三度目に分裂
友香は見た目、幼さが残ってはいるが、落ち着いた雰囲気を醸し出していることで、信治よりも年上に感じた。「ノブ君」と言われても違和感はなく、くすぐったさを感じられるほどだった。
友香と話をしていると、落ち着いた気分になった。まるで喫茶店で待ち合わせて、待っていた相手が現れた時の感動が浮かんできた。来てほしいと思っている相手の姿を見取ることができた時、一種の達成感のようなものが浮かんでくる。それは相手がちゃんと来てくれたことで、自分を信じることができると思う感覚で、今までに何度、
「待ち人来たらず」
というのを経験したことだろう。
だが、今までに誰かと約束しても、すっぽかされたことはなかった。来れなくなったとしても、連絡はキチンと貰っていたからだ。逆に、友達が少ない信治は、友達を厳選していたと言ってもいいだろう。
今でこそ、友達らしい友達はほとんどおらず、厳選しすぎたという思いもあるが、いないならいないで、困ることではない。
大学に入学してすぐくらいには友達をなるべく増やそうと思っていたのだが、厳選し始めると、次第に友達というものに対して、興味が薄れてきた。友達をほしくないと思うようになると、自分が他の人と違うという意識が強まってきて、この間先輩と話をしたような鬱状態に陥ってしまう。
しかし、先輩や他の人のいう鬱状態とは明らかに違っている。
信治の鬱状態は、
――まるで夢の中にいるようだ――
という感覚から生まれたものだった。
普段の夢と違うところは、目が覚めてからでも、その時のことが記憶にあるということだ。
――ひょっとすると、一度忘れてしまってから、すぐに思い出すのかも知れない――
忘れてしまった時間が短すぎるのか、それとも夢と現実の狭間で、一番意識がない時期なのか、あくまでも想像でしかないが、
――一度忘れてしまわなければ、夢と現実の間を行き来することはできない――
と感じるようになっていた。
――夢で終わらせてしまいたくない――
という感覚を、友香との間に感じた。
初めての風俗で、緊張と感動、それ以上に、想像していたことと違っていたことへの戸惑いなど感じることで、夢として終わらせてしまうことで、記憶から消えてしまうのではないかという思いが募るのが怖かったのだ。
「ノブ君、何を考えているの?」
と、友香に覗きこまれて、
「夢として終わらせたくないと思ってね」
と、正直に答えた。
「夢としては終わらないわよ。いえ、私が終わらせたくない。でも、ここでの世界は、あなたがいるべき世界なのかどうか、私には分からない。夢ではないけど、ここを一歩出れば、現実に引き戻されるあなたを想像すると、私は少し悲しくなってくるの」
その言葉に一瞬、ホロっと来たが、
「その感覚は、他の人に対してもあるんでしょう?」
「一期一会という言葉があるけど、ちょっと寂しい気がするの。せっかく出会ったのに、その日で永遠にお別れということもあるものね。それって本当に悲しいことよね」
「でも、それが人生というものなんじゃないかな?」
というと、
「本当にそう思ってる?」
「えっ、どうしてなんだい?」
「今のノブ君の顔は、とっても嫌な顔をしていた。流れに任せて、思ってもいないことを言っているような感じがしたの。言葉が軽いというか、相手に疑念を抱かせる言い方なのよ」
と言われて、ショックを受けた。
正直、自分が何と言ったのかすら覚えていない。それだけ、発した言葉に対して、責任を持っていないのだろう。
ただ、今まで自分の発する言葉に対して、責任など感じたことはなかった。
――思ったこと、感じたことを口にしていればいいんだ――
と感じていたが、それが間違いだというのか。
少しの沈黙の後、友香が口を開いた。
「ノブ君はノブ君でいいのよ。そんなノブ君が好きっていう人だっているはずだから、そんな人に対して、疑念を抱かせるような中途半端な言い方をすると、相手を傷つけることになるから、気を付けた方がいいわよ」
「ありがとう。気を付けるよ」
謝りはしたが、どうにも釈然としない。
「ノブ君は、絶えず頭の中で何かを考えているでしょう?」
「うん、気が付けば何かを考えている。無意識なんだろうね」
「ノブ君が、軽い気持ちで相手に合わせるように返事をする時というのは、何かを考えながら話をしているからじゃないのよ。実はその逆で、何かを考えている時は、会話にも集中できているんだけど、ふっと考えるのをやめる時があるのよ。そんな時、ノブ君は『心ここにあらず』という心境になっているのね。だから、私はノブ君の顔に中途半端な考えの下、とても嫌な顔になっていると思ったの」
「どうして、そんなにいろいろ分かるんだい?」
「やっぱり、身体を重ねたからかしらね。抱いてもらいながら、あなたをじっと見ていた。私は相手を見つめることが快感に繋がることを分かっているつもりなので、ノブ君をじっと見つめていると、いろいろ分かってくるような気がするの。こうやってお話をしていると、自分が身体で感じたことが正しかったと証明してくれているようで、嬉しくなってくるのよ。でも、嬉しさが込み上げてくる中で、気になるところはしっかりと意識できてしまう。ずっと嬉しい気持ちでいたいので、気になることは、相手には言うようにしているの。だから悪く思わないでね」
「悪くなんて思わないさ。でも、もしそれが僕だけのために感じてくれていることだったら、本当に嬉しいんだけどね」
そう言いながら、少しだけだが自分のことを話した。性格的に友達をほしいとは思わず、孤独を愛する性格だということをである。
「普段の私だったら、『あなただけではない』というんだけど、今日の私は、『あなただけよ』って言いたい気分になっているの。ここまで話してきて、このセリフは信憑性がないかも知れないんだけどね」
「そんなことはない。僕もこうやってお話できているだけで嬉しく思うんだけど、心の中では、このお部屋の中だけの世界であって、一歩表に出ると、『そこはあなたが住んでいる世界であって、私がそこにはいない』ということを君に感じてほしくないって思うんじゃないかな?」
「それは錯覚かも知れないわよ」
「そうだね、錯覚かも知れないし、錯覚で終わってしまった方がいいのかも知れない。僕には今恋愛をするという意識はないんだ」
「あなたもいろいろあったのかしら? あなたは、人と関わっていないから、あまり深くは思っていないかも知れないけど、まわりの人が聞けば、いろいろあったように感じるかも知れないわね」
「どうして?」
「体験して感じることというのは、誰しも成長していく中で大なり小なりあるものだけど、あなたのように体験しているわけではないのに、頭の中で理論として出来上がっているのは、それだけ想像力が強く、実体験では得ることのできない感覚を持っている。それは表からのものではなく、内に籠っているものが醸し出される感覚なんじゃないかしら? それを私は『感性』と呼べるものなのかも知れないって思うの」
「感性という言葉、僕は好きです。友香さんの口から出てくると、余計に嬉しく思えてきました」