなたを待つことができなかったんですもの」
「でも、それは僕が招いたこと」
「違うの。あなたにそうさせたのは私の態度だったのかも知れないと思うと、あなたの中にあるターニングポイントと、私の中にあるターニングポイントとでは、違っているの。それが、二人を永遠に遭わせてくれることのなかった運命の糸なのかも知れないわ」
信治は頭で考えていた。
――僕はこんなことを考えるのが嫌で、孤独を愛するなんて思うようになったのかも知れない――
自分が育ってきた環境や年齢にともなっての考え方からでは、決して生まれない考え方だった。
誰かをいとおしいと思うなんて初めてだった。これは信治としては、ありえないことなのだろう。しかし、縁があって先輩と知り合い、そのことがお母さんの恋愛を成就させることになった。
「僕の運命はいつから、あなたに向いたんだろう?」
これは信治としての思いだった。
「きっと、私があの子を生んだ時から運命だったのかも知れないわ。実はあの子、本当は私の夫との子供ではないの」
「えっ、じゃあまさか?」
「ええ、そうなの。あなたとの子なのよ」
その言葉を聞くと、信治の中からまたもう一人の自分が反応した。