三度目に分裂
「夕凪の時間というのは、昔から『逢魔が時』とも言われて、魔物に出会う時間だって
言われているんだ。現代だって、夕凪の時間というのは、交通事故が一番発生しやすい時間と言われている。それが夕凪の時間なんだ」
「夕凪の時間というと、日が沈む頃に、風が吹かない時間帯だって聞いていました。夕方は結構風を感じる時間なのに、ちょうど風が止む時間があるんだって言われて気にしたことがあったんですが、なぜか気にしていると、その時間を感じることができなかったんですよ。何とか気にしていたんですが、結局分かりませんでした」
「それが夕凪の夕凪たる所以なのかも知れないね。ミステリアスなところがあり、気にしていると、決してその正体を明かすことはないが、気を抜くと、一気に襲い掛かってくるというような感じだね」
「先輩は夕凪の時間を感じたことってあるんですか?」
「俺は君の言っている風のない時間だっていう話は知っていた。しかし、僕も君と同じように感じたことはないんだ。もっとも、君のように、風のない時間を気にしたことはなかったけどね。でも、夕凪の時間に交通事故が多いというのは、ある意味、至極当然のことなんだよ」
「どういうことなんですか?」
「日が沈む寸前というのは、太陽の光の恩恵が一番少ない時間だよね。日が沈んでしまえ完全に太陽の影響がないことは自覚できているので、最初から色や光がないものだっていう意識で、まわりを見るだろう。だけど、夕凪の時間は、まだ少しだけだけど、太陽の影響を受けている。ちゃんと見えていると思っているんだろうけど、実際には見えているわけではないんだ。見えているのはモノクロで、カラーに見えていると思っているから、見えるはずのものが見えなかったりして、事故が起こるという仕組みさ」
「錯覚から来るというわけですね」
「そうだ。同じ錯覚でも、それまでカラーで見えていたものが、いきなりモノクロに見えるなどありえないという心理の盲点のようなものをついているのが夕凪の時間だと言えるんじゃないかな?」
「人間には、記憶しているものが継続していく習性があるということでしょうか?」
「そうとも言えるけど、そのことを信じて疑わないのも、人間のプライドというか、融通が利かないところなんだろうね」
「夕凪の時間というのは、昔の人はモノクロに見えていたんでしょうか?」
「見えていたかも知れないね。彼らには、その理屈が分からない。今のように光が色を司っているなどという科学的な発想はなかっただろうからね。だから逆にどうしてモノクロに見えるのか分からない。分からないから、不気味な時間帯で、これから夜に向かって魔物が出やすい時間として考えられていたんじゃないかな? 俺は、この夕凪の時間、いつも感じていたのは、『疲れ』だったんだ。風がないというのもその一つの理由になるのかも知れないが、気が付けば汗を掻いていて、背中にグッショリと汗が滲んでいることもあるくらいなんだ」
「僕にも夕方に疲れを感じた経験はあります。小学生の頃に公園で遊んでいた時に疲れを感じましたね。まだ、友達がいた頃で、その頃はよく公園で遊んでいました。でも疲れと言っても嫌な思い出ではないんですよ。結構楽しかったという思いが強かったので、流れ出ていた汗も心地よかった気がします」
「俺が疲れを感じた時、一緒に軽い呼吸困難に陥ったりもしたんだ。そのせいで、指先が痺れたりしていたので、汗は身体が思うように動かなかった焦りのようなものだったのかも知れないね」
「それは、金縛りに遭った時に似ているのかも知れませんね」
「君は金縛りに遭ったりすることがあるのかい?」
「ええ、時々金縛りに遭うことがあるんですよ。その時には、金縛りが予知できるんですが、それも直前なので、予知というほどではないですね」
「足が攣る時など、分かる時もあるよね」
「でも、その時は、身体全体が硬直してしまいそうな気がしてくることで、それを防ごうとして足が攣るものだって思っていたんですが、他の人はどうなんでしょうね?」
「そこまで考えたことはなかったけど、言われてみれば、そうかも知れないね。確かに足が攣る前に身体全体が硬直するような気がしていたのは俺も同じだよ」
「きっと、条件反射のようなものが働くんでしょうね」
「そう思うよ。でも、金縛りに遭うのは、また違うんじゃないかい?」
「ええ、金縛りに遭うのは、身体が反応するような内部からのものではないんですよ。外的な要因で金縛りが来るのが分かるんです」
「霊感のようなものなのかい?」
「それに近いものがありますね。でも、霊感を感じたりすることは自分にはないと思っていたんですけどね」
「金縛りに遭うと、何か見えるのかい?」
「そんなことはありません。ただ、不安に感じているのは事実で、必死に身体を動かそうとしている自分を感じるんです。でも、途中でそれが無駄であることが分かると、急に身体の力が抜けてきて、身体を動かそうとする気が失せてしまうんです。諦めの境地に近いものなのかも知れませんが、そうなった時、金縛りから逃れることができるんです」
「だったら、最初から諦めの境地でいればいいんだよ」
「口で言うのは簡単なんですが、そうもいかないんですよ。不安が襲ってくるのは事実であって、それは自分が引き寄せるものだという意識がないので、どうしようもないんです」
「まるで鬱状態のようじゃないか」
「そうですね。さっきから先輩のお話を伺っていて、鬱状態と自分が金縛りに遭った時の感覚を無意識に重ね合わせていることに気づきました。不安が募ってくることが同じだとすれば、自分も鬱状態をまったく経験したことがないとは言えないんでしょうね」
「本当にごく短い間の鬱状態が存在しているということになるね。ところで、その金縛りというのは、頻繁にあるのかい?」
「高校時代まではなかったんですが、大学に入ってから金縛りに遭うようになりました。高校時代までの縛られた生活が解放されたと感じている自分の反動のようなものじゃないかって思うんです」
「解放感の反動というのは、正直信憑性を疑いたくなるけど、俺も鬱状態に陥るようになったのは、大学に入ってからなんだ。大学というところ、自分でも感じていないような不思議な力を持っているのかも知れないな」
「金縛りに遭う時は、寝ている時なんです。それは足が攣る時と同じなんですが、足が攣る時のパターンとして、寝ている時に、身体の硬直を感じ、カッと目を見開いた時、足の釣りを感じるんですが、金縛りに遭う時は逆で、睡魔が襲ってきて、眠りに堕ちるその前に襲ってくるんです。身体を動かしているわけではないのに、どうして金縛りに遭うのが分かるのか、自分でも不思議です、でも、眠りに就く寸前なので、意識が朦朧としていて分からないのも当然なんじゃないかって感じるんですよ」
「なるほど、それは実に興味深い」
と、言って先輩は、含み笑いを浮かべた。
その様子が少し異様な感じがしたが、そのことを確かめるのが少し怖い気がした。
そう思って少し会話が膠着状態に陥ったのを分かっていながら様子を伺っていると、先輩の方から口を開いた。
「眠りに就く寸前に、金縛りに遭うと言ったけど、それで目が覚めてしまうのかい?」