樹海の秘密
敦も、以前安藤さんが感じたような疑問を抱いたことがあった。もっとも、同じような疑問は、大なり小なり誰もが抱くものではないのだろうか。この街に樹海がある以上、気にならない人というのはいないはずだ。
元々この街で育った人は、子供の頃に、しつこく親やまわりの人から、樹海のことがタブーであるということを信じ込まされていたようだ。言われたことを素直に受け取る子供は、純粋であればあるほど、大人の表情が少しでも険しければ、抗うことはできないと思い込むもののようだ。
どこの街にも都市伝説のようなものは存在しているのだろうが、明らかに存在している樹海というものに対しての都市伝説は、話がリアルであるのも当たり前だ。途中からこの街に来た敦は、まわりから諭されることもなかったので、安藤さんと同じような疑問を感じた。
しかし、いくら子供のこととはいえ、街のタブーに触れたのだ。話し方は穏やかだったが、明らかにその頃から街の人たちの態度が変わった。いかにもよそ者という雰囲気が滲み出ていて、敦も街の人たちを信用しないようになっていった。
敦が記憶の喪失を感じたのは、この街に来てから数年が経ってからのことだった。高校時代のことだったのだが、記憶が欠落した部分があるとすれば、この街に来てからのことだという思いが確定していると感じるようになったのは、記憶の欠落を感じてからすぐのことだった。
――この街には、何か秘密がある――
と感じた。
樹海のことを誰も何も話そうとしないのがタブーであるということは分かっていたが、ただ、記憶の欠落している部分が、この樹海に関係があるのだということと結びつけることはしなかった。
敢えてしなかったのだが、結びつけてしまうと、知りたくもないことを知ってしまいそうに思えて恐ろしかった。
誰も話したがらないことというのは、当然誰もが知ってはいけないことである。つまりは、
「話したがらないのではなく、知らないのだ」
という考えが生まれてきてしかるべきである。
どれくらい前から、この街に樹海があるのだろう。富士の樹海のように全国的に有名なものではなく、この街だけのものだ。。
そういえば、この街に観光などで訪れる人は、この樹海のことを誰も意識しない。確かに観光ブックにも載っていないので、意識する人は少ないだろうが、森というには、広すぎるところで、明らかに、他では見られない大きな木が密接しているところなので、目立たないわけではない。
――ここまで大きな木でできているのだから、思ったよりも、昔からあるものなのだろう――
という想像は、今だからできるものだった。
最初に見た時は、確かに異様な感じはしたが、立ち入ろうとは思わなかった。好奇心旺盛な子供で、どちらかというと冒険が好きだったのに、ここだけには立ち入る気がしなかったのだ。
怖くなかったと言えばウソになるが、それなら、他の友達も誘えばいいだけのことだ。誰もいかないと言えば、その時点で止めればいい。それなのに、敦は立ち入る気が最初からなかったのだ。
子供の頃に「樹海」などという言葉は思いつかなかった。
「大きな森」
という表現をしていたが、誰もそのことに触れないので、まだまだよそ者だった敦が自分から言い出すには、早すぎたという気持ちもあった。
冒険心と、よそ者としてまわりから無視されるリスクを考えれば、さすがに、リスクの方が大きい。それくらい理解できる子供だったのだ。
ただ、冒険心が中途半端で終わってしまったというのは、あまり気分のいいものではない。その時の気持ちを思い出させることになったきっかけが、この時に安藤さんが話した樹海の話題だったのだ。
樹海と言っても、入り口には公園ができている。ただ、公園の樹海側の端には、鉄条網が張り巡らされていて、厳重な立ち入り禁止状態になっていた。公園までは誰でも入ることができるのだが、樹海のことは一切書かれていない。
これは、一種のカモフラージュに見えた。いきなり鉄条網を張り巡らせてしまうと、まるで刑務所か、国境線のようで、仰々しさが生々しく感じられるであろう。そんな雰囲気を醸し出さないように、正面には公園を作って、目をくらませていると言ってもいいだろう。
「昔は、名もない街だったので、観光客が来ることもなかったが、最近は町おこしの効果が功を奏して、やっと観光の街として経営もうまくいくようになったんだ。普通の都市伝説なら黙っておけばいいんだが、あそこまで大きな木が密接している場所を観光客が放っておくわけもない。人が入るのはもちろんのこと、話題になることすらタブーでなければいけないんだ」
という街の運営の考え方だった。
この街が脚光を浴びるようになったのは、地元の大学の考古学チームによる発掘が最初だった。
この辺りは、昔の「クニ」の境でもあり、古戦場としていくつかの発見はされていたが、戦国時代でも初期の城址が見つかったことで有名になった。
どうしても、戦場の真っただ中になるため、城といっても砦のようなものの集落程度にしか考えられていなかったが、発掘が進むうちに、要塞としても十分大きなものだったことが分かってきた。
しかも、その要塞は、街も形成していたほどで、この時代には存在しないと言われていた城下町が存在していたのではないかという発表があった。
発表した地元の教授は、以前から歴史学者としては注目されていたが、なぜか地方の大学に引きこもってしまい、中央に出てくることはなかった。
樹海とは、少し離れたところにあるので、樹海が注目されることはなかったが、観光客が来るようになると、どうしても、樹海をそのままにしておくことはできなくなった。
「どうして、そんなに樹海が問題なんですか? これくらいの樹海なら、誰かが入り込んだとしても、見つからないということはないでしょう。しかも、今のように携帯電話やスマホ、GPSなどが発達していれば、なおさらですよね」
という教授の意見はもっともだった。
だが、町長は言った。
「そういう問題ではないんです。ただの都市伝説と言ってしまえばそれまでなんですが、樹海に入り込んで出てきた人は、もうその人ではなくなっているんです」
「それは記憶喪失ということですか?」
「いえ、そういうわけではないんです。会社の同僚くらいの人であれば、その人の変化には気づかないんですが、もっと親密な人、家族や肉親、彼女や親友くらいになると、違いが分かるそうなんです。でも、どこがどう違っているのかというのを言葉にしようとすると、どういえばいいのか分からないというのが、その人たちの意見なんだそうです」
「それも不思議ですよね」
「ええ、しかも、少しだけなんですが、記憶の欠落している部分があるらしいんです。話の辻褄が合わないという人はいても、その人には分からない。本人にも当然、どこが欠落しているか分からない。分からないけど、欠落しているという意識だけはあるようなんです」
と答えていた。
記憶の欠落という意味では、敦と似た状況のようだ。敦はこの話を知らないので、記憶の欠落と樹海は関係のないものだと思っていた。