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詩集 あなたは私の宝物【紡ぎ詩Ⅵ】

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自分から呼びかけなくとも 誰かが必ず眼に止める
野辺の小さな花に気づく人は少ない
けれども 小さな花たちが精一杯咲くのは
誰に認めて貰うためでもなく 褒め称えて貰うわけでもない
その潔さと慎ましさ 健気さが私の心を熱くする
まるで見返りを求めない母の深い愛情のように
野辺の花は振り返れば いつもそこにあり
心暖めてくれるのだ

カタバミの花言葉は輝くこころ、歓び、母の愛情
今日も彼(か)の花は我が家の庭で咲いている
その昔
カタバミの花は鏡を磨く材料に使われていたという
ピンクの可憐な花は今も
彼女を眺める私の心を洗い清めてくれる
まるで一点の曇りもない鏡のように

初夏
心が解け透明になる
心地良い微睡みから目覚めたような一瞬
ひとときの夢想

☆「いつか咲くことを夢見て~花明かり~」

大輪の花より野辺の花
誰も見ていない片隅で ひっそりと咲く君が好き
可憐で可愛い少女みたいなのに
とても強くて どんどん伸びてゆく
小さな薄紫の花たちが集まって咲く場所は
ポッと明かりが点っているようだ
眺める私の心まで
君は清らかな光で照らしてくれる
その名はムラサキカタバミ 

今日 ムラサキカタバミのブローチを買った
洋服の胸元に咲いた花一輪
いつか心にも咲くと良いな
精一杯花ひらく君のように

☆「ムラサキカタバミ」

 梅雨時の空は、どうしても重苦しさが漂うのは致し方ない。合間には真夏かと疑いたくなるような暑熱の一日となることもあるが、大方は薄曇りか、しとしと雨が降り続く日が多いものだ。
 梅雨の季節の一番の楽しみは何と言っても、紫陽花だろう。灰色に沈み込んだ風景の中で、一際鮮やかな色彩を見れば、心が浮き立つようだ。けれども、ここ最近、私が注目しているのは夏の代表的な主役ではない。脇役という言葉がふさわしいかどうかは判らないが、野花、野草と言い換えられるだろう。
 ムラサキカタバミ。最初は鑑賞用であったらしいものの、現在はあまりに旺盛な繁茂力のために駆除対象とまで見なされている。最初にこの花を見つけたのは去年の夏であった。撮影した写真をヤフー知恵袋にアップして、名前を質問してみたところ、すぐに二人の博識者が回答をくれた。
 名前が判ると、次は花言葉を調べる。「心の輝き、母の愛情」がムラサキカタバミの花言葉だという。何とも心惹かれる言葉ではないか! ライフワークで書いている小説作品にはモチーフ(小道具)として、花と花言葉を使うことも多い。ムラサキカタバミは初めてだから、これは使えると意気込んだ。
 去年の秋口からムラサキカタバミを使った新作を書き始め、十ヶ月後の今もまだ鋭意執筆中である。そんな経緯があってか、今年の初夏、庭で彼の花を見つけたときは、躍り上がった。まるで待ちわびた友人に再会したように心が弾んだ。
 今年、私が初めてムラサキカタバミを見つけたのは玄関前、次が数日前、トイレの窓横であった。トイレの窓横側はしょっちゅう通るので、必然的に花を見る機会は多い。
 ある日、この花の押し花を作ってみたいという想いが強く、思わず手を伸ばしかけた。だが、触れる寸前、思いとどまった。
 私はお世辞にも器用ではない。ましてや押し花を作り慣れているわけではない。勢い込んで作ったとしても、失敗するのは目に見えている。このまま摘まなければ花は生命をまっとうできるが、もし摘んでしまえば寿命は終わる。
ー花は摘まなければ、このまま生きていられるけど、摘めば死んでしまうわ。
 かなり前に書いた自作小説では、ヒロインが桜草を摘もうとする恋人を諫めるシーンがあった。作品内でもっともらしいことを言いながら、実行動が伴わないというのは非常に決まりが悪いというか、恥ずかしいことだ。
 断念した数日後、洗濯物を干しに庭に出て、ハッとした。あのムラサキカタバミが色鮮やかなピンクの花を数輪つけている。随分と寿命の長い花だと思いつつ、あのときに摘まないで良かったとつくづく思った。心なしか、花の色が前より濃くなったようだ。梅雨の狭間の柔らかな陽差しの中、可愛らしい花は小さな貴婦人のように誇らしげに咲いていた。


☆「いつか、きっと」


いつか あの場所にたどり着けたら
いつか 思い描くような人間になれたら
思えば 自分の人生
常に「たらたら」の連続だったような気がする
目指す理想の大きさと
あまりにもちっぽけで平凡すぎる自分
その大きなギャップの狭間で
いやでも認識せざるを得ない現実に
打ちのめされることしきりだった


つい先日 写真館で写真を撮った
特に何があるわけでもなく
いうならば5年ごと 自分なりに節目だと思う年代で
記念撮影をしている
前回は5年前
大阪の写真館まで行った
あのときがつい昨日のことにしか思えないのに
気がつけばもう5年経過している
いつでもそうだが
5年先なんてまだまだずっと先のことだと
信じ込んでいたら
知らない間に月日だけが通り過ぎ
我に返ったら5年後だったー笑えない冗談のような話だけど
そんなことの繰り返しで
5年どころか10年が飛ぶように過ぎ去る




人生のなかで最も大きなウェイトを占める物書き修行
いつか 一生に一度の大作を書きたい
いつか 読んだ人が涙を振り絞るような物語を作りたい
やはり「たらたら」ばかりだ
だが 私の場合
一作書き終えた時点で 
ー次の作品こそ大作を描こう!
と意気込むわけなので 実は
永遠に「次に書く作品こそが大作」なのだろう


あすなろという木を知っていますか?
翌檜と書いて あすなろと読む
翌檜の木はヒノキ科だが檜より小さい
だから檜に憧れて  
ー明日こそは檜になりたい、翌日は檜になろう。
と夢見続けても結局 檜にはなれない  
だから「あすなろう」らしい
このは話を知った時
まさに自分と同じだと感じた

明日こそ 夢見る人のようになりたい
一途に願い自分は「あすなろ」だと知った15歳のときから
いつしか はるかな時が流れていた
ある時は いつまでも「あすなろ」の自分に悔しさの涙を流し
ある時は ささやかな成果に喜びの涙を流した

それで良い 
迷い傷つきながら手探りで進む道
その向こうにこそ
自分が目指すゴールがあるのだと知ったのはいつだったか
暗闇のなか はるか遠くにかすかに揺らめく
小さな灯り
私はこれからも 灯りを頼りに歩く
どれだけあがいてみても
自分は自分以上にも以下にもなれない
大切なのは「あすなろ」の気持ちを忘れないこと

私はゆっくりと歩き続ける
闇の向こうにかすかに見える灯りにたどり着くために
いつか 理想の自分に「なる」ためではなく
「近づく」ために
更に5年後
自分は夢にどれだけ近づけているだろうかー


☆「凜として、朝(あした)」

ひんやりとした涼しさを含む早朝の大気

凜としてひらく一輪の花

はんなりとした薄くれないに染まった花は

さしずめ 恥じいながらも懸命に面を上げようとする少女のよう

葉上に 花びらに置いた雨露の雫が

差し込み始めた朝陽に照らされ 

キラリ輝く

すべてが洗い流された清らかな空間

緑の息吹が充ち満ちた場所に立ち

深呼吸する

どこまでも深い静寂の一瞬