樹海の秘密
「気にはなるかも知れないけど、自虐というのは、人に知られたいという思いから現れるものだって思うんだ。それなのに、まわりが気になるということは、本当の自虐ではないんじゃないかな?」
と言われて、今までの自分の考えが口から出てくるのを感じた。
「自虐というのは、僕にとっては、アピールのような気持ちでもあったんですよ。だからまわりが自虐な自分を見て、気の毒に思ってくれるのを、期待していたのかも知れない」
「でも、気の毒に思われるのって、自虐をさらに煽るものなんじゃないかな? つまりは堂々巡りを繰り返すことになる。僕はそんな気がするんだ」
そう言った時、飯塚君は少しくらい表情になった。
理由はすぐに分かることになるのだが、
「堂々巡りは感じたことがあります。でも、今から思うと、堂々巡りのおかげで、レッドラインを越えなかったのかも知れないと思うと、複雑な気持ちです」
「俺も、以前は自虐の塊だったんだ。君と同じで、苛めに遭ったこともあった。僕の場合は中学時代だったので、相当陰湿なものだったよ。今立ち直ったのが不思議なくらいで、君には同じ経験をしてほしくないと思ってね」
と言って、飯塚君は腕の袖を捲って、手首を見せてくれた。
そこには、生々しい傷跡があった。そして、一言、
「躊躇い傷さ」
と言って、笑い返すことのできない笑顔を、こちらに向けたのだ。
――自殺を考えるようになるまで追い詰められていたなんて――
と思うと、気の毒というよりも、飯塚君という人間が、急に遠い存在に思えた。
「そんな顔しないでくれよ。本当はそんな顔を見たくないから、誰にも言わなかったんだ」
悲しそうな顔になった。
やはり喜怒哀楽を押し殺しているというよりも、それ以上の表情ができないようだ。今までに本当の笑顔や悲しい顔を表に出したことがあるのかどうか、分からなくなってきた。
「自殺をする時って、自分を意識するとできるものではないんだよ」
「どういうことですか?」
「自分以外の誰かになったつもりで、その人から殺してもらうという気持ちにならないと、自分から死のうという気持ちにはなれないということさ。確かに死ぬしかないという思いは強くなる。そこまでは自分一人の感覚なんだけど、ずっと自分一人で考えているだけでは、自殺までは思いきれないんだ。やっぱり、堂々巡りを繰り返してしまうからなのかも知れないね」
ただ黙って聞いているだけだったが、きっと真剣な表情になっていることだろう。
しかし、この話を聞くのに、
――相手のつもりになって――
という感覚では、感じることはできない。
飯塚君が自殺を思い立った時に感じたように、もう一人の自分を創造して、そのもう一人の自分に、飯塚君のつもりになってもらわなければ、話を聞いていても、納得できるところまでに至ることはないと思えた。
元々、自殺を考えたことのない敦には、飯塚君の言葉を他人事としてしか感じることができないだろう。その思いは、せっかく話してくれている相手に失礼だという気持ちの表れでもあった。
飯塚君の手首は今でも目を閉じると、瞼の裏に感じることができる。自殺というキーワードを一番身近に感じたのは、後にも先にもその時だけだった。
敦は、飯塚君とは今でも交流があるが、飯塚君は大学を卒業すると東京に出ていった。東京の大手企業に就職したが、それなりに悩みもあるようだ。最近は連絡を取っていないが、元気でやっているのだろうか?
樹海で死体が発見されたと聞いた時、すぐに思い浮かんだのが飯塚君の手首の光景だった。
――自殺する時って、どんな気持ちになるんだろう?
死を目の前にして、「怖い」という感覚が沸き起こるのは、百人中百人がそうであろう。その「怖い」という感覚は、死ぬまでに感じる痛みや苦しみに恐怖を感じるのだろうか、それとも、死んでしまって、この世に未練が残ることを怖いと思うのだろうか? 実際に自殺を試みたことのない敦には分からなかったが、人から自殺の話を聞いたり、自殺死体が見つかったという話を聞くと、そのどちらかを思い浮かべ、結局結論が出ないまま、どこか納得がいかない感覚に陥っていた。
この感覚は、飯塚君から手首を見せられた時には感じなかった。いつから感じるようになったのか、自分でも分からなかったが、
――飯塚君から手首を見せられた時、もう一人の自分が感じていたことなのかも知れない――
と思うと、納得できる気がした。
もう一人の自分を思い浮かべると飯塚君は言ったが、敦の場合は、自然と創造できているくせに、その存在を認識できていないのではないかと思うと、自分も自殺したいと思った時、自殺を計画するところまでは行かないように思えた。計画するのにも、もう一人の自分の存在を意識できなければ、先には進まないと思うようになっていたのだ。
人が死ぬ瞬間をまともに目の当たりにしたことがあった。
あれは、大学に入学が決まって、高校卒業してから、卒業記念に呑み会を催した時のことだった。
メンバーの半分くらいは、高校時代からスナックやバーの経験はあったようで、アルコールを口にしたことのなかったのは、敦くらいのものだった。
元々、アルコールは苦手だと思っていた。
「甘党の人は酒呑みになるか、まったく呑めないかのどっちかだろうな」
という話を思い出し、自分は苦手な方だと思うようになっていた。
実際に、呑み会で出された水割りも、半分も呑めず、何とかさらに水で薄めて、少しtずつ飲んでいる程度だった。
「食べながら呑まないと、酔いが早く回るぞ」
と言われていたので、何とか食べるようにしたものの、呑みながらだと、思ったよりも腹にもたれるもので、せっかくの料理があまり食べられなかった。
しかも、あまり広くない店内に、人が密集していることで、息苦しさも感じ、それがさらなる酔いを引き寄せる。気が付けば時間が経っていて、胸やけを感じながら何とか襲ってくる頭痛に耐えながら表に出ると、冷たいはずの風が、心地よく感じられた。
表では、皆ほろ酔い気分で、大声を出す者、道いっぱいに広がって歩いている連中、普段なら許されないことでも、まるで他人事のように見ていると、頭痛が少しずつ収まってくるのを感じた。
本当は慣れてきただけなのに、痛みが収まってきたように感じるのは、感覚がマヒしてきた証拠だった。
――頭が脈を打っているようだ――
と感じると、収まったはずの痛みがまたぶり返してきそうで、
――こんな思いをするんだったら、呑んだりしなければよかった――
と思うようになった。
酔っぱらっている連中を見ていると、苦しんでいる自分をよそに好き放題の連中に腹も立ってきたが、逆に、
――放っておいてほしい――
という思いがあるのも正直な気持ちだった。
足が攣った時、痛みに耐えながら、
――知られたくない――
と思って、何とか痛みに耐えていることがあった。
「大丈夫か?」
などと下手に慰められると、却って痛みが増幅してしまう。
――本気で心配なんかしてくれているわけではない――
と感じると、余計な心配は却って自分が気を遣わなければいけなくなりそうで、それが嫌なのだ。