詩集 あなたは私の宝物【紡ぎ詩Ⅵ】
「あんた、階段になっとるから、気をつけるんよ。転ばんように気をつけてよ」
買い物帰りらしいのに、ご主人は荷物を持たず、奥さんが両手一杯に買い物袋を下げて後をついてゆく。ご主人はゆっくりと歩いて降り口のステップを降りていき、奥さんは後ろでご主人が無事に降りるまで気が気では無いように見守っていた。
扉が閉まり、バスが再び動き始める。バスの車窓から覗けば、降りたばかりの老夫婦は寄り添い合うように車道を歩いているのが見えた。
げに夫婦とは判らないものだ。最初は誰が見ても恐妻ここにありという雰囲気だったのに、とんだ誤解をするところだった。きっと口は悪いけれど、旦那さん思いの優しい奥さんなのだろう。ご主人が思うように歩けないので、つい口調がきつくなったのかもしれない。物事は外見だけで判断できないとは、まさにこのことだ。
帰宅後、私は件の夫婦の話を夫にしてみた。夫は特に何も言わなかったが、興味深そうに聞いていた。さて、私たち夫婦は傍目には、どんな風に見えているのか、少し気になるところだ。
☆「人生に『勝ち負け』はない~生きる上で本当に大切なこと。ー美容室の待ち時間に読んだ週刊誌から。」
今日は二ヶ月ぶりに美容院に行った。美容院へ行くときのひそかな楽しみといえば、何を隠そう女性週刊誌を読むことだ。コロナ禍のせいで、病院の待合室からは週刊誌が軒並み消えた。感染拡大を避ける対策だろうから、致し方ない。
そのため、美容院で週刊誌を手に取れる時間は貴重な機会である。今日も美容師さんに施術して貰いながら、パラパラと週刊誌を捲っていたときのことだ。
とあるJボップの人気グループの記事が眼に付いた。今年でかれこれデビュー32年だというから、もうかなりのベテランである。
私自身、グループ名もボーカルの人も名前はよく聞いたことがあった。ただし、やはり、こういうものは流行り廃りがあるもので、かつては飛ぶ鳥を落とす勢いであったこのグループも今はあまり名前を聞かなくなった。
記事内容は、そのグループが去年の大晦日、これまた有名な歌番組に出たというものだった。どうやら、グループのリーダーは、この歌番組を長年敬遠してきたらしい。しかし、時代のせいで昔日の勢いがなくなったこともあり、出演する一大決心をしたというのだ。何しろ、知る人ぞ知る著名な歌番組だから、これに出演すれば知名度は上がり、人気もまた旧に復するのではという狙いがあったらしい。
が、やはり抵抗があるので、生中継するスタジオからではなく他の場所から中継で出演したと記事には書かれていた。
断っておくが、この記事に関する真偽については何ら保証することはできない。私はただ、この記事を読んだのみである。
そして、私がこの記事について印象深く感じたのは、歌番組に出演云々についてではなかった。
グループリーダーの考え方に感じ入るものがあったからだ。
彼が長年、その歌番組に出演をしなかった理由というのが「歌に勝ち負けはない」からだという。
ここの部分に、私はいたく興味を惹かれた。彼が敬遠してきた歌番組は、確かに歌手が持ち歌を披露し合って勝敗を判ずるものだ。そこのところが納得できなかったからというのだ。
少し前になるけれども、通信制大学で国文学を受講した際、講師が言われたことがあった。
ー人生に勝ち組も負け組もありません。人の一生に勝ち負けなどないのです。
このときもある種の感銘を受けたものだが、今日、感じた想いはそれと似ている。
歌手活動にせよ、人の一生にせよ、それぞれの人がその人なりに真摯に取り組んだ結果に相違ない。人が真摯になしたもの、結果について「勝ち負け」を判ずるのはある意味、間違っていると私も思う。
確かに、どんなジャンルにおいても順位はあり、勝敗はある。私自身が真摯に追求している文芸においてもきら星のごとくのコンテストが開催され、コンテスト毎に優劣が競われ、受賞作品が決まる。
これは文芸だけでなく、写真、絵画など、およそアートと呼ばれるジャンルにはつきものだ。形式としては、これらのコンテストで選出された優秀作品がそれこそ「勝ち組」になるのだろう。
けれども、本当にそうなのだろうか。そんなことを真顔で言えば、所詮は負け犬の遠吠えと言われそうだけれど、私は敢えて言いたい。
誰かが真摯に取り組んだもの、作り上げたものには「勝ち負け」はない、と。
かつて国文学の先生が言われたのも、まさにその通りだろう。
良い会社に勤めてエリート街道をひた走るが男性の勝ち組であり、結婚して幸せになるのが女性の勝ち組であるー、何とも時代錯誤でナンセンスな考え方ではないか。
結婚しようがすまいが、自分なりに真剣に考えての決断であれば、他人がその選択について「勝ち負け」を勝手に決めるのは、はなはだしく失礼なことだ。
自分がそんな考えを持っているため、今日、美容院で読んだ週刊誌の記事にはとても心を動かされた。正直、そのグループや彼らの歌には殆ど興味がなかったけれど(失礼で申し訳ないが)、「歌に勝ち負けがない」という考え方にはとても共感できるものがあった。 人生において大切なのは「勝ち負け」ではない。
その人がそのことにどれだけ真摯に向き合ったか、その一点のみであると思う。
歌に勝ち負けはないと考える人がどんな歌を歌い続けてきたのか。興味がなかったが、是非、一度聞いてみたいものだと考えている。
☆「余りの美学」
目に入った瞬間
視線が釘付けになった
重たげにしなだれた枝についた無数の小さな花たち
まるで降りしきる雪の花びらを見ているようだ
そういえば
こんな場所に雪柳があったのだと
人気の無い静かな門の前に佇み
今更ながらに思い出した
ここは確かに我が家の門であるが
ここから出入りすることは殆どない
家人も客人も大抵は広い人通りの多い別の道から
直接玄関にやってくる
本来は家の顔であるはずなのに
この門は ひっそりとした細い路地に面している
かつて 私はこの門のすぐ側の離れで両親と暮らしていた
私はここで育ったようなものだから
小学校、中学校、高校、登校時には
いつもこの門から出かけていた
雪柳の手前には子供用のブランコがあり
かなり長い間
一人っ子の私は
ある時は一人で
ある時は遊びにきた友達と乗って遊んだ
割と珍しい対面式の乗り合いブランコで
私と友達は向かい合わせで乗り込み
調子を合わせて漕いでいた
少し大きくなりブランコで遊ばないようになると
今度はブランコの脚にゴムをくくりつけ
ゴム跳びをして遊んだ
ゴム跳びは3人いないと遊べないが
ゴムをブランコの足にくくりつければ
一人がゴムを持つことで
二人でも遊べた
大縄跳びもその要領で長縄の先をブランコに結びつけ
二人で遊んだ
当時 小学校高学年の女の子たちの間で
大縄跳びとゴム跳びが流行した
やがて小学校を卒業した私は運動部に入り
放課後 練習に明け暮れる
庭で友達と遊ぶことはなくなった
それでも ブランコは長らく同じ場所に
そのままずっと立っていた
何故だろう
今朝 ゴミ出しのために滅多に通らない門を潜ったとき
満開の雪柳を見て
様々な記憶が一挙に押し寄せた
作品名:詩集 あなたは私の宝物【紡ぎ詩Ⅵ】 作家名:東 めぐみ