三度目に分裂
「仲間としては、五、六人くらいのものだったかな? いろいろな考えを持っている連中で、話をしていると結構会話になるんだ。俺が中心にならなくても、皆それぞれに考えを持っていたようで、話し始めると、会話がどんどん膨らんでいく。自分がその中心にいるんだって思うと、嬉しくて仕方がなかった」
「そうなんですね」
それ以外に答えようがなかった。
何を言っても、反論にしかならないと思ったからだ。しかし、先輩が楽しそうな顔をしたのはそこまでで、楽しそうな顔の正体が、実は今のものではなく、過去を思い出しての恍惚の表情だったことに、その後気付くことになった。
「でも、やっぱり、集団意識というのは、一つ歯車が狂うと、音を立てて崩れるのって、あっという間だったんだ」
「どうしたんですか?」
「仲間のうちの二人が、偶然同じ女の子を好きになってしまったようで、そのことで一気に仲間内の空気に不協和音が響くようになり、二人に対してそれぞれに味方がついてしまい。完全に分裂してしまったんだ。きっと、どちらかの気持ちに皆共鳴するものがあったんだろうね。本当だったら、放っておけばいいものをそうもいかなくなってしまったのは、お互いに真からの友達と思っていなかったということと、仲間を集める時に、なるべく、集団意識にならないように、別の学部から集めてしまったことで、完全に烏合の衆になってしまったんだろうね。やっぱり仲間を作るとすれば、最低、同じ考えを共有できることが大前提になるんじゃないかって思い知らされたよ」
「でも、それは集団意識じゃなかったからなんでしょう?」
「そうじゃないと思うんだ。集団意識がなければ、分裂したり、音を立てて崩れたりはしない。最初から集団じゃないんだからね。集団意識というのは、人を集めた瞬間、その時点からあるもので、何かあった時に、意識するかしないかの違いなだけではないかと思うんだ」
「じゃあ、先輩はもう友達を作ろうとは思わないんですか?」
「今のところはね」
「じゃあ、僕は?」
「君は後輩じゃないか。後輩と友達は違う。しかも後輩の君には、僕と同じ考えがハッキリと見える気がするからね」
「それは?」
「孤独というものを自分の個性だと思っているところかな?」
「褒められていると思っていいんですか?」
「俺は褒めているつもりさ」
「ありがとうございます」
これが、最初に待ち合わせをした時の会話だった。
二回目に呼び出された時は、先輩がちょうど鬱状態に陥っている時だった。本当なら人に会いたくないのが鬱状態だと聞いたことがあったが、なぜか先輩は信治を呼び出したのだ。
先輩から電話が掛かったのは、待ち合わせの三日前のことだった。先輩に以前呼び出されてから一か月ほどだったので、その時に相談を受けた内容のその後だと思っていた。先輩の声は上ずっていたように聞こえたが、それは最初だけで次第にテンションが下がってくる声に、心配が募ってきた。
電話での話の内容は、差しさわりのないもので、他の人なら、
――そんな大したことないことで電話なんかしてこないでほしいな――
と思うのだろうが、その時の先輩の声を聞いていると、何かを言いたくて掛けてきたのだろうが、なかなか言い出せない様子に感じられて仕方がなかった。
今までの先輩からは想像できないほどの声のトーンに、次第に心配になってきた。
「会って話した方がいいですか?」
「ああ、そうしてくれるとありがたいな。いつものところで待ち合わせをしたいと思っていたんだ」
この会話だけを聞けば、先輩が呼び出したわけではないのだろうが、先輩が会いたいと思ったから電話をしてきたのは明白だった。自分は軽く背中を押しただけで、やはり呼び出されたことに変わりはないと思えてならない。一回目とは違った様子に、少なからずの戸惑いを感じていた信治だった。
結局、その日の電話では、鬱状態になっていることを先輩は言わなかった。本人としても、自分の今の状態が鬱状態だという自覚がなかったのかも知れない。もしそうだとすれば、先輩の孤独は本物で、会ってあげなければいけないと思った。
――それにしても、いつもいつも先輩は厄介だな――
と、ため息をついたが、他人事ではないことは感じていた。
――先輩と僕は、性格的に似ているんだ――
という意識があるので、先輩の身に起こっていることは、いずれ自分にも起こるかも知れないと思うと、放っておくわけにはいかないと感じた。
ただ、先輩と会うのは電話があってから三日後のことだ。電話を掛けてきた時と、状況が変わっているかも知れない。鬱状態を抜けているかも知れないし、もっとひどくなっているかも知れない。どちらにしても、この三日間は信治にとっても、長い三日間だった。
この日の待ち合わせは昼からだった。朝一番は、お互いに講義があったので、ちょうど時間が合うのは午後からだった。その日の信治の講義は午前中のみで、昼からは空いていた。先輩が三日後と指定してくれたのは、信治にとってもありがたかった。
その日も先輩の方が早く着いていた。
「こっちだ」
と言って、手を振ってくれたので、笑顔を向けると、先輩も笑顔で答えてくれたが、その日、先輩の笑顔を見たのは、それが最後だった。
「お待たせしてすみません」
というと、
「いやいやいいんだ、俺が勝手に早く来たんだから」
テーブルの上には、三冊ほどの雑誌が置かれていて、政治や経済の本だった。今までの先輩からは考えられないようだった。
今までの先輩であれば、もっとカルトな本を読んでいた。ミリタリーの本だったり、歴史の本だったりをいつも本屋で物色していると言っていたが、テーブルに置かれている雑誌が店に置いてある雑誌ならまだ分かるが、どうやら本屋で買ってきたもののようなので、趣味が変わったのか、それとも、今の精神状態から読む本が政治経済に落ち着いたのか、すぐには判断がつかなかった。
「俺、実は鬱状態になっちゃったんだ」
と、今度はいきなりそう言った。表情は真面目そのもの、こちらも正面を向き直って聞いてあげないといけないと思うほど、表情は真剣だった。
「どうしたんですか? いきなり」
分かっていたことではあったが、ここまでいきなり来るとは思ってもいなかった。意表を突かれたその場の空気は、一種異様な感じがした。
「俺は今まで鬱状態になんかなったことがなかったので、戸惑っているんだけど、鬱状態に陥ると、自分が誰だか分からなくなるほどの戸惑いがあるんだ」
「そんなにひどいんですか?」
「ああ、俺も最初は自分が鬱状態に陥っているなんて、思ってもいなかったんだけど、一人で何かを考えているのが、億劫になってきたのが本当の最初だったんだ」
「先輩は、一人で何かを考えている時って多いんですか?」
「ああ、一人でいる時は、絶えず何かを考えていると思っている。無意識に時間だけが過ぎていくこともあるんだけど、時間の経過を分からないということを考えると、それが何かを考えている証拠なんじゃないかって思うんだ」