三度目に分裂
高校に上がる時も受験したはずなのに、あの頃とどうしてこんなに違うんだろう?
確かに、中学時代から、
「高校というところは、大学受験のためのステップにすぎない」
とまで思っていた。
高校生活を我慢することで、大学時代に楽しい思いをすることができると思っていた。高校時代というのは、大学生活のための犠牲になる時間としか思っていなかったのだ。
信治にとっての唯一の救いは、勉強自体が嫌いではないということだった。
勉強を始めるまでは、少し気持ちの切り替えが必要なのだが、勉強を初めてしまうと、集中しているからなのか、次第に楽しくなってくる。
集中力を高めると、時間があっという間に過ぎてしまうということを知ったのも、この時が初めてだった。
勉強の楽しみは、新しいことへの発見であり、何もなかったものから新しいものを作る楽しみに似ていた。芸術ではなく勉強を楽しいと思っていた高校時代は、今までの中で一番現実的だったのかも知れない。
現実的な自分がこんなに暗い性格になってしまうというのも分かっていたこと、現実的な考えは、どうしても理屈っぽくなってしまう。理屈っぽさとは中学時代までにも感じていたことだったので、高校に入って友達がいなくても、それはそれで問題のないことに思えたのだ。
そんな高校時代に、結構夢を見たような気がした。目が覚めると忘れていることも多かったのだが、その時々で違う夢だったようだ。
夢のシチュエーションは違ったのだが、夢に主題があるのだとすれば、その主題は同じだったような気がする。その主題とは、夢を見る上での幹になる部分であり、それが同じであるという意識があるのに、夢を覚えていないというのもおかしな気がした。
――わざと意識して思い出さないようにしているのか、それとも、目が覚める時に思い出せない記憶の奥に、封印しようとしていたのではないか――
と思うようになっていた。
高校時代に思い出すことのなかった夢だったが、大学に入学したとたん、急に思い出すようになった。
かなり前の夢だったということは分かっていたが、最初はそれがいつ見た夢だったのか分からなかった。高校時代に見た夢だったのか、それとも小学生の頃に見た夢だったのか分からない。
実際に小学生の頃にも、見た夢を意識しながらも、思い出せなかったこともあり、結局気になりながら、思い出すことを諦めてしまったという経緯があったのを覚えていたからだ。
大学生になって以前に見た夢を思い出す時というのは、孤独を感じている時に多かった。信治が感じている孤独というのは、他の人が考える孤独とは違い、
「寂しくて嫌だ」
というものとは少し違っていた。
信治が考える孤独というのは、決して嫌なものではない。むしろ、自分の時間を自分だけで自由に使えるという幸せな時間であり、そのことを分かっていないまわりの連中を、可哀そうだとすら思っていた。
――孤独を楽しめるのは、俺だけなんだ――
と、孤独を寂しさとして嫌がっている連中を憐れんでいた。
だから、夢を覚えていないのだと、信治は思っていた。
覚えていない夢には、自分の他に誰か友達が出てきたような気がする。
どこかに一緒に遊びに行ったり、スポーツやゲームをしたり、普段したことのないはずのものを夢に見ていたようだ。しかも、夢の中では初めてだという意識はなかった。
現実にはありえないことだった。
「誰かと一緒に遊びに行ったり、ゲームをしたいなんて思ったのは、中学の頃までだな」
中学の頃までは、友達の家によく遊びに行ったものだった。
中学の頃は、自分から動かなくても、まわりが動いてくれた。特に中学に入った頃には、いくつかのグループができたが、グループへの誘いからなのか、
「俺んちに遊びに来いよ。皆も来るからさ」
と、言って誘われたものだ。
最初だったこともあり、断る理由もないので遊びに行っていた。人に対して気を遣うことには神経質な親だったので、ただ遊びに行くというだけでは許してはくれなかったが、
「友達から誘われたんだ。皆も来るから、俺にも来いって」
と言えば、母親も許してくれた。
逆を言えば、そこまで言わなければ許してくれないほどだったのだ。
誘われて行ってみると、最初は楽しく遊んでいるだけなのだが、次第にグループへの勧誘を仄めかされる。最初の頃は、
――グループに入ってもいいかな?
と、他のグループも見てみたいという理由で、最初の誘いは断ったが、もちろん、そのことを口にすることはしなかった。しかし、誘ってきたやつも、自分がまわりと比較してみたいと感じたことくらい、分かっているに違いない。
しかし、二つ目のグループ以降の誘いには、乗らなかった。母親にいちいち断らなければいけないというのも億劫だったし、一つ目の誘いを断ったその時から、どこかのグループに入ることが情けなく感じられた。
――今から入ったら、一番下っ端だ――
というのも、大きな理由ではあるが、中立な立場がどれだけ自由かということを、誘われた時に楽しかった思いが残っているのと、客観的にグループを見ていると、中の上下関係が一目瞭然に見えていて、一番下っ端が、一番端にいて、はじき出されそうになっているのが分かる。
そのままはじき出されればそれでもいいのだが、なぜか窮屈なだけで、はじき出されることはない。
――俺には、そんな立場は耐えることができない――
と考えていた。
高校三年生になると、本格的な受験を迎えるようになる。まわりはプレッシャーを感じているのが、目に見えていた。信治は自分もプレッシャーを感じていることは百も承知であるが、それを他の人に悟られるのは嫌だった。
――同じプレッシャーでも、他の連中とは違うんだ――
という気持ちが強くあり、まわりの連中がプレッシャーに打ち勝つために何をしているかというと、それぞれで慰め合っているところしか見えてこない。
プレッシャーがあれほどあからさまなのだから、解消するための努力を隠せるはずなどない。表に見えている部分がすべてのはずだ。そう思うと、情けなく思えて仕方がなかった。
図書館に行くと、自習室というところがあるが、荷物を置いたまま席を離れている連中がどれほどたくさんいるのだろうか。
「友達と勉強してくる」
と言って家を出て、皆で出かけたとしても、誰もが集中力など持てるはずもない。
要するに、一人では何もできない連中ばかりなのだ。
それを思うと、一人で孤独な方が、こういう時は他の人にはない力を発揮する。大体受験というのは、孤独との闘いでもあるのだ。確かに人よりもいい成績を上げればいいのだから、人との闘いなのだろうが、試験を受けるのは個人である。
――まわりは皆敵なんだ――
という意識が欠如している。
「これも平和ボケの一種なのかな?」
そう思うと、民主主義の掲げる「多数決」であったり、「助け合い」の精神など、何の役にも立たないのだ。
確かに、
「人は一人では生きていけない」
と言われてはいるが、いつもいつも誰かと一緒というわけにもいかない。その区別がつかない連中が、高校時代には多かった。