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樹海の秘密

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――痛みを堪えなければいけないのに、どうしてまわりに気を遣わなければいけないんだ?
 と思うことで、放っておいてほしいと感じるのだ。
 また、本気で心配しているわけではないと、心配そうにしている表情は、痛みを増幅させる表情にしか思えない。わざとらしさは、自分が痛みを感じている時、一番感じられるのではないかと思わせた。
 まわりが自分に構うことなく、酔いに任せているのは、敦にはありがたかった。
 こちらも他の連中に構うことなく、バス停のベンチに座り込んでいた。次第に他の連中の姿が見えなくなってくるのを、ぼんやりと眺めている自分が、その時他人事のように思えた。
 そのバス停の向こうには、国道が見えていた。上を高速道路が走っていて、車のヘッドライトの明るさよりも、テイルランプの赤い色の方が印象的だった。
 視力はいいので、国道くらいまでであれば、普段なら鮮明に見えてくるはずなのに、遠ざかっているはずのテイルランプの真っ赤な色が、どんどん大きくなってくるのが不思議だった。
――視力が悪く、眼鏡をかけるようになって、眼鏡をはずした時が、こんな感じなのかな?
 と感じていた。
 爆音とともに、遠ざかる一つのテイルランプから目が離せなかった。酔っていると、一つのものに目が行ってしまうと目線を切るのは難しいということを後になって気づいたが、一番最初に気づいたのは、本当はその時だったのだ。
 テイルランプが一つであること、爆音が身体にゾクゾクとしたものを与えるほどだったことを思うと、それがバイクであったことは明らかだった。
 バイクの真っ赤なぼやけたテイルランプを意識していたのがどれほどの時間だったのか、そう思うと同時に、
「ガッシャン」
 という音とともに、
「キーッ」
 という引き裂かれるような音がしたのを感じた。
 遠くから、女性の悲鳴が聞こえた気がした。その時はすでに頭痛はなくなっていて、
――酔っぱらっている場合ではない――
 という緊急な気持ちが頭にあったのも事実だった。
 それでも、すぐに身体が動かせるわけではなく、気が付けば、救急車のサイレンの音と、パトランプの回るのが見えた。急に鼻を衝く匂いを感じた。鉄の燃えるような匂いだと思ったのは、ゴムが焼ける匂いだったのかも知れない。バイクからはガソリンが漏れていて、火が上がっていた。
「危ないぞ」
 という声が聞こえ、悲鳴とともに、人が逃げてくるのが見えた。
 後から聞くと、けが人が数名いた程度だということだったが、その場はまるで戦場のようなあわただしさで、逃げ惑う人をその時に初めて見たのだ。
 救急車がサイレンを鳴らし、走り去るのを見ていると、次第に意識が遠くなってくるのを感じた。どうやら夢を見たようだが、あまりにもリアルな惨状が目の前に飛び込んでくる。
 血は飛び散り、夢なのに、匂いも感じた。
――色や匂いを夢が感じるものなのか?
 と疑問に感じていたようだった。
 夢の中では、色も匂いも感じないものだと思っていた。あくまでも、現実世界で感じたイメージを夢の中で見ることで、色や匂いを感じているように感じるのだろう。
「夢というのは、潜在意識が見せるもの」
 という話を聞いたことがあるが、まさにその通りではないだろうか。
 現実世界で、
「以前にも見たことがあったような気がする」
 というのを、デジャブというが、夢の世界では、見たことがあったという意識はないが、潜在意識が見せるものだと考えれば、
「夢というのは、デジャブの一種だ」
 と言えなくもない。
 逆も真なりで、
「デジャブの一種が夢だ」
 と言えないだろうか。
 どちらも正しいように思う。それだけ、夢とデジャブの共通項は多いのかも知れない。
 デジャブを辻褄合わせの一種のように感じている敦は、夢というのも、何かの辻褄合わせのように思うことがある。その証拠として、ちょうどいいところで目が覚めてしまうことが多いからだ。
 ただ、目が覚めてしまうのではなく、覚えていないだけという考えも成り立つ。本当は最後まで夢を見ているのだが、肝心なところから記憶が欠落している。目を覚まそうとしている時に、記憶が飛んでいるのかも知れないとも思えた。
 記憶喪失の人は、すべてを忘れているわけではない。自分が誰なのか、まわりの知っているはずの人を知らないなどという形での記憶喪失なのだ。本当に記憶がないのであれば、食事の仕方や、トイレの使い方など、基本的なことを忘れていないというのもおかしいのではないかと思うのは、敦だけだろうか。
 他の人から、同じような疑問を耳にしたことはない。そのために、自分から問題提起するのが恥ずかしいという思いがあるが、他の人も同じ思いなのだろうか。それとも、何か自分を納得させられる言い訳を、持っていたのであろうか。
 言い訳という意味では、説得力のある考えを敦は持っている。
「完全に忘れていないものは、記憶が覚えているわけではなく、本能で覚えているから、忘れることはないのだ」
 と、自分に言い聞かせてきた。
 記憶喪失の「記憶」というのは、意識しての部分を記憶というのだろう。無意識に行動する本能は、「記憶」される部分とは違った場所に格納されている。記憶喪失には、意識の中でショックを受ける何かが原因となって、失われるものだ。そう思うと、自分を納得させることはできる。
 しかし、疑問という意味で、まだ完全に払しょくされたわけではない。どうしても、言い訳という域を抜けていないような気がするからだ。
 そういう意味で、夢を見ている時に、色や匂いを感じないというのは、あくまでも「記憶」というのが、本能を外した部分での意識だと思っているから、色や匂いを感じないものだと、勝手に思っているだけなのかも知れない。
 何しろ、目が覚めるにしたがって、夢の意識は遠のいていくのだから仕方がない。遠のいていくのも、
「夢というのが、現実世界と明らかな境界を持っていて、意識していては通り抜けることのできない結界を通り超えることができることで、夢の中の意識を犠牲にしているのではないか」
 という考えに近づいているからなのかも知れない。
 事故現場というのは、本当に悲惨なもので、それまで真っ赤に感じていた色が、事故現場を見てしまったことで、意識はいきなりモノクロに変わってしまった。
――血の色は真っ赤よりも、真っ黒の方が恐ろしい――
 テレビの残酷シーンが映し出される時、時々モノクロの演出があるが、カラーよりも、生々しく感じられたのを思い出していた。
 しかも、動いているシーンよりも、スライド写真のように、一枚一枚残虐なショットを写される方が、気持ち悪く感じた。
――子供の頃の記憶がほとんどだけど……
 今から思えば、酔いも手伝っていたのか、目の前に惨劇を見た時、モノクロだったのを覚えている。一枚一枚同じ時間でのスライドだったはずなのに、シーンによっては、他のシーンの何倍も目に焼き付けようとしたのか、シーンがなかなか変わらなかったものもあった。
作品名:樹海の秘密 作家名:森本晃次