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三度目に分裂

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「私も嬉しいわ。でもね、あくまでもこのお部屋だけのことだということを忘れないようにしてね。だから、私は『あなただけよ』という思いに駆られたんだと思う。私もあなたは、他の人とは違うと思えてきたからなのかも知れないわね」
 信治はふいに時計を見てみた。
 時計の針を見る限りでは、あと少しで時間だった。
――九十分なんてあっという間だな――
 と感じた。
 時間が迫っていることに友香も気づいたのか、
「じゃあ、シャワーを浴びましょうか?」
「ええ」
 と言って、友香が浴室に入ったのを見ながら、信治も立ち上がろうとした。
「あれ?」
 どうやら、こんな時に金縛りに襲われたようだった。
――この時間が終わってほしくないという気持ちの表れなんだろうか?
 と思ったが、そんな抽象的な気持ちであるはずもなく、むしろ、
「来るべくして来た終わりの時間」
 だと思うと、潔く別れの時間を迎えることが一番だと頭の中では思っている。
 だが、その金縛りはすぐに解けた。
「どうぞ、こちらに」
 という友香の声が聞こえると、たった今起き上がることのできなかった身体が浮き上がるように動くのを感じると、今度は身体が軽くなるのを感じた。
――今の金縛りは、身体を一気に起こすことができるようになるためのステップだったんじゃないか?
 と思うと、起き上がった信治の顔に対し、ニッコリと微笑んでいる友香の顔があった。
 信治はこの瞬間、快感を残したまま、元の世界に戻ることができることを確信した。
 シャワーを浴びている間は、まるでカップルのようだった。身体を重ね、一体になることができ、会話をすることで心が通じ合ったような気持ちになれると、最後のシャワーはしめくくりになるのか、現実世界への帰還になるのか、惜別の念が残っているわけではなかった。
 シャワー室では、二人とも一言も声を発せず、カップルのような気がしているのに、傍から見れば、形式的なサービスが淡々と行われただけにしか見えなかったに違いない。
 シャワーから出ても、無言で服を着る。一連の動きは、とても初めてのものとは思えないほどだったが、友香も決して声を掛けることがなかった関係は、すでにシャワーを浴びることで、現実世界へ返してあげようという友香の気持ちの表れだったのかも知れない。
 服を着終わると、ちょうど九十分、終わりの時間だった。
「また来てくださいね」
 と言って、友香はメッセージカードをくれた。
 ここまで形式的な儀礼を終わってカーテンの裏まで来ると、ふいに友香がキスしてくれた。唇と唇が重なり、吐息が漏れるほどの激しいものだった。
「どうしたんだい?」
 息を切らしながら、信治が言うと、
「我慢できなかったの。ごめんなさい」
 と言って、今日一番の恥ずかしそうな表情をした。
――この日、一番忘れたくない表情だ――
 という顔を、最後の最後にしたのだ。
「また来るね」
 この時は、正直、また来るという思いをまったく疑う余地もなかった。
「お待ちしていますわ」
 見上げるその目は、慕われているように思えてならなかった。
――これも、以前どこかで――
 と感じたが、込み上げてくる記憶を、信治は途中で打ち消した。
 今は、友香の思い出だけを噛みしめながら、今日一日を終わりたいという思いだったのだ。
 友香に背中を押されるようにして、カーテンの向こうに姿を消した信治を、いつまでも見送っている友香がそこにいた。
 信治は、そんなことを知る由もなく、待合室に戻ってくると、すでに終わってスッキリした顔をしている先輩がいた。
「どうやら、よかったようだな」
「ええ、ありがとうございます」
「俺も最初の時は、きっとそんな表情をしていたと思うんだ。でも、表情と感覚がまったく違っていた。そんな思いは、今までにしたことがなかっただろう?」
「ええ」
「それもそうだろう。俺だって、あの時が最初で最後だったんだ」
「でも、どうして先輩は、自分の表情を見たわけでもないのに、そんなことが分かるんですか?」
「俺は、最後にトイレに寄ったんだけど、その時に見た自分の顔と、待合室で待っていた先輩が見た自分の顔が、話をしていてまったく違っているような気がしたんだ。お前の考えていることが、過去の俺の考えとは違っているんだろうけど、気持ち的にはスッキリしたものがあったんだろう?」
「ええ、最後にキスをしてもらったんですが、それが、現実世界への通行手形のようなものに感じたんです」
「それはよかった」
「よかった……んですか?」
「よかったんだろうよ。だって、そのまま現実世界に帰ってこれなかったら困るだろう?」
「それはそうですが、でも、あちらの世界も素敵だったし、あのままずっといたいなんて気もしましたよ」
 半分冗談、半分本気だった。
「あっちの世界にいることなんかできないんだよ。だから、こっちの世界に戻って来れなければ、ずっと彷徨ったままなんだ。それも誰にも発見されずにね。いくら孤独が好きな君でも、得体の知れない場所で孤独になるのは怖いだろう」
「確かにそうですね」
「向こうの世界とは、彼女と別れた瞬間に終わってしまうんだ。まるで泡のようなバブルの世界というべきか、実態がない世界なんだ。だから、君がこっちの世界に戻った瞬間に、彼女もこちらの世界に戻ってくる。だから、キスをしてもらえたことを、感謝しないといけないんだぞ」
「でも、また行きたいな」
「それには、お金がいる。あまりのめり込まない方が身のためだ。俺は君だから、連れてきたつもりだったんだが、見込み違いだったかな?」
「そんなことはありません。僕もこちらの世界に戻ってこれてよかったと思っています。でも、僕が向こうの世界にいたいと思ったのは、世界自体がよかったのか、それとも彼女がよかったのか、どっちなんだろう?」
「それは、また違う人といっしょにいた時にどう感じるかどうかだね。一つのことを証明するのに、いくつもの証明が重なることを必要とする。つまり、AイコールB、BイコールC、ゆえに、AイコールCというような証明の仕方だね」
「この証明だって、百パーセント正しいと言えるんでしょうか? いわゆる三段論法と呼ばれるものだけど、最初の前提に信憑性がなければ、その後の証明も怪しいものですよね」
「それを言い始めると、キリがないよ。確かに君の言う通りなんだが……」
「僕は、どうしても物事を理論的に考えてしまう。だから、目の前にあるものを組み立てようとするので、先輩の言っていた三段論法もすぐに思いついてしまうんだけど、ついついその反対も考えてしまう。だからこそ、大前提に信憑性がなければ、三段論法の論理も薄っぺらいものになり、説得力などありえないですよね。それに、三段論法って正三角形の頂点だと思っていいんですかね? どれか一つだけでも一つの証明ができるだけの大きなものがあればそれだけで足りるのに、さらに信憑性を高めようと余計なものを集めてきても、結局は最大の効果を持っているものに、食われてしまうだけで共喰いになってしまえば、埒が明かないでしょうね」
作品名:三度目に分裂 作家名:森本晃次